忙中閑あり~校長室より
10/28 もうすぐ「翔陽祭」
秋も深まりだいぶ寒くなってきました。近年は「暑い」から「寒い」までが、ほんの半月くらいで変化するので、この週末などは半そでの人もいればコートで冬支度を固めた人までいるというカオスな状態でした。
さて、今週の金曜日から一週間にわたり「翔陽祭」が開催されます。文化祭と体育祭を合わせて「翔陽祭」ですが、今年はそれに20周年記念行事も加わります。その中の11月2日(土)は文化祭の一般公開です。(入場には事前予約(締め切り済み)が必要です。予約されていない方の御来校は申し訳ありませんがお断りします。)
と、こう書くと「え、今頃文化祭なの!? 遅くない?」と思った方もいるかもしれません。現在、全日制普通科の高校の文化祭はほとんどが9月初めから中旬までで、専門高校も10月中旬くらいが多いので、11月初めに文化祭を開催する本校は、珍しく見えると思います。
しかし私が高校生の頃は、いわゆる進学校と言われるような学校でも文化祭は、早いところで9月中旬、遅いところでは10月上旬ころに実施していたと思います。当時の文化祭にはグラウンドでキャンパスファイヤーをして盛り上がる「後夜祭」がつきものでした。ある程度、日が短くなって後夜祭の時間に暗くなっていないと、焚火や花火が映えないので、あまり早い時期には文化祭を設定しにくかったと思います。本校の「翔陽祭」は古式ゆかしい伝統を受け継いだもの、ということになります。
ところが、1990年代から「大学受験に向けての切り替えを早くするため」というのを理由に、いわゆる進学校から文化祭を前倒しするところが増えてきました。その動きがあっという間に広がり、文化祭と言ったら9月初めという今日の状況が作られました。
しかし私は、文化祭はそろそろ10月~11月に戻してもいいのではないか? と思います。
現在の9月初めの文化祭では、暑すぎて様々な弊害が起きています。まず食中毒が怖くて迂闊に食べ物の模擬店などはできません。次に生徒やお客さんの健康を考えると、冷房をフル回転させざるを得ませんが、電気代は一年間のピーク電力によって決まりますので、文化祭の日にどんどん電気を使うと、そのあと1年間の電気代すべてが引き上げられてしまいます。
そもそも、文化祭を早めた大きな理由は大学受験でしたが、それが一番厳しかったのは、第2次ベビーブームと言われた1970年代生まれの人たちの時代でしょう。子供の数は今の2倍、大学の数は今の半分くらいだったので、ざっくり言って大学に入るのは、今の4倍むつかしかったことになります。それに比べれば、現在の大学受験は楽なものですし、さらに年々、同世代の人口は減少し、大学受験は易化の一途です。もはや、大学受験は文化祭を早める理由とはなりにくくなっています。
それに昔の大学受験が厳しかった時代にも、難関大学に受かるような高校生は、部活動や文化祭準備などと勉強のメリハリをきちんとつけて両立させていました(私はダメでしたが)。文化祭と受験勉強の両立もできないようでは先が思いやられます。
現代は何かというと「自己責任」と言い出す時代なのですから、この辺も自己責任でいいのではないでしょうか。
10/19 小話3編
中間考査も終わり2学期後半です。
本日は土曜日ですが、中学生向けの体験授業を行っています。多くの中学生の皆さんに来ていただきました。私が昔、本校で体験授業をやっていた時は、エジプト象形文字で御札を作ろう、みたいなことをやっていた気がするのですが、今日の体験授業は、わりといつも通りのガチな感じのものが多かったように思います。ですが、妙に甘い授業をしたりしない方が、「高校に入学したらこんな感じなんだ」と理解していただけて良いかもしれません。
さて、先日のスーパームーンは見ましたか?
