校長室ブログ

12/1 プチ史跡巡り2 小鹿野編

 学校の方は今日が期末試験最終日です。2年次生はこの後、修学旅行へ、他の年次の人も冬休みに向けた各種行事に入っていきます。

 この数日、朝夕は冷え込みましたが、空が澄んで日差しの暖かい本当にいい天気が続いています。私が子供のころ”Beautiful Sunday ”という曲が大流行したことがありました。日本語だと「美しい日曜日」となり、私的には「日」という本来抽象的な時間の概念に「美しい」という物質の状態を表す形容詞をかぶせるのは、少し違和感がありますが、昨日などは「それもいいか」と思ってしまうような一日でした。

 さて、先週の金曜日もいい天気でしたが、総合学科校長会のために小鹿野高校へ行ってきました。少し早めについたので、経路上のいくつかの史跡を回りました。

 一つ目は、小鹿野化石館と「ようばけ」です。

 今ではすっかり山地となっている秩父地方ですが、太古には古秩父湾という海でした。秩父からは巨大なサメなど海洋生物の化石が多数出土していますが、最も有名なものがパレオパラドキシアです。パレオパラドキシアは秩父鉄道の蒸気機関車「パレオエクスプレス」の名の由来ともなっている巨大な海獣で、これの化石の復元模型が小鹿野化石館にあります。

 ウイキペディアさんに載っている復元図で見ると手足の長いセイウチのような微妙な格好ですね。まだ完全に海の生活に適応しきっていないような感じです。

 この化石館のすぐ近くにあるのが、「ようばけ」です。「はけ」というのは崖や急斜面のことで、「ようばけ」も赤平川の浸食により形成された断崖で、断面にきれいに地層の重なりが見えます。

 

 「ようばけ」は崩れやすいので近づくのは危険とのことですが、この辺りの河岸の斜面はいかにも化石が出そうなところです。この日も遠足の小学生の団体がネイチャーガイドの人に案内されて化石採掘に出かけていくところと会いました。大正時代には盛岡高等農林学校在学中の宮澤賢治も地質の巡検に来たことがあるようです。

 また私的には「赤平(あかひら)川」という地名が気になります。なんとなくアイヌ語地名ぽい(北海道の赤平市のように)気がして…。小鹿野の辺りは山に囲まれた程よい平地で、古くから人々が住んでいた場所ですから、アカヒラというのもすごく古い地名なのかもしれません。県内には坂戸に「越辺(おっぺ)川」という川もありますが、関東地方にはほかにもアイヌ語語源の可能性のある地名がたくさんあります。

 この日のもう一つの探訪地は知る人ぞ知る「お塚古墳」です。

 こんもりときれいに盛り上がった塚の上に小さな社がある変哲のない小古墳に見えますが、この古墳には「羊太夫の墓である」という伝承があるそうです。「羊太夫」とは何かという話は少し長くなります。

 群馬県吉井町(今は高崎市の一部)にある日本3古碑の一つ、多胡碑の碑文中に、上野国に多胡郡を作り「羊」という人物に与えたと読める部分(異説あり)があります。これが「羊太夫」で、中世の説話集などに、群馬と奈良の都を1日で往復したとか、朝廷に謀反を疑われて討伐されたとかの伝説がのっています。星野之宣のマンガ「宗像教授シリーズ」にも登場し、海外から渡来した胡人(ペルシア人など)の首長だったのではないかという説が展開されています。大変、夢のある話なのですが、私はこの伝説は、史実を反映したものではないと思います。(私がいつでもキワモノの説を支持すると思ったら大間違いですよ!)

 なぜなら、羊太夫の説話がのっているのは中世(南北朝期)から後の文献ばかりで、古代からの伝承かどうかはっきりしないからです。これらの説話は多胡碑の「三百戸郡成給羊成多胡郡」とある部分を「三百戸を郡と成し羊に給いて多胡郡と成せ」と読んだことによるものでしょう。しかし、この部分は「羊を給いて多胡郡と成す」と読む、要するに新設の多胡郡に設立の原資として家畜の羊を渡したという説の方が正しいのでは、という気がします。

 また、郡を任されるほどの人物が「羊」という名前だけで、姓もなく無位無官というのも疑問です。仮に「羊」が無位無官の地方豪族だったとしても、郡を任せる時点で何らかの官に任命するのではないかと思います。そうしたらその任命についても記録したはずです。この碑文の後半には、郡を作る命令をした人の名が出てきますが、こちらは「左中弁正五位下多治比真人」のように詳しく官職・位階・姓を書いていますから…。

 まあ、それはともかく、この小鹿野に「羊太夫」の墓と言い伝えられる古墳がある(群馬県にも「羊太夫の墓」がある)というのが面白いと思います。小鹿野から国道299号をたどればすぐに群馬県の上野村に出ますが、この辺りは古くから「羊太夫」伝説のある上野国との関係の深い地域だったのでしょう。