校長室ブログ

2/17 いつの間にか無くなったもの

 今日は本当にとりとめのないことを書きます。

 先日、バス停でバスが来るのを待っていた時ですが、ふと「最近のバスには『ワンマン』の表示がないな」と思いました。割と最近まで、バスの前面、フロントガラスの下の方に「ワンマン」という表示があったような気がするのですが…。

 といっても若い人たちにはそもそも「ワンマン」とは何か? がわからないかもしれません。

 私が幼稚園生のころ(昭和40年代中盤)までは、車掌さんが乗っているバスが残っていました。乗車するときに乗車口で車掌さんに行き先を告げて切符を買い、降りるときは車掌さんに切符を渡す、映画「となりのトトロ」に出てくるようなバスです。それに対し新型の整理券と料金箱で料金を精算する、運転手さんしか乗っていないバスが「One Man(ワンマン)」です。

 私はギリギリ車掌さんの乗ったバスを覚えていますが、古いボンネット型(運転席の前にエンジンルームが飛び出している)から、新型の箱型(今のバスのような形)の車両に置き換わるとともに、車掌のいるバスはどんどん減っていきました。私が小学校の中学年(3年・4年)になるころには、もうワンマンが当たり前になっていたように思います。そうなってくると別に「ワンマン」という表示はいらないはずですが、かなり最近までこの表示は残っていたように思います。

 これらのことを考えるにつけ、私は昔の人の方が今の私たちより優れていたのではないか? と思います。バスに関しても、昔は2人乗務で運転手と車掌の二人に給料を払ってもバス会社の経営が成り立っていたわけです。またバスの路線網も今よりずっと細かく隅々まで走っていました。ところが、ワンマン化により人件費の大幅な節約ができたはずなのに、現在では赤字等を理由にバス路線はずいぶん減っています。自家用車の普及などによる乗客減なども大きいのでしょうが、それだけではないのではないかという気がします。

 そんな感じで、いつの間にか無くなったものを考えていたら、「無人踏切」という言葉も死語だよね、と思いつきました。これもなぜ、「無人踏切」というのか、というと昔は「有人踏切」があったからです。踏切のところに保安員(踏切番)の詰め所があり、人が操作して遮断機を上げ下げするものです。もっともこれは大きな踏切だけで、小さな踏み切りは、遮断機も信号・警報機もなくてレールの間にわたり板が敷いてあるだけでした。

 そんなに高給ではなかっただろうと思いますが、昔は踏切番という職業があり、その分雇用が確保されていたわけです。今でいうワークシェアリングというやつでしょう。それでも世の中は回っていましたし、また遮断機のない踏切が多くても、踏切を渡るときには左右を確認するという常識は、子供が一人で歩けるようになると同時に叩き込まれたので、あまり事故は起きませんでした。注意力や危険回避力といった点でも昔の人の方が優れていたように思います。 

 もう一つなくなったのものといえば、電話のダイヤルです。

 

 ダイヤルとは、日時計の文字盤(サン・ダイヤル)のように、電話機の番号を打ち込む操作部が放射状になっていることからついた名前です。昔の電話はダイヤルの番号が書いてある穴に指を突っ込んで、かぎづめの位置まで回転させて離すと、ダイヤルがばねの力で元の位置に戻り、その時にリレースイッチを番号の回数だけ開閉させることで信号を電話交換機に送っていました。10桁の電話番号を送るのに、30秒以上はかかっていたと思います。

 今やダイヤルはすっかり見なくなり、若い人は操作法もわからないでしょうが、いまだに電話をかけることを「ダイヤルする」と言ったり、コンピュータやスマホの電話回線に接続するためのアプリを「ダイヤラー」と言ったりするところに名残がみられます。

 ダイヤルは今となっては信じられないほどかったるい装置でしたが、その一方でこの時代には、自宅、職場、親戚、仲の良い友人の家、行きつけの店など、よく使う電話番号の10件や20件は、覚えているのが当たり前でした。それに対し、現在はみんなスマホのメモリーに頼ってしまうので、下手をすると自分の家の電話番号も忘れてしまいます。これなども人間の能力の低下と言えるのではないでしょうか。

 世の中が便利になったように見えて、その分人間の基本的な力が低下したのでは、これは進歩と言えるのかな? と思います。