忙中閑あり~校長室より
4/21 花の季節
先週末あたりから、急に暑くなりました。3月終わりころには、冬のような寒いが続いていた気がしますが、1か月で一気に冬から夏へ早変わりです。
さて、桜が終わったかと思ったら、急に他の花が咲きだしました。1年で最も花のきれいな季節かもしれません。下はこの数日で身近に見かけた花の写真です。
一番上はアメリカハナミズキです。この写真は上尾運動公園周辺で撮ったものですが、戸田のボートコース沿いにもハナミズキの木が植えられていて、5月のレガッタシーズンにはとてもきれいです。
中左はドウダンです。ドウダンを漢字で書くと「満天星」となります。白いはながたくさん咲いているところを夜空いっぱいの星にたとえたのでしょうか。また小さいながらも甘い蜜をもつ花なので、子供のころはこの花をつんで蜜を吸って遊びました。(花の蜜には有毒なものもあるそうです。良い子はうかつに蜜を吸わないようにしてください。)
中右はモッコウバラです。モッコウバラはバラ科ですが、モッコウというキク科の植物もあるので、ややこしいですね。モッコウといえば、織田信長の家紋が木瓜(モッコウ)ですが、これはモッコウバラの方をモチーフにしているようです。
下左は、サツキだと思います(いや、ツツジかも)。私はサツキとツツジの違いがよく分かりません。ネットで調べると花の時期や葉っぱの形などいろいろ書いてあるのですが、読めば読むほどわからなくなります…。また、上の写真のドウダンもドウダンツツジといってツツジの仲間だそうです。現代なら遺伝子解析とかで近縁関係を調べられると思うのですが、これだけ形が異なる花を目で見た形態分析だけで同じ仲間に分類できたのはなぜなのか不思議です。
下右は、ハナニラです。他の植物の陰になるようなところに咲いていますが、涼しげな青紫色がきれいです。ちなみに、このハナニラと食用にする花ニラは別の種類で、こちらのハナニラを食べると中毒するようなので気を付けてください。
こういった花の名前や虫の名前などは昔は図書館へ行って図鑑と首っ引きでないと調べられませんでしたが、今はマイクロソフトのコパイロットやグーグルのジェミニ等のAI(人工知能)のサービスを使えば一発です。この1、2年でAIもすごく精度が上がり、普及してきました。先日もコパイロットに「遠足で動物園に行った作文、書いたのは小学3年生男子で、爬虫類が好き、仲の良い友達はヒロシ君、800字以内」と条件を設定して作文を書かせたら、ほんの10秒くらいでちゃんと小学生っぽい作文を返してきました。
これだけ便利なものを使うな、というのは無理なので、教育の在り方、特に宿題の出し方などは変わらずを得ないでしょう。
4/17 無題
今回はどうにもタイトルをつけにくく「無題」としました。(いつも無題のようなものですが…。)
さて読者案内「こんなものを読んできた」第14回は、今日の夕方配信予定ですが、こちらで先行公開してしまいます。今回紹介したのは、いまさらですが今年で10周年を迎えた「鬼滅の刃」です。この夏にアニメ完結編が公開されますが、それで終わっていくのか、それとも名作定番マンガとして定着するのかは、何とも言い難いところです。
ちょっと前(4/8)に書いたと思いますが、最近、北村薫の「円紫さんと私」シリーズを読んでいます。埼玉(杉戸の辺り?)から都内の私立大学文学部に通う女子大学生の「私」が、大学の先輩である落語家の春桜亭円紫とともに日常生活の中で起きる様々な不可解な事件に取り組むというミステリー小説です。
北村薫は専業作家になる前は、埼玉県立高校の国語の先生だった人です。そのためか作品に出てくる高校や高校生活は埼玉県立高校を彷彿とさせます。「円紫さんと私」シリーズでも、主人公の「私」は同じ市内の男子高とペアになった女子高の出身です。男子高の方は駅前なのに、女子高の方は駅から遠いことに不満を持っているなど、あの男子高とあの女子高であることが、まるわかりです。
