校長室ブログ

忙中閑あり~校長室より

11/25 明日から期末テスト & 嫌いな言葉「タイパ」

 早いもので明日から期末考査です。翔陽生のみなさんは、勉強もさることながら、かぜやインフルエンザにかからないよう注意してください。試験で最も大事なことは休まないことですから。

 試験前なので「こんなものを読んできた」はお休みです。いろいろあって中間~期末にはあまり配信できませんでした。試験後は冬休みに向けて再開するべく、少し書き溜めておこうと思います。

 さて、本日のお題の2つ目は「嫌いな言葉」シリーズです。前から時々、嫌いな言葉については触れていましたが、ついに待望(誰が待望しているのでしょうか?)のシリーズ化です。その第1弾は「タイパ」です。

 タイパはタイムパフォーマンスの略で、Cost Performanceから派生した和製英語です。

 私はこの言葉を使う人を信用しません。仮に初対面の人がこの言葉を使ったとしたら、もう永久にその人を信用しないでしょう。

 この言葉のシンプルな意味としては「時間当たりの効率」ということでしょう。その意味で使われているのであれば、この言葉には特別な意味合いはありません。しかし、実際に使われる場面としては、手間がかかったり困難が予想される仕事から逃げる言い訳として「そんなタイパの悪い仕事はやっていられない」という感じに使われることが多いと思います。

 ちゃんとした仕事にはしかるべき手間と時間がかかるものです。たとえば伝統工芸の漆塗りのような仕事では、下地から仕上げまで何度も漆を塗り、磨き、また塗り重ねるという手間と時間が必要です。手間を惜しんで、1回で分厚く塗るというわけにはいきません。それと同様に、どんな仕事でもきちんと仕上げるにはそれなりの手間と時間が必要です。

 もちろん私も、手間がかかるだけの無駄な仕事(ブル・シット・ジョブ)がいいというつもりはありません。同じ仕事なら短時間で片付けたほうがいいでしょう。

 しかし、上記のような名人と言われる職人さんの仕事には、そもそも無駄な動作がありません。毎日何百回何千回と繰り返して最適化された動作で複雑な工程をよどみなくこなしていきます。そうなるためには何年にも及ぶ修練が必要です。職人の仕事に限らず、そういった地道な努力に耐えられる精神と覚悟のない者が、自分にはできない言い訳として「タイパが悪い」と言っている気がします。「タイパ」という言葉の実際の使われ方にはこういったニュアンスが漂うようで、その品性の低さはまさに唾棄に値します。

 勉強などでも、同じことが言えます。私の経験では「いい参考書」「いい問題集」、「能率の良い勉強法」を探し回っている人ほど、勉強はできないものです。まず手元にある教科書をよく読む。今持っている問題集を繰り返し解いてみるのが、最も早い成績アップの道だと思います。

 

11/18 祝! 戸邉さん厚生労働大臣賞受賞 プチ史跡巡り2 早川雪洲の机

 11月16日(日)に開かれた全国高等学校定時制通信制生活体験発表大会に、本校4年次の戸邉菜月さんが埼玉県代表として出場し、第2席の厚生労働大臣賞を受賞しました。詳しくは追ってほかの記事が出ると思いますが、まずは速報です。

 

 さて、次にプチ史跡巡り2です。

 上記の大会のために訪れた六本木のハリウッドビューティープラザのホール前の廊下に、早川雪洲愛用のライティングデスクが置いてありました。黒檀(?)で作られたキャビネットの全体に精緻な彫刻が施された見事な机です。

 早川雪洲ってだれ? と思った人も多い(というかほとんど?)と思います。

 早川雪洲(1886~1973)は、第二次世界大戦の前からアメリカ映画界で活躍していた日本人俳優です。雪洲は身長171cmと明治生まれとしてはかなりの長身でした。当時はアメリカの白人男性の平均身長も170をやや超える程度だったと思われますので、体格的にも引けを取らず、顔だちも端正で中々のイケメンでした(下の写真の机の上のパネル参照)。1910年代後半~30年代には、白人女性を誘惑する危険なアジア人男性の役どころで大人気だったようです。

  

 私は早川雪洲の出演した映画は、彼の晩年に近い「戦場にかける橋(1957)」しか見たことがありません。この時、雪洲はもう70歳くらいでしたが、厳格だが武士道精神をもった軍人の役を演じ、好評を博しました。