今年一番に大きな月、というだけあってすごい明るさでした。上の写真もF5.8で1/150という普通に昼間にスナップをとるような絞りとシャッタースピードでとったものです。ご近所の家からも月見をしているような会話が聞こえてきて、秋には月見という伝統文化が根強く残っている感じでした。
秋、といえば、本校の裏庭に2本あるのザクロの木の実が赤く色づいてきました。
まだちょっと熟し方が足りませんが、もう少しして実が割れてきたら食べごろになります。ザクロの実は、中の種をくるんでいる赤いゼリーのような部分が食用で、甘酸っぱいベリー系の味がします。
20年前の本校の生徒にはザクロの実をとってきて食べる人が結構いましたが、今の生徒たちはどうなのでしょうか。最近のなんでもきれいに加工されたものしか食べたことのない人たちには、はじけて割れた実の中から赤いぶつぶつをすくいだして食べる、などというのは汚らしいような感じがしてだめかもしれません。
試しに1個切ってみましたが、まだ皮に割れ目も入っていない実なので、中身も青臭い味がして食べられませんでした。よく時期を見計らって鳥に食べられないうちに収穫したいと思います。
10/14 「人間性のある社会」
朝夕の空気が冷たくなってきて、どこからともなく金木犀の花の香も漂ってくるようになりました。今日は休みですが、この先、予定が立て込んでいてしばらく更新できないかもしれませんので、更新しておきます。
先週の金曜日、「全国高校総合学科教育研究大会」に行ってきました。研究発表の後の講演は、ハッシャダイソーシャル共同代表の三浦宗一郎氏でした。ハッシャダイソーシャルは、"すべての若者に自分の人生を自分で選ぶ力を"をヴィジョンに若者のキャリア教育や自立支援を行う一般社団法人です。団体名のハッシャダイは英語とかではなく、若者たちを世の中に飛び立たせる「発射台」という意味だそうです。
三浦氏の講演で、心に一番残ったのは「子供たちに『社会性のある人間になれ』というなら、社会も『人間性のある社会』になるべきだ」というところでした。
「社会性」とは何か、というそもそもの問題はおくとして、一般的に「社会性のある人間になれ」とは、「元気よく挨拶ができ、場の雰囲気を読んで、人とうまく楽しく付き合える人になれ」というような意味だと思います。こういった人であれば、仕事をしていくうえで困ることも少ないでしょうし、会社やら社会やらにとって「使い勝手」の良い便利な人材(人財)でしょう。しかし、全ての人にそういう人間であることが求められるとすると、恥ずかしがり屋で人と一緒にいるより一人で何かをしている方が好きだ、という人はどうしたらいいのでしょう。
前回、私は「子供たちに望ましい個性だけを求めるのでは、本当の個性尊重ではない」という話を書きました。三浦氏のお話は、それと同じところに根があるもので「子供たちに集団(社会)に溶け込むように強制するのではなく、社会の方が様々な子供を受け入れる寛容で優しさのある社会になるべきだ」という趣旨だと思います。非常に共感させられる講演でした。
「昔はよかった」という話をするのは年寄りの証拠ですが、老人の特権でもあります。その観点で言いますと、今の社会は、私が若かったころ(1980~90年代)にくらべてあらゆる面でずっと不寛容だと感じます。芸能人などは私生活の問題やちょっとした言葉遣いの誤りなどがあれば、ものすごい勢いでバッシングされますし、一般人の我々も周囲から非難されないために、わずかな落ち度もないように神経をすり減らして生きています。私にはこういった現代の不寛容は、正義感からというより人の非をあげつらって叩くのを楽しむといった貧しい品性から発しているように思えます。
それに比べ1980~90年代はバブル全盛で経済的に余裕があったからかもしれませんが、人々は今よりもずっと機嫌がよく人に思いやりがありました。このように書くと、現在の方が様々な面で人権意識などは進歩していると反論する人もいると思います。しかし少なくともこの時代に「新幹線のグリーン車に子供を乗せるな」とか「高齢者は社会負担だから自決しろ」とか、そういったことを真顔で恥ずかしげもなく発言する人はいませんでいた。景気の良い時代には、自分と他人の差異や他人の不手際に目くじらを立てて差別したりいじめたりしなくても、人々にはもっと楽しいことがありました。
孟子は「恒産なくして恒心なし(人心を安定させるためには、経済的に安定させることが必要、という意味)」と言いましたが、人にやさしい社会を作るためには、衰退した経済力を立て直し、生活に不安のない社会を作るしかないと思います。
10/7 生活体験発表会に行きました。
本校では明日から中間考査です。生徒の皆さんは頑張ってください。
さてこの前の土曜日(10月5日)に、桶川のさいたま文学館で開かれた埼玉県高等学校定時制通信制「生徒生活体験発表会」(定時制通信制教育振興会主催)に行ってきました。
