忙中閑あり~校長室より
6/24 「台風は早くなったか?」
今度の週末にもまた台風が来るようです。しかも二つも。土・日のうちに通過してくれればよいのですが、平日に来て臨時休校になったりすると、生徒の皆さんも学校としてもいろいろ大変です。
さて、昔は台風のことを「野分」と言ったりしました。枕草子に「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ(台風の次の日は、しみじみと趣深い)」とか書いてあったり(*)、源氏物語にも「野分」という帖(章)がありますが、「野分」とは野原の草を吹き倒す強い風のことで、秋のものとされています。
台風=秋という認識だったわけです。それが今年は前回の5号と合わせて、6月に3つもやって来ます。そうなると世の中には、「こんなに台風が早く来るのは気候がおかしい。温暖化だ!大変だ!!(二酸化炭素狩りをしなくては…)」という話が出てくるわけですが、今回は少し落ち着いて「それは本当か?」ということを考えてみたいと思います。
去年もこのブログで、「台風はだんだん強くなっているのではないか?」という仮説について考えました。(2025年4月28日)今回もその時のデータ(JCDPのデータセット)に最近数年分のデータ(気象庁等)を追加して考えます。(この追加データを巡って、とあるAIとなかなかムッと来るやり取りがあったのですが、それはまたの機会にします。)手順は以下のような感じです。分析には、前回と同じくHAD(関西学院大学の清水裕士先生が提供している統計分析ツール)を使わせていただきます。
①1877年から昨年2025年までに日本に上陸した台風のすべてについて上陸日を調べます。
②上陸日を4月1日を起点とする数字に変換します。(4月1日は1、2日は2とします。)
③上の②の4月1日起点日数を目的変数、西暦年を説明変数として、回帰分析を行います。
で、その結果が以下です。
グラフ(散布図)を見ると、台風上陸日の平均は、4月1日から150日目前後(8月末から9月初め)です。グラフは見ての通り横長に四角っぽく広がっており、回帰直線も「やや右下がりかな?」という程度です。「年」の係数はー0.045なので、1年につき0.045日(約1時間)台風が来るのが早まっている可能性を示していますが、p値が0.232もあり、これでは「台風は年々早まっている」という仮説に十分な信頼性があるとは言えません。(仮説に信頼性があるとみなすには、一般的な社会現象などで0.05未満、厳密さを求められる医学や薬学などでは0.01未満が求められます。)
もうちょっと大きなまとまりで見たらどうだろう、というわけで、観測期間を30年区切りで6期に分け、その期ごとに比較するというのも試してみました。グループ(期)間に有意な差があれば、仮説の信頼性を主張できるというわけです。
その結果が上のグラフです。これはちょっといい感じに見えますが、第5期(1990~2010年代)のところでデータが反発していて、きれいな右下がりではありません。また各期の平均値の差が統計的に有意といえるかどうかを多重比較してみると、以下のようになります。
一番、P値の低い1期(1870~90年代)と4期(1960~80年代)の比較でも0.1なので、こちらもあまり確かな仮説とは言えません。
個別に見ても、過去には1956年の4月25日、1910年の5月11日などのデータがあり、われわれのイメージはともかくとして、今の段階で台風が来るのが早くなったとは言えないようです。
ちょっと気になる点と言えば、第6期のデータのバラツキが大きい(グラフの分布範囲を示す縦線が長い)ことでしょうか。これは、台風が特定の期間に集中してくるのではなく、早い時期から遅い時期までばらけて来る(台風シーズンの長期化?)ということを表わしています。ただ、この第6期は、2020年からの6年分なのでデータ数が他の期よりも少ないということもあり、まだ何とも言えません(*2)。今後もっとデータが積み上がれば、はっきりするでしょう。
いずれにせよ物事はイメージだけで語らず、きちんとデータ分析をすることが大切でしょう。
(*1)清少納言は、この後の部分で庭の柵や垣根、植込が荒れていたり、木が倒れたり枝が折れているのも面白いと言ったり、普段はすっと美しい人が、風の音で寝られなくて、ぼさぼさの頭でぼうっとしているのがすごくいい、と言ったりしています。なんというか超マニアックな人ですね。
(*2)念のためデータの個数の均等化を図って、15年刻みの10期に分けなおして比較してみましたが、有意水準ギリギリの0.049と0.043という組み合わせがいくつかあるだけで、ほぼ同じような傾向でした。
6/17 閑話 & こんなものを読んできた44
