11/18 祝! 戸邉さん厚生労働大臣賞受賞 プチ史跡巡り2 早川雪洲の机
11月16日(日)に開かれた全国高等学校定時制通信制生活体験発表大会に、本校4年次の戸邉菜月さんが埼玉県代表として出場し、第2席の厚生労働大臣賞を受賞しました。詳しくは追ってほかの記事が出ると思いますが、まずは速報です。
さて、次にプチ史跡巡り2です。
上記の大会のために訪れた六本木のハリウッドビューティープラザのホール前の廊下に、早川雪洲愛用のライティングデスクが置いてありました。黒檀(?)で作られたキャビネットの全体に精緻な彫刻が施された見事な机です。
早川雪洲ってだれ? と思った人も多い(というかほとんど?)と思います。
早川雪洲(1886~1973)は、第二次世界大戦の前からアメリカ映画界で活躍していた日本人俳優です。雪洲は身長171cmと明治生まれとしてはかなりの長身でした。当時はアメリカの白人男性の平均身長も170をやや超える程度だったと思われますので、体格的にも引けを取らず、顔だちも端正で中々のイケメンでした(下の写真の机の上のパネル参照)。1910年代後半~30年代には、白人女性を誘惑する危険なアジア人男性の役どころで大人気だったようです。
私は早川雪洲の出演した映画は、彼の晩年に近い「戦場にかける橋(1957)」しか見たことがありません。この時、雪洲はもう70歳くらいでしたが、厳格だが武士道精神をもった軍人の役を演じ、好評を博しました。
その雪洲の机がなぜ、ここにあるのでしょうか。ハリウッド美容専門学校(メイ・ウシヤマ学園)は1925年創立という歴史ある専門学校ですが、その創始者、牛山清人(*)が、ハリウッドで早川雪洲の付き人をしていたという縁があるようです。牛山は当初、俳優を目指しスタントマンなどをしていましたが、手先が器用でメイクアップが上手だったので、そちらの専門家となり、帰国して学校を開いたとのことです。
それにしても早川雪洲といい牛山清人といい、まだ映画産業が始まったばかりのアメリカに飛び込んで活躍するとはすごいですね。今のすっかり自信を失って内向きになってしまった日本人は明治生まれのバイタリティーを見習うべきではないでしょうか。
(*)本校卒業生もお世話になっているメイ・ウシヤマ学園の創業者を敬称抜きなのは、ちょっと引っかかる感じはあったのですが、100年も前の方なら、もう歴史上の人物(豊臣秀吉とか徳川家康というのと同じ)だろうと思ったのと、「早川雪洲」との記述のバランスをとりました。