県内の定時制高校に通う15人の生徒の皆さんが、自分の生活体験を発表しましたが、どの人も率直に自分の体験を語っていて、今、この時代に定時制・通信制高校に通う皆さんのリアルを感じました。特に一人の人が、「小学校や中学校で、個性が大切、個性を伸ばせと言われたのに、自分らしくあろうとすると先生たちから厳しく指導され、つらかった」というようなことを話していたのは、心に響きました。
現行の学習指導要領ではあまり使われていないようですが、以前は教育関係の様々な文書で「望ましい集団活動」とか「望ましい人間関係」とかのような形で「望ましい」という言葉をよく見かけました。そして、これらを通じて最終的に「望ましい」個性や資質を育成しようという考え方がありました。私はこれが、ずっと疑問でした。個性というのは本来、方向性がないものです。個性を伸ばすと言っておきながら、それに「望ましい」というフィルターをかけたら、それはもう個性の尊重ではありません。それにその「望ましい」というのは誰にとって望ましいのか、誰がその基準を決めるのか、その主語を隠したまま漠然と「望ましい」というのはとても胡散臭い感じです。学校や教育は、個性の領域にまで口を出すべきではないような気がします。
また近年のこの「個性尊重」で、「自分らしく」とか「かけがえのない自分」とか言いすぎたせいで、「自分は何のとりえもない。全然、特別な存在じゃない」と苦しんでいる子供たちも少なくないような気がします。
私などは、自分がそんなに「特別」じゃなくてもあまり気になりません。仕事の面でも県内に100人以上いるごく普通の校長の一人で、仮に私がいなくなったとしても、すぐに誰かがその穴を埋めるでしょう。趣味に関しても。模型工作はキャリアが長いだけあってそこそこの腕前ですが、プロモデラー(そういう仕事が世の中にはあります)になれるほどではないし、ランニングも近所の運動公園のジョギングコースを走っている週末ランナーの中では早いほう、という程度です。しかし、まあそれで充分で、それ以上になろうとは思いません。
最近の教育施策のキーワード「個別・最適化」に真っ向から喧嘩を売るようで、ちょっとまずいかな、とは思うのですが、私個人としては、教育において無理に「個性を伸ばせ」とかいうのはやめたらどうかと思っています。「学校は一般的な社会人としての標準的な能力を目的とした教育をする場である」と明言して、一定の水準を保つ努力をしたほうが、教える側、教えられる側ともに楽になるのではないか、と思います。「それでは個性や資質がつぶれてしまう」とおっしゃる方もいるかもしれませんが、私は別に個性的な生徒を抑圧しろと言っているわけではありません。本当に優れた個性や資質なら、放っておいても伸びていくはずです。それに学校がとやかく言うこともないでしょう。繰り返しになりますが、無理にすべての人が「特別な自分」になる必要などないのですから、そういった「特別な自分」プレッシャーを子供たちにかけるのはやめようというだけです。
と、そんな感じでいろいろなことを考えさせられた1日でした。
9/27 突然、料理教室!?
今月中にやらなければならないことがたくさんあるのですが、そういうときほどブログの更新とかをしたくなります。思えば、昔も試験前とかになると机や本棚の片づけを始めたりしてました…。
まずはご近所でよく見る野草シリーズです。
アベリアというスイカズラ科のつる状の植物で、生垣のツツジにからまり覆い隠すようにはびこっています。引っこ抜かないと下のツツジが枯れてしまいそうなのですが、蜜の香りでたくさんの虫を引き寄せているので、うっかり手を出すとハチに刺されそうです。これもこの植物の防衛手段のひとつなのでしょうか?
さて、いよいよ今日の本題です。秋は果物のおいしい季節ですが、果物の良しあしはなかなか見分けにくいですよね。私も先日、洋ナシを食べようとしたら、まだ身が固くて味も薄く青臭いものに当たってしまいました。そのまま食べる気はしませんが、捨てるのももったいないので、何とかならないかと考えました。
(1)電子レンジ用の皿に、切った洋ナシを入れる。
(2)上からちょっと多めにはちみつをかける。
(3)ラップをして電子レンジ(500W)で1分半から2分程度加熱する。
(4)冷めるまで待って、冷蔵庫に入れしばらく冷やす。
じゃん! 洋ナシのコンポート風です。
フォークで切れるほど柔らかくなって、ハチミツの甘味がしみていい感じです。まだちょっと青臭い感じが残っているので、ハチミツと一緒にレモン汁をかけるとか、仕上げにシナモンを振りかけるとかすると良かったかもしれません。もしかするとこの作り方はありふれたものなのかも知れませんが、手軽な割に意外なくらいうまくできたので、紹介してしまいます。洋ナシ以外にも応用できそうです。
料理教室と言えば、今度10月12日(土)にPTAの研修会で、給食メニューを作る教室があります。いまから楽しみです。
9/24 ようやく秋? & 可愛い花には…
先週末から急に涼しくなりやっと秋が来たようでホッとしました。本当はいろいろとやるべきことがあるのですが、ちょっと一息、ブログを更新させていただきます。
