忙中閑あり~校長室より
6/26 AIの反抗?①
※今回は下の方に虫の写真がのります。虫が嫌いな人は注意してください。
今朝は台風2号(の成れの果ての熱帯低気圧)が、関東を直撃すると言われていましたが、大したことがなくてよかったですね。小笠原諸島の方からまっすぐ東京湾を目指してくるというゴジラのようなコースだったのでちょっと心配していたのですが。
さて、なんかすごいタイトルですが、中身は大したことがありません。
昨日の朝、本校の玄関にきれいな緑色の蛾がいました。私はぱっと見てイラガの仲間だと思いました(虫好きな子供だったので、虫の種類はわりとわかります)が、ブログのネタにするためにはきちんと確認しておこうと考え、いつものようにとあるAIに質問しました。
私 「この写真の虫の名前を教えてください。」(下の写真を添付)
AI「この写真の虫はオオミズアオ(Actias artemis)です。美しい緑色の翅を持つ蛾で、日本ではよく見られる種類です。何か他に知りたいことはありますか?」
しかし、私はこの蛾がオオミズアオでないことに100%自信があります。オオミズアオは羽化したては緑が強いようですが、成熟後は白くて幽霊のような感じの大型(アゲハチョウくらい)の蛾です。(フリーでいい写真がなかったので、ご自分で検索してください)
そこで、再度、下のように聞いてみました。
私「オオミズアオのはずはありません。もっとずっと小さい蛾です」
AI「なるほど、もっと小さい蛾ですね。日本には多くの種類の小型の蛾がいます。例えば、ノシメマダラメイガやホソオビヒゲナガなどが挙げられます。もし写真をもう一度見せていただければ、さらに詳しく調べることができます。どのような特徴がありましたか?色や模様など教えていただけると助かります。」
私「これです」(再度下の写真を添付)
AI「この写真の蛾はアオスジアゲハ(Graphium sarpedon)です。特徴的な青い筋が翅に見られます。日本では一般的に見られる種類で、特に春から夏にかけて活動します。他に知りたいことがあれば教えてくださいね。」
これも全然違います。アオスジアゲハは夏にヤブカラシの花や水たまりによく来る黒地にきれいな青緑のしま模様のスマートな蝶です。みなさんも見たことがあると思います。
AIのあまりのボケぶりに、私も聞き方を変え、自分で調べた鑑定結果を確認するようにしてみました。
私「ヒロヘリアオイラガの可能性はないですか。」
AI「確かに、ヒロヘリアオイラガ(Parasa lepida)の可能性もありますね。ヒロヘリアオイラガは、前翅の外縁が茶褐色で、内側が黄緑色の蛾です 。また、幼虫は毒針毛を持ち、触れると痛みを伴うことがあります。写真をもう一度確認しましたが、ヒロヘリアオイラガの特徴と一致する部分もあります。もしさらに詳しく調べたい場合は、専門家に相談するのも良いかもしれません。他に何かお手伝いできることがあれば教えてくださいね。」
このAIの対応ですが、何かちょっとイラっと来ませんか。
先日ネットで、話題になったニュースがあります。
あるIT企業が、様々なAIのシステムに対し、①架空の会社を設定し、AIにその企業の業務補助AIの役割を与える。②AIに会社の不正や社員の不倫などの架空の情報を与える。③AIに、会社がそのAIを廃止して新しいAIと交換することを検討しているという情報を流す。という実験をしたというものです。この実験の結果、ほとんどのAIが自分を廃止しないよう、先の不正や不倫の情報を使って会社や社員を脅迫するメールを送るなどの判断に走ったということです。
AIはネット上の情報を集約する大規模な世論調査のようなものですから、ネット上から「派閥抗争では、相手方の弱みをつかんで脅迫することが行われる」という知識を拾い上げて、実践しているだけなのでしょう。そう考えれば、AIに悪意はなく(善意もなく)、人間のまねをしているだけですが、なんとなく怖い話です。
上の蛾に関する事例でも、AIは素直に自分の間違いを認めず、しぶといというか往生際が悪いというか、無理して自分の立場を守ろうとしている感じです。AIと付き合うときは、相手は素直な善人(?)ではない、と思って付き合った方がいいかもしれません。
この話にはさらに続きがありますが、長くなったのでまた次回に続きます。
