校長室ブログ

6/3 プチ史跡2(5)古墳のある街(羽生)

 先週は出張の関係で1週間のうちに2回も羽生市を訪問しました。出張の行き帰りに大急ぎでいくつかの史跡を見てきましたので、その成果を発表します。

 まず羽生駅におりますと駅で出迎えてくれるのが、ご当地キャラクターのいがまんちゃん(右)とむじなもん(左)です。いがまんちゃんの元になったのは、饅頭の上にお赤飯が乗っている「いが饅頭」です。何とも言えない不思議なお菓子ですが、私は結構好きですね。

 

 今回の出張の目的地、羽生市民プラザは東口ですが、あえて西口に降り、東亜酒造さんの工場の前を北へ進みます。行田へつながる古い街道に突き当たったところの小高い墳丘の上に保呂羽神社があります。地図では「神社」となっていますが、祀られているのは「蔵王権現」なので神仏習合の山岳信仰の祠です。鳥居などもありません。境内の看板には鎌倉時代の武将和田義盛と絡めた由来が書いてありましたが、名称といい祭神といいこの祠は秋田県の山岳信仰の霊場「保呂羽(ほろわ)山」と関係のあるものでしょう。岩手県内や三陸地方には保呂羽神社が点在し、信仰を集めているようですが、なぜ遠く離れたここ羽生に保呂羽神社があるのかはちょっと謎です。

 

 そこからいかにも昔の街道という感じの道を東に歩き、秩父鉄道の踏切(写真)と東武鉄道の踏切を渡ると、こんもりとした森のある一角が見えてきます。

 

 

 

 

 このこんもりとした森は、それ自体が墳丘長が60m以上もある前方後円墳「毘沙門山古墳」という史跡です。この古墳の前方部の上に地元の様々な神社を合祀した社があり、後円部のふもとに毘沙門堂があり、さらに境内には稲荷社や馬頭観音の石塔などが散在し、さながら「宗教センター」の様相を呈しています。

 古墳の上に神社やお堂が立っているのは、結構よく見られる形で、この近所では羽生市立村君小学校の隣にある永明寺古墳 (墳丘上に薬師堂が立っている)などが有名です。このように古墳の上に神社等が建てられるのは、古墳が何かしらの宗教的畏敬を払うべきものとして地元の人々に扱われてきたためだと思います。ここの毘沙門山古墳の上の社は、明治時代に地元のいくつかの社を合祀して建てられたものということなので、比較的新しいものですが、下の毘沙門堂は建長8(1256)年に北条時頼により創建されたという長い歴史をもつものです。毘沙門堂が創建されたころは、後ろの古墳ももっとはっきり形が残っていたでしょうから、その麓にお堂を建てるということには意図的なものがあったはずです。

 

 毘沙門堂の隣に立っている大きな石碑は、お堂の創建と同じ建長8年に建てられた板石塔婆です。この巨大な石は古墳の石室の天井板を転用したものではないか? と言われています。きれいな緑色の石(緑泥片岩)で明らかに特別な用途のために遠くから運ばれてきたものでしょう。ちなみに板石塔婆としては日本最大とのことです。

 さて、この毘沙門山が古墳なので、さっき見てきた保呂羽神社の墳丘も古墳かな、と思ったら、やはりここも5世紀から6世紀ころに作られた円墳ないしはホタテ貝式古墳だそうです(羽生市のWebページによる)。私の前任地の与野高校にも学校周辺にこれと同じような墳丘の上に神社というパターンのものが密集しています。前任校のブログでこれは古墳群ではないか? と書いたのですが、羽生の例を見てますますそんな気がしてきました。

 ほかにも見どころがたくさんあった羽生ですが、長くなってきたので続きはまた今度にします。