シリーズ第3巻「秋の花」の最初の方で、「私」が友人に女子高時代の思い出を語る場面があります。いまから30~40年くらい前(今でもあまり変わっていなさそう)の女子高の雰囲気が、生き生きと語られています。私も若いころ、とある女子高で教員をしていましたが、「秋の花」の「私」は、当時の私のクラスにもいそうな、何とも女子高の卒業生っぽい人物です。そのあたり北村薫の観察力・描写力はすごいと思います。
現在、埼玉県の県立男子高・女子高については、共学化の議論が起きています。その是非については県民の皆さんが決めることですから、私がとやかく言うことではありません。しかし、この北村薫の「秋の花」でも語られているように、女子高や男子高には独特の文化があり、そこならではの人材を輩出してきたのは、事実だと思います。
上の写真は、今回借りた「秋の花」の後ろについている図書カードホルダーです。今は学校図書館でも図書カードなどはなく、貸し出しはコンピューターで管理していますが、返却期限だけはこのように日付印で押しています。
一番下の「25.5.14」は、今回の私の返却期限です。その上が、前の貸し出しですが「13.9.3」となっています。これを見て「へぇー、12年も借りる人がいなかったんだ」と思った方がいるかも知れませんが、そうではありません。上の「13」は、「2013(平成25)年」の下2けたではなく「平成13(2001)年」の13です。
この図書カードホルダーの下をよく見ると「戸田高等学校」と書いてありますので、この本が購入されたのは戸田翔陽高校に変わった平成17年(2005)4月より前です。さらに奥付をみると、この本は1999年の第10刷ですから、2001(平成13)年あたりの購入と見るのが妥当です。つまり、今回の貸し出しは実に24年ぶり、ということになります。
借り手が少なかったせいか、全然汚れていませんし、表紙の高野文子さんのイラストもすっと肩の力が抜けたようなタッチがとてもしゃれた感じで古さを感じさせません。こんないい本が、24年も借りられることがなかったのは、実にもったいない話です。
本の内容を見ると、日本経済が絶好調だった80年代~90年代に書かれた小説らしく、主人公の「私」が頻繁に演劇や落語などを見に行ったり、街の描写にも豊かさが感じられ、社会の雰囲気自体が今よりゆとりのある感じです。主人公の「私」は作品の中では19~20歳くらいの女性ですが、実在の人物だとしたら、私より少し若いくらいですから、今50代後半くらいでしょう。その間に日本の社会はずいぶんとショボくなりました。
4/15 新緑がきれいです
今年度に入ってから、この戸田翔陽高校Webページの更新頻度が高くなっています。先生方がどんどん更新してくれるので、この校長ブログもちょっとさぼっているとあっという間に「新着情報」から脱落してしまいます。
さて、昨日は「対面式」でした。1年次生と先輩たちが顔を合わせ挨拶をする行事なのですが、両方ともちょっと声が小さくおずおずとした感じなのが、ほほえましい感じでした。
今、中庭のドウダンの若葉がとてもきれいです。先週までは茶色っぽかったのに今週に入ってから急にさわやかな緑色になりました。このドウダンの植え込みですが、「TODASHOYO」の文字の形に刈り込まれています。
これは本校が開設されたころの業務主事さんに樹木の刈り込みが得意な方がいて、「ちょっとやってみました」という感じで始めたものが、代々引き継がれてきたものです。あの頃は、校長先生をはじめとして教職員みんなに「新しい学校を作るぞ!」という活気がみなぎっている感じでした。
本校は昨年度20周年を迎え、この春から21年目に入りましたが、開校のころの清新な気持ちを忘れることなく、様々な教育課題に果敢に取り組む学校でありたいと思います。
4/9 入学式でした。
今日は入学式でした。
本校の校歌の「さわやかな日差しに映える 優しい緑に」という出だしがぴったりと当てはまるような好天に恵まれ、233名の新入生が入学しました。
式の最中の写真はありません。私自身が式典に参加しているので…。
式辞では中国の古典「礼記」の「修身斉家治国平天下」という言葉を引いて、一人一人のよりよく生きようとする努力が、やがては世界平和にまでつながる。本校からその第一歩を踏み出してほしい、という話をしました。