 その雪洲の机がなぜ、ここにあるのでしょうか。ハリウッド美容専門学校(メイ・ウシヤマ学園)は1925年創立という歴史ある専門学校ですが、その創始者、牛山清人(*)が、ハリウッドで早川雪洲の付き人をしていたという縁があるようです。牛山は当初、俳優を目指しスタントマンなどをしていましたが、手先が器用でメイクアップが上手だったので、そちらの専門家となり、帰国して学校を開いたとのことです。

 それにしても早川雪洲といい牛山清人といい、まだ映画産業が始まったばかりのアメリカに飛び込んで活躍するとはすごいですね。今のすっかり自信を失って内向きになってしまった日本人は明治生まれのバイタリティーを見習うべきではないでしょうか。

(*)本校卒業生もお世話になっているメイ・ウシヤマ学園の創業者を敬称抜きなのは、ちょっと引っかかる感じはあったのですが、100年も前の方なら、もう歴史上の人物(豊臣秀吉とか徳川家康というのと同じ)だろうと思ったのと、「早川雪洲」との記述のバランスをとりました。

 

 

 

11/12 プチ史跡巡り2 中浦和の板石塔婆

 昨日、別所沼公園から中浦和駅周辺を歩く機会がありました。中浦和駅近くの浦和でも有数のうなぎの老舗「萬店」さんの駐車場の一角に古い石碑(写真下)があります。以前から存在は知っていたのですが、近くに寄ってみたことがありませんでした。

 

 頭がとがった石板で、中世にたくさん建てられた板石塔婆であることは見当が付きました。板石塔婆は全国に分布していますが、この石碑のように秩父山の緑色の石(緑泥片岩)で作られたものは「武蔵型板碑」と呼ばれ、埼玉県近辺でたくさん見られます。説明看板によれば、この板碑は弘安4(1281)年に建てられたものだそうで、だとすると現存する板碑の中でもかなり古いものと言えます。

 私はこういう石碑が好きなので、見つける度に寄り道して見物していますが、私の見た中でこの板碑に匹敵するほど古いものは、建長8(1256)年に建てられたという、羽生の毘沙門山古墳のところの巨大板塔婆くらいです。あちこちで見かける庚申塔や馬頭観音などは、古くても江戸時代の元禄年間や宝永年間くらいでしょう。

 ただ、この板碑はナメクジでも這いまわったような茶色い傷あとが全面にあります。かろうじて梵字や蓮花が刻んであるのがわかり、その左側にも年紀などの刻字があったような感じですが、ほとんど碑面が読み取れません。説明看板には「浦和市観光協会」と書いてあるので、それ自体が20年以上前の物です。茶色の傷がどのようにしてついたのかわかりませんが、20年前にはもっと鮮明に碑面が読み取れたのかもしれません。

 弘安4年と言えば、元(モンゴル人が建てた中国の王朝)と高麗(昔朝鮮半島にあった国)の連合軍による2回目の日本侵攻(弘安の役)があった年です。この2回にわたる元・高麗連合軍の侵攻(いわゆる蒙古襲来)については、以前は奇跡的に暴風雨が吹いて助かったという「神風」説が主流でしたが、最近は鎌倉幕府が外交や諜報活動を通じて情勢を分析し、侵攻に備えて防衛設備や動員体制を整えていたから勝てた、とする説の方が有力です。

 きちんと情報を分析し勝つ(負けない)ための準備を十分にしておく、理性的な態度が必要であるというのは、現代にも通じる教訓ですね。

 

 

11/10 追悼 晋平太さん

 この週末、ネットのニュースを見ていたら、ラッパーの晋平太さんが亡くなったというニュースがありました。

 私は特にHIPHOPやラップが好きというわけではないのですが、数年前、晋平太さんとお会いし、ちょっとだけですがお話をしたことがあるので驚きました。

 なぜ晋平太さんと話をする機会があったのかというと、前任校で行われたPTA主催の生徒向け講演会の講師としてお招きしたからです。

 講演のタイトルはたしか、「言葉のパワー」でした。日本を代表するラッパーとして活動されてきた経験を元に、言葉を発することで人とつながり、自分の未来を切り開いていくことができる。それだけでなく、たとえ過去がつらいものだったしても、現在の自分が言葉を発することで未来の自分を作っていけば、それは自分にとって意味のあるものになる、というお話だったと思います。