この3連休は関東では最低気温が久しぶりに20度を下回り、過ごしやすい天気でしたが、能登の方では大雨による水害で大変な被害が出ているようです。被災した方々に心からお見舞いを申し上げます。それにしても能登の方の皆さんは我慢強いのか、マスコミの関心が低いのか、半年前の大地震も今回の水害も被害の大きさの割に報道が少ないような気がします。これがもし関西などだったら、もっと大きな扱いになっていたのではないでしょうか。なにか少しでも能登の皆さんのお役に立てることをしたいと思います。
さて最近我が家の近所ではこの野草をよく見かけます。たくさん集まった小さな花の中央の方が黄色、周辺部がピンクでとても可愛らしい花です。
葉っぱの形、花の付き方などからてっきりアジサイの仲間か?と思いましたが、頼りになるCopilot君によれば「クマツヅラ科のランタナ」という中南米原産の花でした。さらになんでも知っているWikipedia君によると、アジサイとはよく似ているが全くの別種で、強い繁殖力から「世界の侵略的外来種ワースト100」に選定されているとのことです。しかも実にランタニンという強い毒があり、うっかり食べると最悪死ぬこともあるそうです。
日本ではこれまでは沖縄や小笠原などの他は野外で冬を越えられないので、あまり警戒されず庭などに植えられることも多かったそうですが、我が家の近所のこのランタナは、どう見ても人が植えたというより勝手に生えてきたような感じです。最近の温暖化で、埼玉近辺でも冬を越えて繁殖できるようになったのかもしれません。
だとすると、のんびり眺めていないで駆除しなければいけないはずなのですが、これだけきれいな花が咲いていると、ちょっと引っこ抜きにくいですね。バリバリ引っこ抜いていたら、せっかく花が咲いているのを荒らす悪人、みたいに見られてしまいそうです。この花はそうやって分布を広げてきたのかもしれませんね。「可愛い花には毒がある」というところでしょうか、まさに恐るべしです。
9/13 プチ史跡2(11) 秋葉原駅のミルクスタンド
残暑が厳しいですね。
今日は久しぶりに都内に出張だったので、秋葉原駅のミルクスタンドに寄ってきました。
京浜東北線のホームから総武線のホームに上がったところにあるパンや牛乳を売っている売店です。千葉方面行のホームの側は「ミルクスタンド『酪』」という店名ですが、新宿方面はストレートに「ミルクスタンド」です。
なぜ、ここに寄ったのかというと、この店は昔懐かしい菓子パンの品ぞろえが素晴らしいからです。
このスタンドには普通のあんパンや小倉あんパンだけでなく、白あんパン、うぐいすパン、ジャムパン、クリームパンなどが勢ぞろいしています。最近のコンビニでは、「〇〇香る××パン」のような自社ブランドのパンばかり売っていて、上の写真のようなシンプルな菓子パンはほとんど売っていません。私は妙にひねったパンではなく、上のようなシンプルなパンが食べたいので、秋葉原駅に行った際は、必ずここに寄るようにしています。
また「ミルクスタンド」の名にふさわしく、ここではミルク系飲料も何十種類も売っています。しかもそのほとんどがビン入りです。たとえば「コーヒー牛乳」と注文すると、店員さんが手早く牛乳ビンのふた(厚紙製)を開けて渡してくれます。このレトロ感がたまらない、ということで、ネット上にもこのミルクスタンドの愛好家の方はたくさんいるようです。
このミルクスタンドはネット上の記事によれば昭和25年(1950年)の開業で70年以上の歴史を誇ります。戦後の復興期から高度経済成長期を支えたサラリーマンたちも、ここで慌ただしく栄養補給をしていたわけで、もはや史跡、産業遺産と言って過言ではないと思います。
秋葉原もこの20年くらいでつくばエクスプレスの開通や駅周辺の再開発などがあり、ずいぶん様変わりしましたが、駅内の京浜東北線から総武線の高架に上る部分などは、おそらく昭和初期に作られたままでしょう。無骨なリベットと優雅な曲線が同居した鉄骨がいい感じです。戦前の秋葉原駅には、当時珍しかったエスカレーターや50人も乗れるエレベーターがあったそうです。私は鉄道そのものにそんなに趣味はないですが、東京都内のJRや地下鉄の駅舎にはところどころ戦前の名残を感じさせる部分があって、好きですね。
9/7 土曜日ですが… & AIってすごい!
今日は土曜日ですが、学校説明会のため学校に来ています。
本校は三部制の定時制、単位制総合学科と属性を盛りすぎているので、本校に興味関心のある方は、ぜひ一回本校に足を運んでいただくとよいと思います。
今年度はあと2回の説明会(12月14日、1月18日)、体験入学会(10月19日)、学校公開(11月12・13・15)を予定しています。申し込みの告知はこのWEBサイトで行いますので、チェックをお願いします。
さて、今日も通勤途中に見かけた花シリーズ(いつの間にシリーズになったのでしょう?)です。