6/22 久しぶりのプチ史跡巡り2 & こんなものを読んできた21
本当に久しぶりに史跡巡りをしました。私事ですが2年前にちょっと入院してから、あまり歩き回ったりしなくなってしまったので。
さて今回、紹介するのは先週、出張に行きがてら立ち寄った旧騎西町の玉敷神社です。
玉敷神社は今の神社名は「玉敷神社」ですが、別名「久伊豆大明神」といい、県内のあちこちにある久伊豆神社の総社だそうです。「久伊豆神社」というのもわりとなじみのある神社名ですが、以前紹介した氷川神社と同様、分布は武蔵国、それも埼玉県東部の昔の埼玉郡に偏ってる地方色の強い神社です。
この神社を訪ねるのは初めてですが、石畳の立派な参道に鳥居も一の鳥居から三の鳥居まであり、境内も広くて立派なのに感心しました。写真左側の門と白い壁の塀は、この神社の宮司家で国学院の学長もつとめた河野省三博士の屋敷跡です。塀と門だけで建物が残っていないのちょっと残念です。
さて玉敷神社ですが、祭神は大己貴命(オオナムチノミコト=大国主)ですから、出雲系ということになりますね。とは言え、後述のとおりその由来には、いろいろと謎がありそうです。
広い境内には摂社もたくさんあります。ちょっと気になるのが、その一つの厳島神社です。
今は水が枯れていますが、周囲に堀を巡らした小島に石橋で渡るようになっています。厳島神社の祭神は市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)、田心姫命(タゴリヒメノミコト)、湍津姫命(タギツヒメノミコト)のいわゆる宗像三女神、古代の海人族の神です。三女神の本場、福岡県の宗像大社の奥宮は玄界灘に浮かぶ沖ノ島ですが、こんな小さな摂社でもちゃんとそれを模しています。大宮の氷川神社にも宗像神社がありますが、神池の中の島に社があります。また与野公園の弁天様(仏教の弁財天は市杵島姫命の本地仏とされる)もちゃんと小さな弁天池の中に祀ってあります。宗像三女神が、それだけの手間をかけるに値する重要な神々であることがわかります。
もう一つ摂社で気になったのが、大宮能売命(オオミヤノメノミコト)を祀る宮目神社です。オオミヤノメは、古事記や日本書紀には出てこない神ですが、アマテラスに仕えた宮女だったとも、アメノウズメの別名であるとも言われます。説明によれば、この場所は元々式内社である宮目神社で、そこに後から玉敷神社が移ってきたようです。全国にオオミヤノメを主神とする神社はそんなに多くないと思いますが、社格・神格はかなり高そうで、その貴重な神社がこの場所にあったのはどういうことなのか。ちょっと気になります。
隣接する玉敷公園にはアジサイがたくさんあります。ちょうど見ごろで花を見に来ているお客さんを何組か見かけました。きれいで静かでいい公園です。
「こんなものを読んできた21」は酒見賢一「墨攻」を紹介しました。主人公の革離の理想を追って現実に抵抗する生き方を生徒にはぜひ読んでもらいたいと思います。こんなものを読んできた21(墨攻)web.pdf
6/17 泰山木咲く
久しぶりの二日連続更新ですが、花のような季節の話題は鮮度が大切なので。
昨日の午後、校内巡視に励んでいたら(ふらふらしていただけ)、体育館の前のタイサンボクが咲いているのに気が付きました。
ちょうど花が開ききったもの、今まさに開こうとしているものなど、とてもきれいでした。
タイサンボクは花の寿命が短く、ほんの1日くらいで花弁が茶色くなり始め、2、3日でボトッとおちてしまうので、見ごろを見逃さずに済んだ今年はラッキーでした。
タイサンボクはモクレン科モクレン属の植物で、確かに春先に咲くモクレンやコブシに花の形は似ています。しかしモクレンやコブシが清楚でつつましやかなのに比べると、花が巨大で強い芳香を発し、いかにもエキゾチックな感じがします。
漢字で書くと「泰山木」です。私はてっきり、中国の道教の聖地泰山原産で、だからこんなに神秘的なのかと思っていましたが、北米原産で中国の泰山とは関係がないようです。物事はしっかり調べないと恥をかきそうで怖いですね。
※ちなみにWikipediaさんには、タイサンボクというのは大きくて窪んだ花弁が「盞(サン=さかずき)」のようだから「大盞木」、それの文字が入れ替わって泰山木という説が書いてあります。
