2024年5月の記事一覧
5/28 夜の校舎
戸田翔陽高校は3部制の高校です。朝から始まる1部、昼からの2部、夕方からの3部の三つの部があり、朝から夜まで授業をしています。全校生徒は600人以上いるのですが、それが三つの部に分かれているので、一度に授業を受けている人数はそんなに多くありません。
校舎は昭和末期の生徒急増期に一学年10クラス、500人近い規模を受け入れた時代のものを使っているので、どうしてもあちこちの教室に分散して授業をうけている感じになります。
だから夜などは、明かりのついている教室と暗い教室が入り混じって、ちょっと寂しげです。しかし明かりのついている教室の中では熱心な授業が展開しています。
昔、夜間中学を舞台にした「学校」という映画がありましたが、本校も普通の全日制の学校スタイルにはなじめなくても、しっかり勉強をしたいという生徒たちが集まっています。なんとなく胸が熱くなるような風景です。
5/22 戸田というところ プチ史跡2(4)
早いもので、戸田翔陽高校に赴任してからもうすぐ2か月になろうとしています。
先週、戸田公園駅の近くの菖蒲川で鵜と亀が仲良く日向ぼっこをしているところを見かけました。
菖蒲川は見ての通りあまりきれいな川ではないのですが、鵜や亀がたくさんいるところを見ると、餌になる生き物がいるのでしょうか。菖蒲川とつながっているボートコースのほうでは、これから初夏になると大きなハクレンがジャンプしているところなどをよく見かけますが…。
さてこのブログでは「プチ史跡2」という副題がついた回が多いのですが、「なぜ2?」というと前任校(与野高校)のブログでも「プチ史跡」と銘打って、学校周辺や私の地元などの史跡ネタを書いていたからです。とはいうものの、戸田ではまだあまり周辺の史跡を回れていません。
なぜかというと、戸田は現代になるまで大きな町が形成されたことがなかったので、史跡の密度が低いのです。羽根倉街道の宿場として発達した前任地の与野や、河岸場として有名だった前々任地の上尾市平方などでは学校の周辺にたくさんの史跡があったのですが。
ですが戸田にももちろん歴史はあります。荒川(入間川)は古代から今と変わず流れていたので、自然堤防上には弥生時代以前から集落が築かれ、たくさんの遺跡が残っています。また、市内の笹目地区は鎌倉時代から鶴岡八幡宮の所領「篠目郷(笹目)」として文献に登場します。江戸時代には「戸田の渡し」は中山道の要衝として有名でした。古い歴史を持った神社やお寺もいくつかあるようですし、戸田市の笹目・美女木から、さいたま市の内谷や西堀に抜けていく昔の街道沿いには大小の神社や石碑・石仏の類が散在しているようです。今後、なるべく暇を見つけて回っていきたいと思います。
5/13 戸田と言ったら~プチ史跡2(3)
ほぼ半月ぶりの更新です。
プチ史跡2は3回目にして、早くも戸田最大の史跡「戸田ボートコース」を紹介してしまいます。
戸田ボートコースは、戸田公園駅から徒歩5分の所にある戸田公園の中核で、全長約2500m、幅約100mの巨大な池です。下の地図で見るとわかるように、細長いきれいな長方形になっています。
このボートコースは1940年に予定されていた東京オリンピックのために作られたものです。1940年のオリンピックは第二次世界大戦のため中止になりましたが、1964年の前回の東京オリンピックの時には再整備され、競技が行われました。
上の写真は、ボートコースの観覧席の奥にある1964年東京オリンピックの聖火台です。メイン会場の国立競技場にあったものと比べると2/3の大きさだそうですが、川口の鋳物職人さんたちが精魂込めて鋳造した見事な一品です。
2020年(実際には2021年でしたが)の2回目の東京オリンピックの時には、戸田ボートコースは現代の規格に合わなくなっていたため使われませんでした。
2020東京オリンピックでは東京湾に作ったコースで競技が行われましたが、海では波の影響が大きく艇体の小さいシングルスカルなどは漕ぎにくそうでした。準備段階では埼玉の彩湖を一部拡張してボートコースを作る案と東北復興支援を兼ねて宮城の長沼で実施する案もありました。どちらをとっても東京湾で強行するよりはましだったと思います。
しかし、一番根本的な問題は、日本に国際大会ができるようなボートコースがろくにない、ということです。戸田ボートコースは作られた当時、日本で唯一の人工ボートコースでしたが、80年以上たった今でも唯一の人工ボートコースです。ボートはタイム競技ではなく、その場で艇を並べて一番速かったものが優勝というシンプルで美しいスポーツですが、淡水・静水でしっかり競技のできる環境があるに越したことはありません。
ボートコースに限らず日本のスポーツ施設や公共建築は貧弱です。日本が自国を先進国や文化国家だと主張するのなら、人工ボートコースを各都道府県に1本ずつくらい掘るような豪儀さが欲しいものです。
5/1 日本語教室&プチ史跡2(前回の続き)
連休前半はいい天気でしたが、連休谷間の昨日今日は雨模様です。天気予報では連休後半は持ち直しそうです。ツツジやハナミズキなど花や緑の美しい季節ですから、ぜひ予報が当たってほしいものです。
今週から本校を拠点に今年度の「オンライン日本語教室」が始まりました。県立高校には海外にルーツを持つ生徒が多数在籍し、その中には学習言語レベルまでの日本語力に達していない生徒もいます。「オンライン日本語教室」は、それらの生徒をサポートするための取り組みです。もし言語の壁のために本来の才能を伸ばしきれない生徒がいたとしたら、それは本人だけでなく日本の社会にとっても大きな損失です。「オンライン日本語教室」は、今のところ週1回(全日制・定時制各1回)の取り組みですが、少しでも彼らの力になれたらいいなと思います。
さて、ここで前回紹介しきれなかった写真を1枚紹介します。
前回、与野の赤山街道沿いにある石仏と石塔を紹介しましたが、そこから少し赤山街道を進んだ鴻沼川のほとりに、立派な「石橋供養塔」と橋の礎石らしいものが残っています。
川に橋を架け通行を便利にすることは、世のため人のためになり、功徳を積むことです。その功績を記念するために、橋の建立年月日や、建築費用を寄付した人や世話人の名前を彫った石碑が「石橋供養塔」です。ここの石橋供養塔は享保十一年という年紀はよく見えるのですが、寄進者の名前は線が細くてよく読めません。しかし、こんな堂々たる供養塔が立っているからには、すごく立派な橋だったのでしょう。見てみたかったですね。
これと同じようなものとして「敷石供養塔」などもあります。以前、上尾の堤崎の当たりだったか、さいたま市の中釘か高木の当たりだったかで見た気がするのですが、ちゃんと記録していなかったので、場所がはっきりしません。そのうち、また探しに行ってみようかと思います。