細かいところまでよく見ていただきたいので、写真をいつもより大きめにしています。細かい雄蕊、雌蕊までくっきりです。前回も書いたのですが、ちゃちなスマホのレンズでよくここまで撮れるものです。少し青っぽい感じですが、私はこういう寒色系の色合いが好きなので良しとします。
さて、この花ですが、「ハナトラノオ」という北米原産の植物です。シソ科ということですが、確かに花の形も付き方もシソによく似ていて、シソの花を巨大化したようです。
私は花や植物にはそんなに詳しくないので、この花の名前も知らなかったのですが、ふと思いついて、最近、Windowsの標準ブラウザーEdgeに搭載されたCopilot(この辺りの名称はすべてマイクロソフトの商標)というAIで調べてみることにしました。Copilotの質問欄に花の写真をペーストして、「この花の名前は何ですか」という質問を打ち込み、待つこと数秒、見事に手短なレポートにまとめられた答えが返ってきました。
学校現場でAIをどのように取り扱うかという議論も行われていますが、これだけ便利なものの使用を禁じて、調べ物は図書館でやれ、というのは無理でしょう。それはさながら、マッチやライターがあるのに、「木の棒とわらで火を起こせ」と言っているようなものです。
AIの力をうまく借りて、人の力を拡大していくような方策を考えなければと思います。
8/29 もうすぐ新学期 & 初秋の草花
早いものでもうすぐ2学期です。
私が中・高生だったころは課題や宿題をため込んでしまうタイプだったので、8月30日前後はそれらを片付けるのに追われ「火祭り」状態だったのを思い出します。また、現在と違いインターネットやSNSのない時代だったので、夏休み中だとほぼ1か月も会っていない友達などもいて、夏休みの終わりころは「休みが終わるのが残念」という気持ちと「早く学校が始まらないかな」という気持ちが入り混じって、なかなか微妙な気分でした。
生徒の皆さんの中には、なんとなく憂鬱とか、学校へ行くのが億劫だとかの人もいると思います。しかし友達と実際(リアル)で顔を合わせることには、ネットにはない良さがあります。微妙な表情や体温、呼吸など伝わってくる情報量が桁違いで、仲良くするにしろケンカするにしろ、分かり合える深さが違います。
ちょっと週末から週明けにかけて台風の様子が心配ですが、みんなが元気に登校してきてくれるといいなと思います。
さて、もうすぐ2学期というところで季節は晩夏から初秋へ移り変わろうとしています。草花も夏のものと秋のものが入り混じった状態です。
上の写真4枚は、通勤途中に見かける野草の写真ですが、左上のムラサキツユクサと右下のオシロイバナはいかにも夏の花という感じですね。右上のキバナコスモスは晩夏~初秋の花という感じです。昔はあまり見なかった花ですが最近は白やピンクのコスモスよりも多く見かけるようになりました。左下の花はなんという花かよく知らない(マツヨイグサの仲間?)のですが、最近よく見かけます。鮮やかな黄色でいい感じです。
上の4枚はすべて私の安物スマホで撮った写真です。ピントが後ろに抜けてしまう(上の写真で言えば地面や背後の葉っぱにピントがずれる)ことが多いのが欠点ですが、けっこうすっきりした写真がとれます。これではカメラ専用機が売れないのも道理です。最近のスマホ技術恐るべしです。
8/14 プチ史跡2(10) よくある二宮尊徳像
お盆真っ最中です。バスはお盆ダイヤだし「サマーリフレッシュウィーク」とやらで校内も人の気配がほとんどありません。というわけ学校の話題もないので、今回はタイトル通りのプチ史跡でいきます。
前回に引き続き、お題は「二宮尊徳」です。
写真は、深谷の藤澤小学校の校庭で見かけた二宮尊徳(金次郎)像です。歴史の古い小学校などではよく見かけるもので、特に変哲はありませんが、これはなかなか年季が入っています。像本体はコンクリート製なのか、御影石の台座より風化が進んでいます。前回紹介した報徳二宮神社の像とは、本の持ち方や踏み出している足などが異なるので、別の原型によるものと思われます。
台座の裏側に「寄贈昭和〇〇」のように年紀が刻んであるのですが、ちょっとよく読めません。ただ台座正面に「二宮尊徳先生八十年祭記念」と書いてあるので、おそらく没後80年を記念して各地で式典が行われた昭和10(1935年)年のものでしょう。
写真では下が切れてしまっていますが、台座の下部に二宮尊徳の教えをまとめた「報徳訓」のプレートも残っています。ちょっと長くなりますが、以下に全文掲載してみます。
父母の根源は天地の令命にあり
身体の根源は父母の生育にあり
子孫の相続は夫婦の丹精にあり
父母の富貴は祖先の勤功にあり
我身の富貴は父母の積善にあり
子孫の富貴は自己の勤労にあり
身命の長養は衣食住の三にあり
衣食住の三は田畑山林にあり
田畑山林は人民の勤耕にあり
今年の衣食は昨年の産業にあり
来年の衣食は今年の艱難にあり
年々歳々報徳を忘するべからず
ざっくりまとめると「先祖や先人の努力のおかげで、今日の我々の生活がある。我々はそれを感謝し、さらに次世代につなげていかなくてはならない」ということです。今でいうSDGSみたいなものですね。
