校長室ブログ

12/9 こんなものを読んできた34 & プチ史跡2 川口の氷川神社

 期末考査も修学旅行も終わったので「こんなものを読んできた」配信再開します。今回は蓑輪諒「うつろ屋軍師」です。歴史小説というジャンルもこれまでにものすごい数の作品が書かれてきたこともあり、最近ではメジャーな人物ではなく、こんな人もいたんだ! というような人物を掘り起こしてくる作品が多くなってきたような気がします。

こんなものを読んできた34(うつろ屋軍師)web.pdf

 「うつろ屋軍師」もそんな作品で、織田・豊臣・徳川と政権が変わっていく激動の時代に、主家である丹羽家を守るために苦闘した江口三右衛門正吉という人が主人公です。この時代には柴田勝家とか石田三成とかの堂々たる敗者もいましたが、そうではなく家や家臣、領民を守るために何としても生き抜こうとした人たちもいました。それも立派な生き方かなと思います。

 さてプチ史跡2は川口市下青木の「鎮守氷川神社」です。先週、川口市立高校に行った際、少し時間があったので西川口から同校まで徒歩で行くことにして、道すがらに寄ってきました。

 

 この氷川神社には初めて行ったのですが、予想以上に立派な(失礼)社殿で、神職の方も常駐しているので驚きました。境内にはたくさんの摂社などがありますが、特に目を引くのは「厄割石」と「神撰田」、「富士塚」でしょうか。

 

「厄割石」は、穴の開いた小さな陶器の玉に払いたい厄を吹き込んで岩にぶつけて割ると厄が払える、とするものです。全国のあちこちの神社にあるようですが、実物を見たのは初めてです。

「神撰田」(しまった!写真がない)ですが、境内に一坪くらいの田んぼが設けてあります。ここで神に供える稲を作るわけですが、神道の源流の一つが稲作にかかわる太陽神や穀物神への信仰があることをうかがわせます。

「富士塚」は、これまでも何回も書いていますが、富士山をかたどった小塚で、富士山を信仰する富士講の人たちが実際に富士山に行く代わりに、これに登ったりしたものです。この神社境内の富士塚は、鳥居から山頂までらせん状に登山道が作ってあり、たくさんの富士講の碑が建てられた立派なものです。

この富士塚の登山道には〇合目をあらわす標柱が立っているのですが、それを見ると寄進者として「新曽村」の○○(ここはよく読めない)と書いてあります。(下の写真の赤丸内)新曽と言ったら、本校の所在地なのですが、思わぬところで新曽の字に出くわしました。

 この神社のある場所は江戸時代には足立郡戸田領下青木村と言われていたところです。荒川に沿って下青木村の西隣は下戸田村、その西側が新曽村でしたから、今は川口と戸田に分かれていますが、昔は地域的なつながりが深かったのかもしれません。

 あとこの付近はびっくりするほど氷川神社が多い地域です。この氷川神社から半径2~3kmの範囲内に、地図上でざっと見ただけで、10(上青木、朝日、元郷、赤井、江戸袋、飯塚、鳩ケ谷、三ツ和、舎人、入谷)もの氷川神社があります。小さなお社なども含めればもっとあるかも知れません。この地域を流れる芝川(新芝川)は今もかなり川幅がありますが、昔は入間川の本流でしたから、いまよりもずっと大河だったはずです。先に挙げた神社はその川が形成した自然堤防上に散らばっています。氷川神社が元は水神信仰の神社であることを示しているように思われます。