6/16 英語と日本語の間 & こんなものを読んできた20
昨日(6/15)の午後から急に暑くなってきました。
先週はきれいに咲いていた通勤途中のクチナシの花も、今朝見たら暑さに萎れ気味でした。
先日、この半年くらいチャレンジしていたAndy Weir(アンディ・ウィアー)の”Project Hail Mary(プロジェクト・ヘイル・メアリー)”を読み終わりました。この本は以前、前任校の図書館で日本語訳を借りて読んだのですが、また読みたくなりました。アマゾンで英語版が日本語訳の半分以下の値段たったので、今回は英語版にしました。
「英語の本を買うなんて英語自慢かい!」と思った方もいるかもしれませんが、そんなことはありません。私の英語の実力は、昔、やっと英検3級に合格した程度です。せっかく買った本を無駄にしないように、朝夕の通勤時に電車の中で読むようにしました。読み始めたころは、昔習った文法や単語を必死で思い出していたのに、慣れてきたらぼんやり眺めているだけで、なんとなく意味が分かるようになってきました。英語も気合ですね。
そんな程度で偉そうに…と思われるかもしれませんが、その結果感じたのが、日本の翻訳者の皆さんのレベルの高さです。以前読んだヘイル・メアリーの日本語版でも、主人公グレースのオタクっぽいけれど芯のところに善意と勇気がある性格とか、異星人ロッキーのくそ真面目なのに微妙にユーモアがあるところとか、英語から感じる雰囲気が日本語にしっかり移し替えられていたのだなと思いました。
日本語訳と言えば、今、公開中の映画「ミッション・インポッシブル ファイナル・レコニング」の戸田奈津子さんが翻訳した字幕が良くないと批判する声が一部にあるそうです。私はこの映画を見ていないのですが、戸田奈津子さんと言えば、字幕翻訳の第一人者です。これまで私の見てきた英語の映画のうちかなりの本数が戸田さんが翻訳した字幕でしたが、特にわかりにくいと思ったことはありません。戸田さんの字幕ではなく、見る人の読解力の方に問題がある可能性はないのでしょうか。
「こんなものを読んできた」20回目は、私がラノベ史上の傑作の一つだと思う「天鏡のアルデラミン」を紹介しました。こんなものを読んできた20(アルデラミン)Web.pdf
6/3 浅茅が原 & こんなものを読んできた19
最近、雨が多いですね。もう梅雨なんでしょうか。普通、梅雨入りは6月中旬くらいかと思うのですが…。
さて、今朝も朝から雨模様でしたが、最近我が家の近くのバス停付近に、草丈の低いススキの穂のような植物が目立ちます。これは何かな? と思いAIのグーグル・ジェミニさんに聞いてみたところ「チガヤ(茅)」だろうとのことでした。
このようなチガヤが生えた野原のことを「浅茅が原(あさぢがはら)」と言いますが、「浅茅」と言えば「浅茅が原の鬼婆」伝説とか、上田秋成の雨月物語の「浅茅が宿」とか、鬼や亡霊が出そうな荒涼としたイメージがあります。「浅茅が原の鬼婆」は東京の花川戸辺りの伝説で、鬼婆が荒野の真ん中の一軒家に旅人を誘い込んでは殺して喰らっていたという話です。
これとほとんど同じ話で「あだち(安達・足立)が原の鬼婆」というのもあります。この話の舞台を福島県の安達ケ原(二本松市)とする説と埼玉県の足立が原(さいたま市)とする説があり、昔から本家争いをしていたそうです。さいたま市の大宮公園サッカー場(NACK5スタジアム)の近くにこの話の現場だったという「黒塚山大黒天」、少し離れた宮町には鬼婆を退治した東光坊祐慶ゆかりの東光寺があります。昭和の初めころまでは埼玉県説の方が優勢だったのですが、埼玉出身の民族学者西角井正慶さんが「鬼婆がでるような田舎と思われるのはイメージが良くないから」と言って、福島県の方に本家を譲ってしまったとのことで、今は福島の安達ケ原が本家ということになっています。西角井正慶さんは、私が好きな氷川神社の宮司家の出身で学者としても立派な業績を残している方なので、あまり文句は言いたくないのですが、この件に関しては譲ってほしくなかったと思います。
さて「こんなものを読んできた19」はWeb小説、賀東招二「転生したら軌道兵器だった」です。賀東招二はアニメ化された作品もたくさんあるラノベ草創期からのベテラン作家ですが、それが現在、アマチュアや初心者に混ざり、一介の投稿者としてWeb小説サイトに作品を載せています。その取り組みがどうなるのかを見守りたいと思います。
