1/5 あけましておめでとうございます。&プチ史跡2
みなさん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
正月なので、まず最初に地元上尾の知る人ぞ知る富士山スポットから元旦に撮影した1枚。
朝方、少し雲が多かったのですが、富士山は今年もきれいに見えました。
気が付けば今年は西暦2026年、21世紀の最初の4半世紀が終わりました。私が子供の頃、21世紀は科学技術が発達してどんな夢でもかなう豊かな時代として想像されていました。しかし現実のこの4半世紀では、人権、平等、自由、国際協調などの20世紀後半には誰も否定できなかった建前が、平気で踏みにじられるようになった気がします。
次の4半世紀は、理性や公正といった価値観が蘇る時代になりますように。
さて、今回のプチ史跡2は初もうでにいった上尾の氷川鍬神社からお届けです。コロナですっかり減った初もうで客も今年は完全復活でした。というより前より人出が多いかもしれません。
この氷川鍬神社は上尾駅の近く、昔の上尾宿の中心部にあります。境内はあまり広くないのですが、富士塚や太子碑など史跡や遺物が所せましと並んでいます。今までも順次紹介してきましたが、今回はまだだったものを二つほどいってみましょう。
一つ目はこれ。
「奉納 敷石~」と書いてあるのか読めます。これは敷石供養碑ですね。「供養」というとご先祖様を祀るみたいなイメージがありますが、世のため人のために善行を施し、徳を積むことも供養といいます。このブログでも前に与野の石橋供養碑を紹介しましたが、敷石供養もその仲間です。
次はこれ。「虫火橋建設記念」と書いてあります。横には「埼玉県知事 齋藤守圀 書」とあります。
調べてみると「虫火橋」というのは、上尾(平方地区)ー川越(老袋地区)間の荒川にかかる開平橋の古い名前のようです。しかし、それなら、なぜ平方ではなくここに建っているのでしょう。昭和の初めころまで平方は上尾に負けない町だったので、建てるなら現地に近いそちらの方がよさそうなのに。また齋藤守圀という人が知事だったのは1924年の途中から27年の途中までです。ざっと調べた限りでは、開平橋に関してこんな立派な碑を建てて記念するほどの大きな工事の記録は、この時代には見当たりません。なにか知られざる改修や修繕が行われたのでしょうか。
正月早々、またわからないことに出会ってしまいました。