 講演の開始前に少しお話をしたのですが、本質的に真面目な人柄なのに、ラッパーとしてはあまり生真面目な感じにはしたくないし…みたいな雰囲気で、自信と含羞が入り混じった微妙な感じがとても魅力的でした。

 私は、今は「言葉」が危機に瀕していると思います。ネットを中心に、揚げ足取りや「切り取り」が横行し、故意に人の言葉を曲解しての中傷(言いがかりともいう)や、明らかな虚偽の流布まで平然と行われています。

 そのような時代であればこそ、晋平太さんのお話されていた「言葉のパワー」、人と人をつなげる言葉の力を取り戻し、育てていかなければと思います。

 ご冥福をお祈りいたします。

 

11/6 祭のあと & こんなものを読んできた第32回

 昨日の体育祭、本日の総合閉祭式をもって今年の翔陽祭が終わりました。活気に満ちた祭のあとはどことなく寂しいものです。とは言え、生徒諸君は虚脱していないで、また来週から元気に学校に来て下さい。

 終わったといえば、翔陽祭と並んで全国の話題を集めた2025大阪万博も先月終わりました。主催者は2500万人以上の来場があった、と発表していますが、私を含め私の周囲で行ったという人はほとんど見当たらないのですが…。不思議ですね。

 同じ大阪万博でも1970年の大阪万博では、今回をはるかに超える国民的な熱狂がありました。海外からの観光客が今ほどいない時代に、6400万人の来場があったということです。私も学研の「科学と学習」別冊ガイドブックを暗記するほど読んでは、親に連れて行ってくれるようにせがんでいましたが、だめでした。(当時の私の家の経済状況を考えれば無理もないのですが、ずいぶんと親を困らせたと思います。)

 この1970大阪万博の最大の目玉は、その前年にアポロ11号が月から持ち帰った「月の石」の展示でした。それらの影響もあって、このころ子供だった私と同年代の人たちには「宇宙が好き」という人がたくさんいます。今回の「こんなものを読んできた」第32回は、その宇宙大好き世代の仲間、あさりよしとおさんの「アステロイドマイナーズ」を紹介します。かなりビターな内容ですが、それでもやっぱり人類は宇宙へ出ていくべきだ、というメッセージを感じます。こんなものを読んできた32(アステロイド・マイナーズ)web.pdf

11/1 翔陽祭第1の山場

 今日は翔陽祭第1の山場、文化祭2日目です。

 昼間は事前予約1900名を超えるお客様に来ていただき大盛況でした。

 今は(午後4時50分)はちょうど中夜祭が始まったところです。

 

 歌ったり踊ったりサイリウムを振ったり、盛り上がった去年よりもさらにパリピ感1.2倍くらいな感じですね(個人の感想です)。

 翔陽祭はさらに来週の体育祭へと続きます。

10/31 翔陽祭始まる。

 いよいよ翔陽祭がはじまりました。

 今日は文化祭の1日目、校内+お隣「かけはし特別支援学校」さんへの公開です。

 私も校内をざっと回ってきましたが、その結果、今日の私の昼食は、文化祭メニューになりました。

 

 明日は一般公開です。午前中雨が残らないか、ちょっと心配ですが、いい文化祭になるといいなと思います。

10/30 秋深し & 文化祭今昔

 秋が深まってきました。そろそろクローゼットからコートを引っ張り出そうかなという感じです。昨日の夕方も、空気が澄んで夕雲がとてもきれいでした。

 

 昨日から始まった文化祭の準備は、今日が2日目です。三部制の本校も文化祭の期間中は一斉登校になり、生徒会活動や部活動などでは、日頃顔を会す機会の少ないⅠ部~Ⅲ部の生徒たちが力を合わせて取り組みます。

 

 文化祭は高校生活を象徴するイベントとして、昔からマンガやアニメ、小説など様々な作品のモチーフになってきました。

 古い話で恐縮ですが、1984年公開の「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」(押井守監督)というアニメ映画では、文化祭準備の喧騒と狂騒が終わらない(終わりたくない)夢として描かれていましたし、先日このブログに登場した谷川流「涼宮ハルヒ」シリーズでも文化祭は一つの山場です。米澤穂信の「古典部シリーズ」でも、第1作の「氷菓」、第2作の「愚者のエンドロール」はともに文化祭にまつわるお話です。