この言葉の出だし「修身」は第二次世界大戦前の日本の学校教育の中で道徳科目の名称として使われたため、一部にこの言葉にアレルギーを持つ人もいるようです。しかし、「修身=軍国主義=ダメ」という紋切り型の思考停止をやめて、虚心坦懐にこの言葉を読んでみれば、かなり個人主義的な言葉であることがわかります。
私のイメージなのですが、古代の中国の人々は日本人よりずっと合理的で個人主義的だった気がします。中国思想の太い柱の「儒教」にしても、悪政により天意(人心)を失えば革命が起きて政権交代するという考え方ですし、「三国志演義」などでも、中国の英雄・豪傑たちは、自分の野心や利益に従ってわりと簡単に所属陣営を変えています。「自分の能力を評価して生かしてくれる職場に転職」という感じでしょうか。だからこそダメな主君に仕えて裏切らない諸葛孔明の忠義が光るわけですが…。
4/8 新学期開始! & いつの間にか無くなったもの(4)
今日は1学期の始業式でした。いよいよ新しい年度が本格的に始まります。
本校では明日が入学式ですが、桜の花もこの数日の寒さのおかげでだいぶ葉っぱも出てきたものの、まだ持ちこたえています。
今日の始業式では、「新聞やテレビのニュースを見よう」という話をしました。
最近、新聞やテレビを「オールドメディア」と呼んで、時代遅れな不要な物のように言う論調があります。しかし、これら「オールドメディア」にとって代わるとされるソーシャルネットワークサービス(Xやインスタグラムなど)やネット動画などの新しいメディアの情報の信頼性は低下する一方です。その信頼性の低さが、制作者のうっかりミスや取材力の低さのためならまだ許せます。しかし、現在では発信源が特定されにくいことや、公正さを審査する仕組みが未整備なことを悪用して、故意に虚偽の情報を流す人や団体が増えています。「オールドメディア」では、同じ事件の見方や扱いが会社によって差があることはあっても、芯となる事実そのものには大きな嘘はないと思います。ネットに流布する虚偽や風評に騙されないためには、「オールドメディア」からの情報もしっかりつかんでいく必要があります。
春休みで1週休ませていただいた読書案内の「こんなものを読んできた」第13回を配信しました。今回は春らしい作品ということで北村薫「街の灯」を紹介しました。こんなものを読んできた13(街の灯)Web.pdf
今回「街の灯」を紹介したついでに、北村薫の作品で今まで読んでいなかった「円紫さんと私」シリーズを読み始めました。
今から30年ちょっと前の作品ですが、インターネットも携帯電話もなかった時代の生活は落ち着いていてよかったなと思います。映画を見に行くときはネットではなく情報誌(「ぴあ」とか「シティロード」とか)で上映予定を調べ、スマホで気軽に連絡を取り合うこともできないので、待ち合わせの約束などはしっかりと守らなくてはなりませんでした。そのせいか人と人の間の信頼感が今よりもずっとあった気がします。
またこの作品の主人公の「私」は埼玉(杉戸の辺りっぽい)から都内の大学に通う女子学生です。特に裕福な家の子でもなさそうですが、彼女や友人たちは奨学金の返済やアルバイトに追われることもなく、のんびりとした学生生活を送っていて貧しさの影がありません。世の中全体に今よりもゆとりがあり優しい感じです。
こういった優しさや豊かさも、いつの間にか無くなってしまったものの一つだと思います。
4/1 新年度御挨拶
新年度になりました。今年度もよろしくお願いします。
今日は昨日の続きのはずなのですが、新たに異動してきた方を迎えるとどこかちょっと雰囲気が違います。
さて、先週は温かい日が多かったためが、桜が一気に咲きました(今日は寒いですが…)。昨日ちょっと都内に行ってきましたが、虎ノ門の文部科学省の近くの桜は、もう一部葉っぱが出始めていました。
昔、平安時代に在原業平という人が「世の中に絶えて桜のなかりせば、春の心はのどけからまし(桜の花がなければ春はもっとのんびりできるのに)」と歌を詠みましたが、たしかにこの週末に花見ができるか、また9日の入学式まで桜が持つか、気が気ではありません。