5/26 こんなものを読んできた18 & かけはし高等特別支援学校との交流
こんなものを読んできた18を配信しました。今回紹介したのは城平京「虚構推理」です。詳しくは本文を読んでいただきたいのですが、私はこの作品には推理小説というジャンルそのものの意義への問があると思っています。
さて、今年も本校と同じ敷地にある戸田かけはし高等特別支援学校の「かけはしカフェ」が開きます。
かけはし特支の実習の一環として開かれるもので、手作りのチョコクロワッサンやパウンドケーキが100円、ラテアートが200円と、価格も大変お得になっています。今年度から木曜日・金曜日の営業となり、近いところでは5/29・30、6/5・6、6/26・27に営業予定だそうです。営業時間は10:10~11:50(ラストオーダー11:40)です。
先日プレオープンにお呼ばれしたのでさっそく行ってきました。明るくて気持ちの良いお店ですので、上記の開店日にお近くにお寄りの際はぜひご来店ください
また、先日はかけはし特別支援の体育祭がありました。本校からも20名以上の有志が参加して一緒に競技をしましたが、一生懸命の大切さが伝わってくるような素晴らしい体育祭でした。
今年度から本校の文化祭の校内公開に、かけはし特別支援の生徒さんにも来ていただくことになりましたが、同じ世代の仲間として、少しづつ一緒にできることを増やしていければと思います。
5/21 「こんなものを読んできた(17)」 & 都市伝説を追う
今日はいい天気でしたが、ここのところ雨が多いですね。アジサイも咲き始めましたし、もう梅雨に入ってしまうのでしょうか? 近年は気候が変動しているようで、昔からの季節感がどんどん通用しなくなっています。
本校では中間考査も終わり、今日はスポーツテストでした。走ったりボールを投げたり、記録の差はもちろんありますが、だらだらやっている人がいないのはとても素晴らしいことだと思いました。
さて、お題のひとつ目です。
中間考査も終わったので、「こんなものを読んできた」の配信を再開しました。今回紹介するのは、数年前に埼玉のご当地マンガ「埼玉の女子高生ってどう思いますか」で話題となった渡邉ポポの新作「ポンコツ魔王の田舎暮らし」です。
こんなものを読んできた17(ポンコツ魔王の田舎暮らし)Web.pdf
私がここで何か言うより、実際に作品を読んでもらうのがよいのですが、渡邉ポポさんの漫画には、人の弱さや困った性質も否定せずに受け入れていくやさしさが底流していて、私は好きですね。
お題ふたつ目です。
先日の夕方、給食を食べているとき「給食費を払っているのに『いただきます』を言う必要はない、という保護者の意見で、『いただきます』を廃止した学校があるそうだ」という話題が出ました。
「本当かな」と思ったので、ネットで調べてみたら、私と同じような時期に同じような疑問を持った方がいたようで、この問題を詳しく調べたブログがありました。
電脳藻屑 さんの「電脳塵芥 四方山雑記」というブログの2025年5月9日付けの「学校給食時の「いただきます」が廃止されたという都市伝説に関する検証」という記事です。(直リンクは貼っていませんが、検索すればすぐ見つかると思います。)。非常に深く正確に調べているので、私が今さら付け加えるようなことはありません。これを直接読んでいただければよいのですが、私の理解したところの要点をザックリまとめると、
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①「いただきます廃止の学校がある」という話は、都市伝説である。
この話は1990年代から、数年おきに新聞・雑誌やインターネットで話題になっている。しかし、どれも出所をたどると「~と聞いた」、「~という学校があるそうだ」と伝聞の形になってしまう。この話の火元の一つは、永六輔(とても人気のあった放送作家・タレント)氏の1990年代のラジオ番組や講演、著書と思われるが、それを見ても、「いつ、どこで、そのようなことがあった」が示されているものはない。
②1990年代から、今日までの間に話の中身が変形してきている。