二宮尊徳は個人としての生き方は自己実現の見本のようですし、思想もすごく合理的で現代的です。ところが、今から数十年前には全国で金次郎像の撤去が相次ぎました。その理由は「戦前の道徳教育の象徴だから怪しからん」とか「立身出世を目指す生き方が受験競争をあおり、子供たちの人間性を損なう」とかだったようですが、実に物事の本質を見ない愚論だったと思います。ちょっと受験勉強をしたくらいで損なわれてしまうようなら、元々たいした人間性ではないですし、自分がなりたいものになるため努力することのどこがいけないのでしょうか。
しかし、現代においても、以前の「金次郎像批判」のように、本質を見ず、論理的な思考を伴わず、どこかからの受け売りの紋切型(ステロタイプ)な言説を臆面もなく語る人を、少なからず見かけます。明治の思想家中江兆民は、日本人のことを「哲学のない国民」であると嘆きましたが、その通りだと思います。
8/9 プチ史跡2(10)小田原城
今回も前回に続き「プチ」とは言い難いメジャーな史跡です。まずは花の写真から…。
7月末に行った小田原城のお堀のハスの花です。見事な大輪のハスでこのつぼみもハンドボールくらいの大きさがあり、とてもきれいでした。
小田原城には子供のころから何回か行ったことがあります。以前は復元されたコンクリート造りの天守閣だけしかなくて安っぽい感じだったのですが、近年、馬出門や銅門などが復元されすごく見ごたえのある史跡になりました。下の写真はお堀の外側から復元された馬出門を見たところです。敵の軍勢になったつもりでこの橋からお城の中に進むと、門の内側で四方八方から迎撃される構造になっていて、軍事施設としてのお城の構造がよく感じられます。
小田原城見学というと、駅からまっすぐ復元天守閣に通じる近道がありそちらを通ってしまいがちなのですが、小田原城の魅力を感じるなら、少し遠回りですが、この馬出郭から二の丸、本丸と上がっていくコースがおすすめです。
また時間に余裕があれば城内にある報徳二宮神社にもお参りしたいところです。この神社は勤勉と苦学力行の代名詞、二宮尊徳(金次郎)を祀った神社です。
二宮金次郎は薪を背負って本を読んでいる姿は有名でも、何をした人なのか? はあまり知られていないのではないでしょうか。金次郎は小田原近郊の農家に生まれましたが、少年の時に父母を亡くします。彼は勤勉さと工夫で借金と貧困に苦しむ実家を立て直します。その見事な手腕が有名となり、小田原藩内の武家の経営コンサルタントとして活躍します。これらの仕事にも見事な業績をあげ、様々な藩や幕府の仕事を任されるようになっていきます。
江戸時代の後半は乱開発や相次ぐ天災のため農地が荒れ、都会への人口流出も相まって、各地の農村が荒廃していましたが、二宮金次郎は、単なる倹約や勤勉だけでなく、経営資金の融資や相互扶助組織の設立など合理性に裏付けられた経営理論(報徳仕法)を用いて、農村の再建に活躍しました。
写真の二宮金次郎像は、報徳二宮神社境内にあるものですが、昭和3年に神戸の実業家中村直吉が慶寺丹長に作らせ全国の小学校に配布したものの内、唯一現存するものだそうです。この中村直吉による金次郎像の寄贈から全国の小学校で金次郎像を建てるのがブームとなったとする説もあるので、この像はかなり貴重なものなのでしょう。
さて、この日はなぜ小田原ヘ行ったのかと言いますと、メインはお城見物ではなく、定時制通信制体育大会のバドミントン競技の応援でした。日程の都合でバドミントンしか応援に行けませんでしたが、今年の定通大会では本校からは柔道、剣道、バレーボール、バドミントンと4競技も全国大会へ進みました。大会の様子や結果は各部のページに譲りますが、多部制で部活動の練習時間も取りにくい中で、みんな本当によく頑張っています。次の機会には、もっと他の種目の応援にも行きたいものです。
8/5 猛暑の中で
昨日、自転車で自宅近くの公園を走っていたら、百日紅(サルスベリ)の花を見つけました。強い日差しの下、ぼってり重たげに咲き誇る様子は、いかにも真夏の花といった感じです。
それを見ていて思い出したのが、昔、井上靖の「孔子」や白川静の「孔子伝」で読んだか、あるいは高校の漢文の授業で習ったか、論語子罕篇の「唐棣之華、偏其反而。豈不爾思。室是遠而。子曰、未之思也夫。夫何遠之有。」という一節です。
超訳すれば、
ある日、孔子先生が街で「唐棣の花がひらひら舞っている。君のことを愛しているんだけど、君の家はあまりに遠すぎるのさ」と歌っているのを聞いた。孔子先生は「それはまだ愛し方が足りないのだ。本当に好きなら遠くたって関係ないだろう」と言った。
という感じです。街で聞いた、というのは原文にはないので、昔、私が読んだか聞いたかしたお話で脚色されているようですが、ちょっとチャラい感じで歌を歌っている若者に「お前らの恋愛は気合が足りん」と喝を入れる孔子先生、いいお話ですね。
