4/17 幸手に行ってきました。プチ史跡めぐり2(1)
昨日(4月16日)は本校の開校記念日で学校閉庁日でした。お休みを頂いてのんびり、と行きたいところでしたが、午後に幸手桜高校に出張する予定だったので、ついでに幸手の史跡を見て回ることにしました。(年次休暇取得済みです。念のため。)
幸手は日光街道の宿場町ですが、歩いてみると南北に非常に長いことに驚きます。宿場町の面影を残す風情のある建物も残っていていい感じです。ただ、残念なのは1kmもある宿場にこれらが点在していることです。川越のように一区画にまとまった数の建物があれば、観光資源化できると思いますが…。
古い街らしく、お寺や神社、石碑・石塔の類もたくさん見かけます。道すがら駆け足で見て回ります。
幸手駅から幸手桜高校へ行く途中にある雷電神社です。この神社は別名が「田宮」でこの場所の地名も田宮になっています。境内が思いの外広く、摂社の稲荷の祠や様々な石碑や石塔、力石などが並んでいます。大正時代までは、ここが一体の総鎮守だったとのことですが、なるほど、そんな感じです。
「雷電神社」は北関東にはたくさんありますが、他の地方には殆ど見られない神社です。祭神はまちまちですが、その名の通り雷の神様を祀るところが多いようです。カミナリの閃光は「イナビカリ」ですが、昔はこのイナビカリが、稲の魂を活性化して稲を実らせると考えられていました。ここの雷電神社の祭神は、別雷命、菅原道真、倉稲魂命の3柱だそうですが、納得のラインナップです。
もう一つ、雷電神社の見どころは、写真の石鳥居です。白くてきれいなので新しく見えますが、左側の柱をみると、なんと享保14年と書いてありますから、約300年前に建てられたものです。また「別当龍興山宝持禅寺」と書いてあるので、江戸時代にはこの神社の別当(管理者)は近くにある宝持寺が務めていたことがわかります。この鳥居をみると、江戸時代の仏教と神道が混在していた時代が伺えます。
上で出てきた龍興山宝持寺の門前にある石塔群です。左から3本目までは新旧取り混ぜた庚申塔、4番目は何やら仏様の刻んである石塔、5番目はまた庚申塔、右端の背の低いものは馬頭観音のようです。
4番目を「お地蔵様」としているWEBページがありましたが、頭に螺髪(ブツブツ)をつけているところや、腕の構え方からして、私はこれは「阿弥陀如来ではないか」と思います。私は像容でパッと仏像の種類がわかるほど詳しくないので、間違っているかもしれません。
幸手にはこういう感じの石碑や石塔が他にもたくさんあるようです。またそのうちじっくりと回ってみたいものです。