昨夜の地震にはびっくりしましたね。わりと強い揺れだったこともともかく、スマホやタブレットが一斉になりだして、ちょっとパニック感がありました。いざというときに慌てない心構えを練らなくてはと思いました。
さて、梅雨のこの季節、通勤途中の野原に小さなピンク色の花が咲いています。(ピントが後ろに抜けてしまいました。(-_-;))
小さな花がらせん状に咲く、その名も「ネジバナ」というスズランの仲間です。この花については前任校のブログでちょっと書いた気がしますが、またの名を「モジズリ」や「シノブモジズリ」と言うそうです。
それで思い出すのが、高校生のころ夏休みの宿題で暗記させられた百人一首の「陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」(河原左大臣)という歌です。
意味としては、「私の心は、陸奥の信夫文字摺り(信夫郡の特産品の乱れた模様の絞り染めの布)のように乱れてしまった。他ならないあなたのために」みたいな感じです。
上のネジバナはそのねじれた様子が、絞り染めの布模様のようだということで別名「モジズリ」というようですが、とても清楚なたたずまいで、河原左大臣の歌の恋に夢中になって頭がグルグルしてしまっているような情熱的な感じとはちょっと似合わない気がするのですが…。
百人一首の他の歌はほとんど忘れてしまいましたが、いくつか覚えているのが、この歌とか「ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは」という在原業平の歌などです。こちらは「竜田川」というとても面白い落語のネタになっているので、よく覚えています。
さて、一学期も落ち着いてきたので、読書案内の「こんなものを読んできた」を再開しました。再開第1回目は、いま売れているという町田その子さんの「コンビニ兄弟」です。
6/8 自然との関わり方
1か月近く更新できないうちに、梅雨になってしまいました。今年の5月は比較的初夏らしい気持ちのいい日が多かった気がしたのに、梅雨その後はまた猛暑が来るかと思うとがっかりです。
さてこの間、出張で六本木まで行ってきました。夕方、日が落ちてくると東京タワーがきれいです。
で、それもともかく、見ていただきたいのは、六本木ヒルズから見た近くの街並みです。
都会の真ん中ですが、屋上やベランダなどちょっとした場所にも植木鉢やプランターで木が植えてあるので、以外と緑が豊かです。こういったところは日本の伝統的な良いところかなと思います。
一方、昨年からの熊の被害が止まりません。昨日あたりからは宇都宮の住宅地や繁華街にクマが出没してニュースになっています。
熊の世界に文化や伝承があるのかどうかは知りませんが、クマという種がヒトという種を恐れなくなってきているのではないか? という気がします。
ほとんどの動物はヒトを恐れ警戒すると聞いたことがあります。それはおそらく我々人類の祖先が何百万もかけて、狩猟の技術を磨き、自分たちよりも強い生き物も知恵とチームワークで倒してきたからだと思います。この何百万年もかけて、他の動物の心に叩き込んできたヒトへの恐れが揺らいでいるのかもしれません。
あとは、ヒトの活動圏が広がり過ぎて、動物たちの世界が狭くなりすぎたので、ちょっとしたことで人間側に溢れ出るようになってしまったのかもしれません。
人と自然のバランスを考え直した方がいいのかも、と言う気がしますね。
5/11 最近気になったこと(2)
連日の投稿になりますが、またネットの記事でどうしても気になったものがあるので、書かせてもらいます。
本題に入る前に、前回宝くじの買い方について書いたものの補足です。これについてはどうしても「連番が買った方が何となく得では」と思いがちです。私も長い事そう思っていました。これについて昔書いた解説がありましたので、載せておきます。宝くじ解説.pdf
さて本日の本論です。先週、私も取っている某新聞社のWebサイトに「年3万人超死亡、日本人の死因8位 新型コロナ5類から3年の現在地」という見出しの有料記事が出ました。
見出しのとおり、コロナの騒動が終わって3年たつが、コロナでは年に3万人を超える人が死んでいて、日本人の死亡原因の8位である。特に高齢者にとっては重大な脅威である。と述べ、要するにコロナの怖さを忘れるな、と警鐘を鳴らすような記事でした。
私は一読して良くない記事だと思いました。どこが良くないか論じる前に下のグラフをご覧下さい。
これは厚生労働省の令和6年「人口動態統計月報年計」からのデータです。上の新聞記事もおそらくデータの出所は同じ筈です。
記事で言う「3万人超」は数字単体でみると、すごく多く見えますが、令和6年度の死亡総数は160万5千人を超えているので、百分率なら2.2%です。第8位も嘘ではないのですが、老衰や誤嚥性肺炎よりも下位です。コロナ騒ぎ以前であれば、コロナを特に抜きだしたカウントなどしていなかったので、この分はおそらく「肺炎」などの中に溶け込んでいただろうと思います。