孔子は聖人君子の道を説く儒学の祖ですが、この話などを見ると孔子の説く道は、堅苦しいものではなく人間の柔らかな気持ちを大切にしたものだったことがわかります。また孔子は自分のことを「鄙事に多能(つまらないことをよく知っている)」と謙遜していましたが、若いころは恋愛でも頑張っていたのかもしれません。
ところでこの一節にでてくる「唐棣之華」を、私は長い間サルスベリだと思っていました。だから上の一節の場面も、夏の強烈な日差しに白茶けた街角、そこに涼しい影を落とす大樹があって、その下で若者が楽器を弾きながら歌っている…みたいなイメージをしていました。
ところが今回この記事を書くために調べてみたら、ネット上に「唐棣之華」をサルスベリとしているものは見当たらず、ほとんどの記事がスモモやニワザクラとしていました。だとすると季節感もだいぶ変わってしまいます。どこで勘違いをしたのでしょうか。「唐棣色」というのは、オレンジ色やピンク色のようですから、色的にはあっているのですが…。
毎日暑さが続きますが、夏至のころと比べると、朝夕、日がだいぶ短くなってきました。まだ黄色い胴体をしていますが、赤とんぼも山から降りてきました。明後日は立秋です。もう一息、健康に気を付けて夏を乗り切りましょう。
7/31 プチ史跡2 (9)ホフマン輪窯
今日も暑いですね。毎年、「暑い、暑い」言ってきましたが、今年の「午前中猛暑、午後夕立、雨が降っても蒸し暑さが増すだけ」という様子を見ると、気候変動の「危機」ではなくて、もう変動しちゃったという感じです。
その猛暑を押して、先週土曜日、全国歴史研究大会の巡検に行ってきました。鉄道博物館やら深谷の渋沢栄一関係の史跡やらをめぐりましたが、一番の目玉は旧日本煉瓦製造株式会社「ホフマン輪窯6号窯」です。
全体は楕円形をしていてレンガで作った巨大な落花生の殻のような感じです。きれいに積まれたアーチ状の入り口から中に入ります。
内部に入ると、分厚いレンガの壁が太陽の熱を遮るおかげかちょっと涼しい感じです。手前から奥の方へところどころ側面に出入口が開いたトンネルが見えます。このトンネルは楕円形にぐるっと一周しています。
レンガ造りでは、粘土をこねて作ったレンガを積む~封をして点火する~様子を見ながら燃料を投入する~焼きあがったレンガを冷ますという作業が必要ですが、「輪窯」では楕円形の巨大な窯を細かく区切り、区画ごとに作業のタイミングをずらして、ぐるぐる回るように切れ目なくレンガを作り続けることができるというわけです。
明治時代に西欧化のため急増したレンガ需要にこたえるべく、渋沢栄一らが中心となって日本煉瓦製造株式会社が設立され、明治22年にこのホフマン輪窯が建造されました。この場所が選ばれたのは、深谷は古くから良質の粘土が採れ瓦生産が盛んだったこと、近くを流れる利根川や江戸川を利用した水運が利用できることが理由だったそうです。
この工場で製造されたレンガは、東京駅や碓氷峠の眼鏡橋、迎賓館などにも使われたそうで、まさに日本の近代化を支えた産業遺跡です。
そうした歴史的な価値もさることながら、美しい曲線、曲面で構成された巨大なレンガ窯は見ごたえたっぷりで、工場好きや建築好きの人を満足させることは間違いありません。
ホフマン輪窯の外にも、この旧日本煉瓦製造跡には、明治時代に建てられた事務所や変電室も残っています。明治時代の建物はこういった実用的なものでも、端々に優雅な意匠が施されていて、見ていて飽きません。
今回は久しぶりに「プチ」とは言い難いまともな史跡でした。
7/19 学期末モード(2)終業式ほか
朝から猛暑ですが、皆さまはお元気でしょうか。
今日は第一学期の終業式でした。終業式では「三国志」の呂蒙の「士別れて三日なれば即ち更に刮目して相待すべし」の故事(*)を紹介し、夏休みには何か目標を決めて頑張ろう、という話をしました。
昼休みには戸田かけはし高等特別支援学校の皆さんが、実習を兼ねて野菜の販売に来てくれました。
戸田かけはしには小さいながらも本格的な水耕栽培設備や渡り廊下の屋上を利用したミニ農園などがあります。取れたてのレタス、枝豆、ジャガイモが格安とあって、あっという間に完売してしまいました。同じ敷地にある兄弟校ですから、これからも一緒に取り組める教育活動を増やしていきたいと思います。
(*)三国時代、呉の国の武将、呂蒙は勇敢だが無学な男だった。ある日、呂蒙は、主君の孫権から学問の大切さを諭されて一念発起し、学問にはげみ、文武とも一流の人物に成長した。その様子を見て呉の重臣の魯粛が言ったのが上の「士別れて三日なれば即ち更に刮目して相待すべし(人と三日も会わなかったなら、どのように成長しているかわからないから次に会うときには目をよくこすってしっかりと見なければならない、という意味)」というセリフ。
7/16 学期末モード(1)「交通安全教室」
うっとおしい梅雨空が続いていますが、学校では期末テスト、答案返却も終わり夏休みが間近です。今週から学期末らしく様々な行事が増えてきました。
今日の朝、一番似合ったのが「交通安全教室」です。JAFから講師の方を招いて講話をしていただくとともに、シートベルトコンビンサーという乗用車の衝突を再現するシミュレータでクラス代表の生徒たちがシートベルト体験をしました。
