校長室ブログ

3/31 年度末ご挨拶 & 久しぶりのプチ史跡巡り2

 今日で令和6年度が終わり、明日から令和7年度が始まります。

 年度末に付き物なのが人事異動です。昨日、新聞で埼玉県の教員人事異動が発表されていました。本校でも他の職場に異動する人が荷物の整理をしていたり、そのほかの人も職員室の模様替えの準備をしていたり、あわただしさの中に寂しさが混じった年度末独特の雰囲気が漂っています。

 私は来年度も引き続き本校でお世話になります。一年間ありがとうございました。また来年度もよろしくお願いいたします。

 読書案内「こんなものを読んできた」は、春休みにつき今週はお休みさせていただきます。

 さて、少し前になりますが3月22日(土)、人に誘われて都内を歩いてきました。その日は日差しが強く半そでのTシャツで歩いている人もいるほどの陽気でした。池袋の西口に集合し軽く食事と泡のでる飲み物を楽しんだ後、出発しました。

 西口のすぐ近くにも、池袋の地名の由来を書いた碑がありました。

 

 昔、池袋の周辺に水が湧き出す池があり、そこから雑司ヶ谷の方へ弦巻川がという川が流れ出ていたので、池袋という地名になったという由来が書いてあります。しかし池袋西口は線路にそって南側の方へ行くと階段で降りていくようなすごい坂道があり、周辺に比べて明らかに土地が高いので、池があったのはこの辺ではないでしょう。

 と思って家に帰った後で調べてみたら、地名研究家の谷川彰英先生が「元々の池袋は、本池袋3丁目の池袋氷川神社の辺りだったのでは」と書いているWEB記事を見つけました。前にも書きましたが氷川神社といったら水神ですので、その辺りが水の湧き出る盆地だったのでしょう。何かの機会にぜひ行ってみたいと思います。

 ちなみに谷川彰英先生は私の大学時代の先生です。現在は難病にかかっているとのことですが、それを押して執筆をつづけていらっしゃいます。今また先生に御教示いただくとは何かの縁を感じます。ありがたいことです。

 さて、そこからずっと歩いて、有名な人のお墓があるので有名な雑司ヶ谷の墓地に行きました。都内で有名な人のお墓と言ったら谷中とか青山にもありますが、谷中が大名家や旧華族などの大きなお墓が目立つのに対し、雑司ヶ谷の方はこじんまりとして中産階級のお墓といった感じです。

 ここの最大の目玉は、夏目漱石のお墓でしょう。

 

 夏目漱石の書斎の椅子の形を模したという、両側にひじ掛けのようなものがついた大きなお墓です。明治の文豪の名に恥じない、といえばそうなのでしょう。しかし、私の中では夏目漱石というのは、もうちょっとライトなイメージなのですが。

 たとえば代表作の一つ「三四郎」のあらすじを私流にまとめてみましょう。

 大学に合格して東京へ向かう途中の主人公の少年が、列車の遅延で出会ったばかりの年上の女性と同じ部屋に泊まることになり、誘惑されてドキドキ…。大学では何の役に立つかわからない実験ばかりしている変人の先輩、先輩のかわいい妹、チャラい同級生、先輩の知り合いでツンデレで思わせぶりな美女などに囲まれ、主人公はツンデレ美女に振り回わされた挙句に失恋…。

 という感じで、もうほとんどラノベ(ライトノベル)です。

 夏目漱石が現代日本の小説の文体を確立した偉大な作家であったのは間違いありませんし、私も漱石の作品は全部とは言いませんが、かなり読んでいます。ですが、私は夏目漱石本人は「不朽の名を残す大作家になろう」などとは考えていなかったのではないか? と思います。

 夏目漱石の作品を読むと、様々に試行錯誤しながら小説を書いていたことがわかり、その苦労がしのばれます。しかし、前半と後半で文体が全く変わっているなど粗削りで未完成な感じなものが多く、現代だったら出版社の編集者に滅茶苦茶に直されてしまいそうです。作品のテーマも当時の流行や風俗を取り入れていて、夏目漱石は、読者を楽しませる面白い作品、売れる作品を書くことを第一にしていたと思います。

 今、もし天国の漱石先生の声が聞けたとしたら、「あれ、まだ俺の作品なんか読んでくれているの!?」と言うのではないでしょうか?