 ただし、この辺りの作品のクリエイターは年齢的に私の前後の年代(一番年長の押井守さんが1951年、一番若い米澤穂信さんが1978年生まれ)の人たちなので、とても共感できるものがあるのですが、これが21世紀生まれの今の生徒たちに響くかどうかはわかりません。上記の作品群に描かれたような狂おしいまでの文化祭への情熱が今の生徒たちにあるでしょうか。

 せっかくの文化祭ですから、生徒たちにとって一生の思い出になってほしいと思います。

 

 

10/29 いつの間にかに…

 今日から本校は「翔陽祭」の準備です。10月31日(金)・11月1日(土)に文化祭、11月5日(水)に体育祭が開かれます。観覧には事前予約(締め切り済み)が必要なので、予約していない方にはもうしわけありません。

 今日は朝から、教室の飾りつけをしていたり、楽器の練習の音が聞こえてきたり、だんだんお祭りムードが高まってきました。

 それにしても「季節的に遅くない?」と思った方もいるかもしれません。しかし去年も書いたと思うのですが、他校でよくある9月初めの文化祭は早すぎます。熱中症や食中毒の恐れがあったり、まだ日が長い時期なので後夜祭も真昼間だったり、デメリットが多すぎます。翔陽祭の中夜祭は、やっているうちにとっぷりと暮れてきていい感じです。

 さて、そんな文化祭準備のかたわら、今日は学校献血もありました。私も少しは世の中の役に立とうと会場へいったのですが、なんと今回が献血50回目とのことで記念品をいただきました。

 頻繁に献血ルームに行っていた時期もあれば、2・3年も間が空いてしまった時もありますが、ちりもつもれば何とやら、いつの間にかに50回になっていました。

 振り返れば、50回すべてが400mm献血で達成までに40年くらいかかっています。70回でまた記念品や有功章がもらえるらしいのですが、献血ができるのは69歳までなので、年3回しかできない400mm献血ではとどきません。200㎜や成分献血なら回数が稼げますが、記念品目あてというのもちょっとはばかられますね。

 

10/22 これは昭和じゃない

 昨日、ネットをふらふらと見ていたら、「日刊SPA!」の「土下座しろ!水をこぼした女性店員に激怒する高齢の男性…救いの手を差し伸べてくれた“意外な人物」という記事に見過ごせない部分がありました。

 

 それは記事冒頭の「昭和の時代ならいざ知らず現在では客だからといって横暴に振る舞う行為はタブーとする風潮が浸透した。一方で、そうした世間の動きから取り残されたままの人物も、まだまだ少なくはないのが現状だ。」という一文です。これは事実誤認、というか事実と正反対のことを言っているように思います。

 何事にも100%ということはありませんが、私の知る限り昭和の時代には、店員のささいな失敗に文句を言って大声を上げるような客はほとんどいませんでした。

 昭和の老人は明治末から大正生まれで、ジェンダーフリーだのポリティカルコレクトネスだのといった考え方はしなかった(というか、そんな考え方自体がまだない)ので、男性客が女性の店員に「おねえちゃん」や「おばさん」呼ばわりをするくらいのことはありました。しかしその反面、料理を運んでくれた店員さんにはちゃんと「ありがとう」と言う人が多かったように思います。店員と客という以上に、人と人としての礼儀がわきまえられていた時代です。

 自分たちはお金を払った客なのだからサービスされて当然、といった態度、「客だからといって横暴に振る舞う行為」は、平成から令和にかけて蔓延してきたものです。居丈高な客が店員さんに怒鳴っているのは、きわめて令和的な風景といえるでしょう。

 今回取り上げた記事の筆者は、いつ頃生まれた人なのかは知りませんが、おそらく本当の昭和を知らないのでしょう。この人に限らず、最近なんでも悪いことを「昭和」で片づけてしまおうとする紋切型な言説がよく見られますが、私は人間や社会の相対的な能力は昭和の方が上だったと考えています。

 つい先日も大手飲料会社の流通システムがクラッキングを受けて製品の供給ができなくなってしまいました。取引量や製品数は現代の方が多いのかもしれませんが、昭和の時代にはどの企業も紙の伝票と電話とファクス、電卓くらいの装備で流通管理をしていたはずです。今の人間にはその能力も覚悟もないようです。

 はるかに便利になったはずの現代の方が商品のサプライチェーンが脆弱になり、また交通機関などもすぐ止まってしまうのはおかしな話です。