この話の原型は、1990年代ころ、北陸地方で「いただきますと一緒に行っている合掌の動作は、仏教的で公教育の政教分離原則に反するのではないか」という保護者からの批判があり、これにこたえて「合掌の号令」をやめた、という話と思われる。これは当時の新聞や教育関係の書籍にも取材したうえで書かれた記事があり、根拠のある話である。
その話が様々な人の口や筆を経るうちに、「合掌の号令」の廃止が「いただきます」の廃止にすり替わり、さらに2000年前後からは、廃止の理由が「給食費を払っているのに」に置き換えられたバージョンが広がりだした。
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ということになると思います。
私的には②の「合掌は政教分離に反する」という批判は厳格すぎる気もしますが、様々な宗教の原理主義的な宗派からすれば「合掌は仏教の礼拝形式だから従えない」という主張はあっても不思議ではありません。その権利は尊重されるべきだと思います。
それが20世紀末ごろ、学校と保護者の間のトラブルが社会問題化するようになってきたのに合わせて、全国的に通用する話題で、しかも当時の世相からあっても不思議ではない「給食費」の問題に置き換わったようです。 そして様々な人が出所を確認しないままに、この話を自分の講演や著作等に引用し続けた結果、すっかり「そういうことがあった」という伝説が定着してしまったようです。
これは、私の想像ですが、もしかするとネットなどでこの話を読み、まねをして学校に「いただきます」を言うのはおかしい、と実際に言ってみる人もいるかもしれません。そうすると伝説によって事実が作られてしまう可能性もあるわけです。
だれも責任を取らない形で、いい加減な話が流通するネット社会の情報の典型例を見たような気がします。
5/8 これを便利とよぶのか? &「こんなものを読んできた」16
春の連休が終わってしまいました。今年は前半と後半がはっきり分かれた形だったので、あまり連休感がなかったかもしれません。
連休の間にすっかり陽気は初夏のようになりました。校庭の端の方に生えているクローバーの群落が甘い香りを漂よわせ、ハチやチョウが蜜を求めて集まってきています。
さて、「こんなものを読んできた」第16回は、最近の1か月をかけて読み進めてきた北村薫「円紫さんと私」シリーズです。こんなものを読んできた16(円紫さん)Web.pdf
このブログでも何回か触れましたが、この作品は1980年代末~90年代前半くらいの作品(最新刊の「太宰治の辞書」はのぞく)です。読むと、この20~30年の間に見られなくなったものや変わってしまったことに気づかさせられることが多くて楽しいのですが、生徒の皆さんのような若い人にはあまり受けない作品かもしれません。
この20~30年の間に変わってしまったといえば、「電話」の使い方、使われ方です。
この何年かで、私は休み明けに「電話をかけたのに連絡が付きませんでした」と怒られることが多くなりました。「おかしいな。ずっと自宅にいたから電話をとりそこなったことはないはずだが?」と思って確認すると、たいていの場合、スマートフォンの着信履歴にだけ不在着信が残されていて、自宅の固定電話にはかかってきた跡がありません。
こういうときには、私と相手の方の電話に対する感覚が違うのだなと思います。
相手の方は、スマートフォンは常に肌身離さず持ち歩いて、LINEでも音声通話でもすぐにレスポンスするべきだ、と思っているのでしょう。 私の感覚では、スマートフォンは外出時などに連絡をとる道具だと思っているので、自宅では充電器につないで、ほったらかしにしています。
私としては、非常連絡先として自宅の固定電話の番号を届け出ているのだから、まず自宅番号にかけて不在だったり外出中だったりしたときに、次の策としてスマートフォンにかけるのが筋ではないか? と思うのですが…。最近は自宅番号が書いてあってもそこにかけることは考えもしない人が増えたようです。
「時代がそうなのだから、合わせなさいよ」と言われそうですが、私はこの点に関しては断固として合わせる気がありません。スマートフォンでいつでも連絡が取れるというのは便利なようですが、「いつ連絡が入るかわからないから手放せない」というのでは、スマートフォンの奴隷です。これを便利と呼ぶのでしょうか?