3/31 年度末ご挨拶 & 久しぶりのプチ史跡巡り2
今日で令和6年度が終わり、明日から令和7年度が始まります。
年度末に付き物なのが人事異動です。昨日、新聞で埼玉県の教員人事異動が発表されていました。本校でも他の職場に異動する人が荷物の整理をしていたり、そのほかの人も職員室の模様替えの準備をしていたり、あわただしさの中に寂しさが混じった年度末独特の雰囲気が漂っています。
私は来年度も引き続き本校でお世話になります。一年間ありがとうございました。また来年度もよろしくお願いいたします。
読書案内「こんなものを読んできた」は、春休みにつき今週はお休みさせていただきます。
さて、少し前になりますが3月22日(土)、人に誘われて都内を歩いてきました。その日は日差しが強く半そでのTシャツで歩いている人もいるほどの陽気でした。池袋の西口に集合し軽く食事と泡のでる飲み物を楽しんだ後、出発しました。
西口のすぐ近くにも、池袋の地名の由来を書いた碑がありました。
昔、池袋の周辺に水が湧き出す池があり、そこから雑司ヶ谷の方へ弦巻川がという川が流れ出ていたので、池袋という地名になったという由来が書いてあります。しかし池袋西口は線路にそって南側の方へ行くと階段で降りていくようなすごい坂道があり、周辺に比べて明らかに土地が高いので、池があったのはこの辺ではないでしょう。
と思って家に帰った後で調べてみたら、地名研究家の谷川彰英先生が「元々の池袋は、本池袋3丁目の池袋氷川神社の辺りだったのでは」と書いているWEB記事を見つけました。前にも書きましたが氷川神社といったら水神ですので、その辺りが水の湧き出る盆地だったのでしょう。何かの機会にぜひ行ってみたいと思います。
ちなみに谷川彰英先生は私の大学時代の先生です。現在は難病にかかっているとのことですが、それを押して執筆をつづけていらっしゃいます。今また先生に御教示いただくとは何かの縁を感じます。ありがたいことです。
さて、そこからずっと歩いて、有名な人のお墓があるので有名な雑司ヶ谷の墓地に行きました。都内で有名な人のお墓と言ったら谷中とか青山にもありますが、谷中が大名家や旧華族などの大きなお墓が目立つのに対し、雑司ヶ谷の方はこじんまりとして中産階級のお墓といった感じです。
ここの最大の目玉は、夏目漱石のお墓でしょう。
夏目漱石の書斎の椅子の形を模したという、両側にひじ掛けのようなものがついた大きなお墓です。明治の文豪の名に恥じない、といえばそうなのでしょう。しかし、私の中では夏目漱石というのは、もうちょっとライトなイメージなのですが。
たとえば代表作の一つ「三四郎」のあらすじを私流にまとめてみましょう。
大学に合格して東京へ向かう途中の主人公の少年が、列車の遅延で出会ったばかりの年上の女性と同じ部屋に泊まることになり、誘惑されてドキドキ…。大学では何の役に立つかわからない実験ばかりしている変人の先輩、先輩のかわいい妹、チャラい同級生、先輩の知り合いでツンデレで思わせぶりな美女などに囲まれ、主人公はツンデレ美女に振り回わされた挙句に失恋…。
という感じで、もうほとんどラノベ(ライトノベル)です。
夏目漱石が現代日本の小説の文体を確立した偉大な作家であったのは間違いありませんし、私も漱石の作品は全部とは言いませんが、かなり読んでいます。ですが、私は夏目漱石本人は「不朽の名を残す大作家になろう」などとは考えていなかったのではないか? と思います。
夏目漱石の作品を読むと、様々に試行錯誤しながら小説を書いていたことがわかり、その苦労がしのばれます。しかし、前半と後半で文体が全く変わっているなど粗削りで未完成な感じなものが多く、現代だったら出版社の編集者に滅茶苦茶に直されてしまいそうです。作品のテーマも当時の流行や風俗を取り入れていて、夏目漱石は、読者を楽しませる面白い作品、売れる作品を書くことを第一にしていたと思います。
今、もし天国の漱石先生の声が聞けたとしたら、「あれ、まだ俺の作品なんか読んでくれているの!?」と言うのではないでしょうか?
