1/7 「こんなもの読んできた」36・37 & プチ史跡2(鳩ケ谷探訪
生徒の皆さんは、明日から3学期ですよ。忘れずに学校に来てください。
まず、「こんなものを読んできた」は年末・年始に生徒に配信した36回と37回をまとめて掲載します。
こんなものを読んできた36(誰が勇者を殺したか)web.pdf
さて次は「プチ史跡2」ですが、正月2日に親戚のいる鳩ケ谷方面に行ってきたので、その探訪記です。
鳩ケ谷は今は川口市の一部ですが、昔は日光御成道の宿場として栄えた独自のアイデンティティーを持った街です。戦前に一度川口市と合併しましたが、戦後にまた分離して周囲を川口市に囲まれた状態で存続し、平成の大合併でまた川口市と合併したという沿革を持っています。
まずは、鳩ケ谷の総鎮守氷川神社から。
この神社は応永元(1394)年(室町時代)に創建されたそうですが、社殿も参道も立派で、当日は初もうで客が一ノ鳥居のところから行列をする賑わいでした。氷川神社は埼玉から東京にかけては、たくさんあるのにそれ以外の地区ではほとんど見られません。前にも書きましたが、氷川神社のこのローカル性は、本来、地域限定のローカルな神様を祭る神社だったからだと思います。現在の主神スサノオノミコトは、武蔵国造として出雲系の一族がやってきた後の後付けでしょう。
次は、鳩ケ谷の本通り(御成道)にある十一屋北西酒店です。
宿場町の商家の造りをそのまま残す店舗と蔵は国の登録有形文化財になっています。しかし、今回取り上げたのはそれだけが理由ではありません。
私の地元上尾には、清酒「文楽」の蔵元がありますが、その文楽を作っているのが北西酒造、販売部門が十一屋です。上尾の北西酒造と鳩ケ谷の北西酒店はつまり親戚同士というわけです。鳩ケ谷の十一屋さんは、明治時代に店を構えて今のご主人は4代目とのことです。上尾の北西酒造とはずいぶん前に枝分かれしたことになりますが、いまだに縁がつながっていて、この店で売られている「純米吟醸 鳩ケ谷宿」や「純米吟醸 御成姫」は上尾の文楽の協力で出来上がったそうです。
さらに元をただせば、北西酒造さんの一族は近江から来たようですが、埼玉県の各地の蔵元にはご先祖が近江商人だったというところがたくさんあります。秩父の「秩父錦」の矢尾酒造さんもそうですし、毛呂山の「琵琶のさゞ波」の麻原酒造さんも近江出身です。
いまや、技術的・経済的にすっかり立ち遅れた感のある今の日本ですが、立ち直るきっかけは、こういう日本独自の家業や縁を大切にする風土にあるかもしれない、と思うのですが。
最後は、鳩ケ谷の本町から南に下った八幡木地区の八幡神社です。八幡神社があるので八幡木、なのでしょうが、この辺りは昔は中居村と言っていた所です。こちらは、氷川神社とは違い初もうでの人もおらず静かでしたが、この神社の本殿は側面に施された浮彫が見事です。 三面、全部写真に撮ったので掲載します。
八幡神社は、京都の岩清水八幡宮や鎌倉の鶴岡八幡宮のように、歴代の源氏が尊崇した神社なので、浮彫も源氏ゆかりの「鎌倉繁盛」といわれる組み物の図柄が多いようです。ここの浮彫も一番上が「鶴の放生」、中が「天狗と源義経」、下が「源為朝の土人退治(ポリコレ的にまずそうな表現ですが、ここはそのままで)」で「鎌倉繁盛」のようです。
躍動感のある素晴らしい作品です。作られた当時は彩色されていたはずなので(日光東照宮や妻沼の聖天山のように)さらに見事だったろうと思います。
これは全く何の根拠もありませんが、上尾の向山不動堂や二ツ宮氷川神社の浮彫と作風が似ている気がします。向山不動堂の方は明治に作られ、山田弥吉という職人さんの作品だということがわかっています。
神社の本堂には、こういう浮彫が施されていることが多く(はがされてただの板壁になっているところもありますが)、それを見て歩くのもなかなか楽しいものです。