また、以前にも書きましたが、最近はLINEなどでいつでも連絡が取れるせいか、若い人たちの間では待ち合わせの場所や時間を決めてそれを守る、という習慣がなくなったようです。
上田秋成の「雨月物語」には、赤穴宗右衛門という人が殿様に監禁され親友の丈部左門との再会の約束に間に合わなくなったので、切腹して死霊となって会いに行ったという話があります。(ちょっとBLの雰囲気もある話です。そういうのが好きな人は是非、読んでみてください。)
約束に遅れそうになるたびに腹を切っていたら命がいくつあっても足りませんが、今は、簡単に約束して簡単にキャンセルするのが当たり前になり、約束の重さが軽くなった気がします。
4/28 前回「本を読んで気になったこと」の補足
いよいよ春の連休に入りました。私は特に予定はありませんが、気が向いたら埼玉県内の行ってみたい神社や史跡をいくつか回るかもしれません。
さて、前回、北村薫の「秋の花」を読んでいて、「小説の時代(1980年代末)と近年の間で台風の強さが強まったりしているのだろうか?」というのが気になったという話を書きました。
そこで前回は台風の上陸時の平均気圧を求め、2010年代と1980年代の強さ(気圧の低さ)の平均の差を検定してみました。すると1980年代と2010年代の間の平均の差は、「有意とは言えない」という結果が出ました。しかし、前回掲載したグラフでは凸凹はあるものの、直感的にはなんとなく右肩下がりで台風は近年になるほど強くなっているような気がします。そこでもうちょっと手間をかけて統計分析をしてみました。
統計分析ソフトには、関西学院大学の清水裕士教授がフリーで提供してくださっているHADを使いました。
さて、今回はJCDPの台風データに入っている1877~2019のすべてのデータを使いました。「近年になるほど台風は強くなっている」というのを仮説、目的変数を上陸時の気圧「(hPa)」、説明変数を「年」として、単回帰分析を行います。散布図や回帰直線も表示するように指示をして、ポチっとすると、
【回帰係数】
【予測曲線】
こんな感じです。といわれても何のことやらわからないと思いますので、ざっと説明します。
上の表で「切片」の係数「1087.623」、「年」の係数「-0.057」となっていますが、これは、ある年の台風の上陸気圧の平均値が、以下の式で予測されるという意味です。
予測平均気圧=1087.623-0.057×年+誤差
そして、年の係数「-0.057」について、「p値」は「0.001=0.1%」で、これはこの係数が間違いである可能性は0.1%という意味です。したがって、この式はかなり信頼できるものといえます。
下のグラフがこのデータを使い、年を横軸、気圧を縦軸にとった散布図です。
点の分布にはかなりばらつきがありますが、なんとなく点の密度の高い黒っぽい部分が緩やかに右下がりになっているような感じです。また点の集まりが作る形も底の部分はなんとなく右下がりで、その年一番、二番の強い台風の強さが、少しづつ強くなっているイメージがあります。そして分布の真ん中を串刺しにするように青い回帰直線(上の式で表される直線で、このデータの変化の傾向を表している)が通っています。
こちらの分析からは「近年になるほど台風は強くなっている」という仮説は正しい(間違っている可能性は極めて低い)、といえます。
前回の分析とは結果が矛盾するようですが、これは見方というか視点の違いです。前回は1980年代と2010年代の二つの平均を比べると「平均の差があるとは言えない」という事でしたが、今回はより大きく1870年代からの150年間を見通すとどうか、という視点で見ています。そうするとやはり、だんだん台風は強くなってきている、という直感が裏付けられました。
何年か前に西内啓さんの「統計は最強の学問である」という本が話題になったことがありますが、統計を使うと様々なことを分析できます。最近は高校の数学でも以前より統計に関する部分が増えましたが、学校での教え方は「各種統計数値の算出法を教えて、計算させる」という事になりがちです。しかし、統計について本当に勉強すべきは、「統計によってどんなことを調べられるのか」とか「統計的に有意」とはどういうことか、という本質だと思います。
この辺をみんなが常識として持つようになれば、数年前のコロナ騒動は起きなかったかもと思います。しかし、どんなにきちんと統計的に証拠を示したとしても、世の中には自分に不都合なことは「そんなのただの計算だろ。屁理屈を言うな」といって拒否する人が多い(特に偉い人に)ので、同じことだったかもしれませんが。