3/24 修了式・いつの間にか無くなったもの(3)
今日は修了式でした。生徒のみなさんは明日から春休みです。修了式では史記の「桃李言わざれども、下自ずから蹊をなす」という言葉を例にとって話をしました。この言葉は「人格の優れた人の下に、特に言いふらさなくてもは徳を慕って人が集まってくる」ことのたとえですが、今回は「成蹊」の部分から、「人々が少しづつ踏み固めればいつの間にか森の中に道ができるように、毎日少しずつ積み重ねれば、大きな成果を達成できる」という話をしました。
あと読書案内「こんなものを読んできた」の12回目を配信しました。
さて、いつの間にか無くなったものの第3回目です。まずは下の写真をご覧ください。
ちょっと見ずらいかもしれませんが、石碑にみずらを結った古代風の男性の像が線刻されています。これは何かというと聖徳太子の像碑です。これは私の地元、上尾駅前の氷川鍬神社の境内にあるものですが、古くから日本では、聖徳太子そのものを信仰の対象とする「太子信仰」が盛んでした。この神社だけでなくあちこちの寺社の境内に同じような太子像や碑が残っています。
これほど日本人の崇敬を集めてきた聖徳太子ですが、最近の歴史教科書では聖徳太子という名前は登場しません。出てくる場合も「厩戸皇子(聖徳太子)」のような扱いです。
これはなぜかというと、最近、聖徳太子の事績とされることに疑いを持ったり、あるいは存在そのものまで疑うような流行があるからです。これらの説を唱える人には、理由として「聖徳太子の実在を示す同時代の史料がない」と言っている人が多いようです。しかし「同時代史料がない」ということを実在を疑う理由とするなら、現代に伝わる日本最古の歴史書・文献は8世紀初頭に編纂された「古事記」や「日本書紀」ですから、8世紀より前の人物や事件はすべて同時代の史料がなく疑わしいことになります。聖徳太子だけを捏造された架空の人物とする理由にはなりません。
確かに聖徳太子に関わる様々な伝承には、神聖化や粉飾がみられます。みんながわいわいしゃべっているのを聞き分けたという有名な逸話もそうですし、「厩戸」という名前の由来の、母親が馬小屋で産気づいて生まれたという逸話もキリスト教(当時中国に来ていたネストリウス派)の影響があるという説があるくらいです。とはいえ、聖徳太子の没後、早い段階から神格化や太子信仰の芽生えがあったことなどから、偉大な人物としての太子の記憶が当時の人々の中にあったことは確かでしょう。
歴史のイメージというのは確かに改編されることはあります。たとえば坂本龍馬などは興味深い人物ではありますが、冷静に考えれば、幕末の混乱でひと旗上げようとする政治ブローカー、イギリスとつながって武器を売りまくろうとした武器商人だったと思います。ところが司馬遼太郎の「竜馬がゆく」のおかげで明治維新を作り出した英雄のように信じられるようになりました。しかしそれにしても、龍馬の人脈の広さや、さまざまな事件に顔をだす抜群の行動力という芯となる事実があってこその英雄化です。
ですから、聖徳太子についても「十七条憲法」「冠位十二階」などが、全て太子の功績によるものではないとしても、天皇家と蘇我氏の間の難しい関係をうまく保ちながら、政治運営した偉大な皇族政治家であったことは疑いがないのではないかと思います。
根拠のあやふやな批判を真に受けて、長く親しまれた「聖徳太子」の名前が教科書から消されているのは、どうも理解できません。とある教科書会社は「厩戸皇子(聖徳太子)」と表記する理由を、聖徳太子は後世につけられた呼称で、当時はそう呼ばれていなかったから、のように言っていますが、これはものすごくおかしな議論です。後世につけられた呼称というのなら、中国の皇帝で「煬帝」、「玄宗」とかいうのも、日本の天皇で「応神天皇」というのもみんな死後に贈られた名(諡号)です。これらを使わずに楊広とか李隆基とかホムタワケとか言い出したら、大混乱が生じ、歴史嫌いの生徒がどっと増えてしまいそうです。