このグラフで見ると記事が主張するようなコロナの脅威は、(少なくとも私には)あまり感じられません…。
記事を書いた人は「それでも3万人も死んでいるんだぞ」と言うかもしれません。もちろん人は長生きする方がいいでしょうし、私も長生きしたいです。しかし、人はいつかは必ず死にます。人がコロナという病気で亡くなるのは自然死です。誤解をおぞれずに言うなら、特別なことではありません。
それよりは、上のグラフには載っていませんが、「日本には自殺者が毎年2万人前後いる」という方が問題です。自殺は病気とは違い、不自然で悲惨な死に方です。こちらこそ社会問題として取り組むべきでしょう。
要するに上の記事は、自分の書きたい方向性に合わないデータには触れずに、都合のいいところだけつまみ食いしています。こういったやり方で人々の恐怖や不安をあおるような記事はやめてほしいものです。
最近、クルーズ船の中でハンタウィルスに感染する人が出た、というニュースがありました。マスコミなどが二匹目のドジョウを狙って、またコロナの時のような大騒ぎに仕立て上げてしまわないが心配です。
5/8 最近気になったこと(加筆5/9)
連休前にネットで読んだ記事がどうにも気になったので、少しだけ書きます。
その記事の内容をざっくりまとめると、
ネット配信者のひげおやじ氏が宝くじをバラで買うのを見たひろゆき氏が、バラで買うのは損だという旨の発言をした。さらに、ひげおやじ氏が、自分は連番6バラ4の割合で買う、といったところ、その買い方では、連番10割にしたら当たっていた3000円を失う、と指摘した。今、これがネットで波紋を広げている。
というものです。
私は日頃、ひろゆき氏の個々の意見には賛成できないこともあります(賛成できることもあります)が、他の人が触れない物事の本質にズバッと切り込む得難い論客だと思っています。ただ、今回の件では、ひろゆき氏が上の報道通りの発言を本当にしたとすれば(ネットでよくある切り抜きとかでなければ)、そこには何点か誤りがあります。
まず前半部分です。宝くじ1枚ごとの期待値は、連番でもバラでも同じです。買い方で変わることはありません(10枚買っても100枚買っても同じ)。しかし連番で買えば、もし1等が出たときに前後賞も取れる可能性が高いので、大きな金額を当てる夢があります。その意味では、ひろゆき氏の連番で買うほうがいいという主張も心情的にはわかります。その一方で世の中には、バラで買って1枚ずつ「当たっているかも」と確かめるのが好きだ、という人もいるでしょう。要するに気分や楽しみ方の問題で、連番とバラどちらが得とは言えません。
後半部分です。宝くじはバラで買っても番号最後の一桁は0~9までが1枚ずつ入るようになっています。だから10枚買えば最後の一桁で決まる末等は必ずあたります。したがって、ひげおやじ氏の買い方でも損はしません。
さてしかし、今回紹介したネット記事で私が一番あきれたのは、ひろゆき氏やひげおやじ氏の発言より、この件についてコメントした「芸能ジャーナリスト」の発言です。
それは、「確率論で言えば、ひろゆき氏の指摘は正しいです。連番で買えば一定額が戻る可能性は高く、理屈としては“損をしにくい買い方”です。…」というものです。
上で説明した通り、連番で買ってもバラで買っても、宝くじの期待値は同じです。「損をしにくい」買い方などありません。「確率論」とか「理屈としては」とか言っていますが、この「芸能ジャーナリスト」の発言には「確率論」も「理屈」も全くありません。
ひろゆき氏とひげおやじ氏の発言は、個人の意見・感想なので、別にきっちり正確である必要はないと思います。またそれを報じることもいいでしょう。しかしこの「芸能ジャーナリスト」のコメントは明らかに間違っています。
記事の全体構造をよく見れば、筆者はこの問題について答えを示していません。しかし、「芸能ジャーナリスト」のコメントがこの問題へのジャッジのような印象を受ける形になっています。これでは「連番のほうがバラより損をしない」という間違った考えを世の中に広げかねません。
こういう記事を書くのであれば、ひろゆき氏の主張を「ひろゆき氏がこう言いました」と報じるだけにしておくか、記者の責任として何が正しいのか検証して結果を示すかのどちらかです。中途半端な形で不確実な情報を世間に流すのは、無責任だと思います。
何にせよ、宝くじの1等や前後賞が当たる確率は、道を歩いていて隕石に当たる確率と同じくらい低いという話を聞いたことがあります(検証したことはないですが多分本当でしょう)。「絶対当ててやる」と熱くなって全財産を突っ込むような真似はしない方がいいでしょう。