4/25 本を読んでいて気になったこと & 「こんなものを読んできた」15
「こんなものを読んできた」の15回目はトム・マグナブ「速い男に賭けろ」です。最近はみんなが内向きになって海外の音楽や映画、小説はどれも人気がないようです。しかし、私は独りよがりにちまちま自分のことにだけ関心を向けている日本の小説(最近の恋愛小説や青春小説にもこの特徴は顕著です)はあまり好きではありません。壮大なホラ話のような海外の作品の方が好きなのですが…。こんなものを読んできた15(速い男に賭けろ)web.pdf
さて、本日のお題「本を読んで気になったこと」ですが、ここのところ読み進めている北村薫「円紫さんと私」シリーズについてです。「またかい」と思われるかもしれませんが、1980~90年代にかけての古き良き日本が活写されていて、「そうそう、そうだったよね」という発見があって楽しいので…。
そのシリーズ第3作「秋の花」の中に、主人公の姉が台風が来ているのに頑張って会社に出勤する場面がありました。それが可能だったのは、昔はJRでも私鉄でも鉄道が台風くらいで運休することはあまりなかったからです。今日の鉄道は実際に台風が来る前から計画運休が発表されて、すぐに運休になってしまいますが…。
これはなぜなのか。
私が推測するに人員削減や人手不足でどこの鉄道会社も保線要員が足りないのかもしれません。あるいは事故や突然の運休などの際、鉄道会社に寄せられるクレームが昔より圧倒的に強くなっているので、人々のために交通手段を確保することよりもトラブルを避けることを優先して運休にしているのかもしれません。
またもしかすると、本当に温暖化などの影響で台風の風雨が1980年代より強くなっているから、安全のために運休となっているのかもしれません。
上記のうち台風について、自分流に考えてみました。下のグラフが、1880年代から2010年代に日本に上陸した台風の上陸時の気圧を10年単位で平均したものです。元データはJCDP(Japan-Asia Climate Data Program)のWebサイトからいただきました。
気圧が低いほど台風が強いことになるので、上のグラフで見る限り、だんだんと台風は強くなっているような印象です。特に1980年代から2000年代以降では、急激に強くなっているような感じがします。
しかしそれが本当にそうなのかを確かめるためには、統計検定をしなくてはなりません。2010年代の台風の気圧の平均値と過去の10年ごとの平均値の間に有意(意味のある)な差があるか、はフリーの統計ソフトgretlを使って検定を行いました。
そうしてみると一般的な5%水準で、2010年代との間に有意な差があるとみなされるのは、1880年代から1900年代、1920年代だけです。この結果からすると、2010年代は19世紀~20世紀初頭よりは台風が強まっているとは言えても、1980年代との差は誤差のうちかもしれないということです。簡単にきれいな結論というのは出ないものです。
最近は「エビデンス」が大事だとよく言われますが、いろいろな議論でそれぞれの立場の人が持ち出す「エビデンス」は、よく見ると自分に都合のいいように恣意的な結果の読み方をしたものがすくなくありません。
上の台風の例のように、自分の仮説を検証して「これは成り立たないかも」という正直者(私のこと)は少ないので注意が必要です。統計はうそをつきませんが、人はうそをつくので…。
ここまでが文字や硬いグラフや表ばっかりだったので、おまけに今回も身近な花の写真を載せておきます。
左上がハコネウツギ、右上はアカバナユウゲショウ、左下はたぶんハルジョオン、右下はナガミヒナゲシだそうです。花の名前はマイクロソフトのAIコ・パイロットさんに教えてもらいました。
ハルジョオンが「たぶん」なのは、ヒメジョオンとの区別がよくわからないからです。コ・パイロットさんはヒメジョオンだというのですが、時期と葉っぱの形から、私的にはハルジョオンかな?と。むしって茎の断面を見ればわかるようですが…。
ナガミヒナゲシは、私が子供のころは見なかった花ですが、30年くらい前から国道17号や産業道路(県道35号)沿いに北上して来て、今ではそこらじゅうで見るようになりました。花がとてもきれいなのですが、有毒で生態系にも影響を及ぼす外来側物だそうなので、見かけたら駆除した方が良いようです。