校長室ブログ

8/10 プチ史跡巡り2(茅ケ崎~平塚)

 猛暑だったり、ゲリラ豪雨だったり、台風だったりと今年の夏も大変です。

 前回紹介した剣道に続き、バレーボールの定通大会に行ってきました。結果は他のページで詳報されると思いますが、本校男子バレーボール部は頑張ってベスト8まで行きました。

 大会会場は今年も平塚サンライフアリーナでした。去年、時間と暑さの関係で断念した「馬入川旧橋脚」を今度こそ見てやろう、というわけで、一つ手前の茅ケ崎で電車を降りました。バスがあるはずなのですが本数が少ないので歩きます。日差しは強烈でしたが、寒気団が流れ込んでいるとかで気温はそんなに高くなく、快適に歩くことができました。

 上の写真が橋脚跡です。この橋脚のすぐ向こう側に今も小出川という川が流れていますが、昔はここが相模川(馬入川)の本流だったようです。鎌倉時代の建久9(1198)年に御家人の稲毛重成という人が妻の追善供養のために架けたという話です。すごいですね。奥さんの供養のために今だったら何十億円という規模の工事を行うとは。どれだけ仲が良かったのでしょうか。

 しかし、その橋は鎌倉時代末期に廃絶し、橋の跡は地中にうもれてしまいました。それが大正時代の関東大震災の際に液状化現象で地中から浮かび上がってきたそうです。ただし、上の写真に写っているのは、精巧に型を取って作られたレプリカです。本物はこの真下に埋め戻されています。

 レプリカとはいえ、太い丸太にほぞを切ったような跡が残りなかなかの迫力です。この橋脚からすると相当の長さと幅がある立派な橋だったと思います。ちなみに、この橋の落成式典に招待された源頼朝が、ここから鎌倉に帰る途中に落馬し、それがもとで死んだとされています。そんな橋の橋脚が残っていて見ることができるのですから、何というか感動しますね。

 昔の橋と言えば、琵琶湖から流れ出す瀬田川のかかる瀬田の唐橋が有名です。672年の壬申の乱をはじめ、戦略上の要衝として何度もここを奪い合う戦いが起きています。瀬田川は川幅が広く(100m以上?)流れも速い川です。7世紀という古い時代にそんなところに橋を架けられたのですから、昔の人の技術は侮れません。

 

 さて、ここまでくるともう茅ケ崎~平塚サンアリーナまでの距離の半分くらいは来ているので、国道1号(東海道)沿いに、サンアリーナを目指します。斜め前方に大山が見えます。

 

 大山は関東地方の山岳信仰の中心地のひとつです。古来、大山とか筑波山とか山容の良い目立つ山は、信仰の対象になりがちでした。さいたま市近辺にもこの大山を目指す「大山街道」が何本もあり、庚申塔などの側面に大山への道案内が刻んであるのをよく見かけます。また、自動車に大山にある寒川神社のお守りのステッカーを貼っているのもよく見るので、現代にも大山信仰は生き残っています。

 国道1号(東海道)を歩いていくと、流石、江戸自体の主要街道だけあって道沿いに沢山の石碑、石塔があります。

 

 そのうちのかなりの数が、上の写真の左側のように一つの石碑に二体の像が刻まれた「双体道祖神」です。上尾市やさいたま市近辺では(私の知る範囲では)見たことがない形ですが、ネットで調べてみたら茅ケ崎~平塚あたりの東海道沿いには多いとのことです。なぜか? と言うのはわかりませんが、ところ変われば品変わるで面白いものですね。