中途半端な屁理屈を真に受けて、長年親しまれた「聖徳太子」の呼び方を消し去ろうとするのは無理のある話です。
3/17 「梅に鶯?」& 読書案内(11)
昔から春は三寒四温と言いますが、3月に入ってから気温が乱高下しています。みなさんお元気でしょうか。
さて、ここのところ良い匂いを楽しませてくれた梅の花もだいぶ散ってしまいました。梅と言えば鶯(うぐいす)、と言いたいところですが、私は梅の花にウグイスが来ているのを見たことがありません。
上の写真を見ると梅の木にかわいい小鳥がやって来て花やつぼみをついばんでいます。体色はきれいな黄緑で、これぞウグイス色といった感じですが、この鳥はウグイスではなくメジロです。(名前の通り目の周りが白いのが目印です。)本物のウグイスも体色は黄緑色ですが、もう少しグレーがかった渋い色です。それに何よりウグイスはあまり人家の近くには寄ってこない感じです。私の家の近所でも時々、春から初夏にかけて「ケキョ、ケキョ、ホーホケキョ」と鳴いている声は聞こえますが、姿を見たことはほとんどありません。
というわけで花札などにも描かれた「梅に鶯」の図柄は、メジロとウグイスを間違えたものだと思います。またそんなわけで我々が「ウグイス色」といって思いうかべる色も実はメジロの体色に近い色だったりします。
ちなみにメジロは、一本の枝にたくさんの個体が止まって押し合いへし合いする「メジロ押し」という行動をとることがあるそうです。きっとかわいいに違いないと思います。見てみたいですね。
それから、読書案内「こんなものを読んできた」の11回目を配信しました。ミリタリーSFの傑作ジョン・スコルジーの「老人と宇宙」シリーズを紹介しています。こんなものを読んできた11(老人と宇宙)WEB.pdf
3/13 昨日は卒業式でした。
昨日は卒業式でした。1日遅れで何を書いてるんだ、という感じですが、昨日は卒業式が終わったら結構精神的に疲れていたので、なんとなく今日になってしまいました。
私も何年か校長をやっているので、卒業式は慣れているつもりでしたが、戸田翔陽高校の卒業式はかなり他とは違う癖があり、緊張しました。そのせいか、昨日の明け方には、卒業式が終わってほっとした夢を見て目が覚め、「あれっ、卒業式は…まだ終わってないよね。今日だよね」ということがありました。
さて卒業式ですが、式辞では「大人になったら『夢』という言葉をむやみに使うべきではない。いよいよ大人になるみんなは夢を目標に変えて、実現のための計画や手段を考えよう」という話をしました。
卒業生への餞としては、ちょっと辛口のような気もしますが、私は「夢」という言葉が世の中で使われるときは、その甘い響きで何かをごまかしているのではないか、と思ってしまい、「夢」という言葉が濫用されているのは好きではありません。
たとえば、世界には昔から「自分たちの国には、誰にでも大金持ちになれる夢がある」ということを売り物にしている国があります。たしかにその国にはチャンスを生かして大富豪に成りあがった人たちもいます。しかし、みんながそんなチャンスをつかめるわけはなく、その国はものすごい格差社会でもあります。外国のことなので、よそ者の私にはよくわかりませんが、「夢」という言葉で格差への不満が塗りつぶされているのではないかという気がします。
そんな大げさな話でなくても、「夢」ばかり語って、現実的な努力がおろそかにされるのはよくないことだと思います。本校を巣立つ皆さんには、大きな目標をもって、それを現実に変えられる人になってもらいたいと思います。