速度はごくゆっくり(時速20㎞以下?)なのですが、それでも体が大きく前方に振られ、もしシートベルトをしていなければ大変なことになることが実感できたと思います。
余談になりますが、今朝はエアバッグが開く瞬間をうまく写真にとることができました。これはスマホで撮りましたが、どんなカメラを使っていても、シャッターにはタイムラグがあるので、なかなか思ったようにはいかないものです(私が下手だから?)。こういうタイミングで撮れると気もちがいいですね。
あと、午後には第4回多文化交流バドミントン大会もありましたが、そちらは別のコーナーに記事が出ると思います。
7/11 写真部の作品展、プチ史跡2(8)ほか
昨日(10日)から来週の木曜日(18日)まで、本校隣の戸田市立郷土博物館で本校写真部の作品展示が行われています。私も写真を撮ったり見たりは好きな方なので、さっそく見てきました。
これは私の個人的な見解ですが、いい写真をとるために一番大切なことは、いつでもカメラを持っていることだと思います。そしていい瞬間を逃さずシャッターをきることです。
写真部の諸君の作品も、高校生ならでは感覚で、瞬間を切り取った力作ぞろいですので、お近くにお寄りの際はぜひご覧になっていただきたいと思います。
さて、こんな話を書いた後ではとてもやりにくいのですが、私がこの数日にとった写真を何枚か紹介します。
1枚目は先週末に幸手桜高校へ会議でいった際に見かけた石塔です。右側は青面金剛の彫られた庚申塔、真ん中は字だけ掘られた庚申塔、左側の小ぶりなものは、成田不動の不動塔のようです。
庚申塔は江戸時代を通じて沢山建てられましたが、文字だけのタイプの方が新しく、ここの庚申塔でも文字の方には、おそらく「天保13年(1843年)」と刻んであります。青面金剛の方は、ちょって年紀が探せませんでした。青面金剛の石塔の前にわらを束ねたようなものが置いてありますが、これは何かお供え物のようです。ちょっと神社などに奉納する懸税(かけちから)に似ていますが、地元にこの金剛様を尊崇して何らかの祭祀を続けている方がいるのでしょうか。
次は本校近くの空き地の野草です。小さいけれどとてもきれいな花が咲いています。この種類だけまとめて植えたら結構きれいな花壇や鉢植えができそうです。
最後は、祭りの提灯が張られた私の地元の風景です。戸田翔陽高校は生徒は3部制(午前、午後、夜間)ですが、教職員はA勤務(午前・午後)・B勤務(午後・夜間)の2部なので、B勤務の帰宅時は、こんな感じになります。
今週末は、多くの町でお祭りが開かれるのではないかと思います。本校の近所の新曽沖内町内会でも夏祭りが開かれるそうです。神輿だけでなく神楽ありお囃子ありの本格的なお祭りのようなので、私も行ってみたかったのですが、今年は地元の町内会の班長に当たっているので自分の地元優先です。
お祭りと言っても、最近はあまりそれが神事だと意識している人はいないでしょうが、本来は、地元の神様に神輿にのってなわばりを練り歩いてもらい、災厄や悪疫が入り込まないようにしてもらう大事な儀式です。お祭りに行かれる方はなるべく派手に盛り上がってください。
6/25 プチ史跡2(7) 八丁堀探訪
本校の多文化共生の取り組みが、活育財団主催のNext Education Award2024で最優秀賞を受賞したことは、本サイトのトップページに掲載していますが、私も先週6月22日(土)に行われたファイナルには応援に行きました。
その時の会場は八丁堀の内田洋行「東京ユビキタス協創広場」。いやあ「八丁堀」ですよ。時代劇に出てくる江戸の中心部です。というわけで、会場に行く途中にその近辺をちょろちょろしてみました。
その時、見つけた面白いお稲荷さんがこれです。
なんという狭小物件! 鳥居をくぐったらすぐに曲がって住宅の壁に張り付いた階段を上った先に祠があります。この民家の車庫か店舗部分と思われるシャッターが鳥居のすぐ向こう側にあり、もし車庫だとしたらこのお宅の自動車は鳥居をくぐって出入りすることになります。如何に地価の高い都心部とはいえここまでのものは珍しいですね。
鳥居の額には「今村幸稲荷神社」と書いてあります。この光景はさすがに目を引くと見えてネットで検索したら、たくさんヒットしました。それらによると、いつのころかは不明ですが、今村さんという人が、幸町に勧請したのが始まりで、明治6年からは日枝神社の神主がここの管理もするようになったという話が書いてあります。少なくとも150年以上の歴史があるお稲荷さんです。尊崇する人も少なからずいたようで、境内の境を示す石柵には柵を寄進したたくさんの人の名前が彫ってあります。この狭小ぶりが元からのものなのか、何らかの事情でこうなってしまったのか、などとても気になりますが、こんな風にしてもお稲荷さんをお祭りしようという地元の方の心映えが素晴らしいです。
次は亀島橋の上からみた東京スカイツリーです。
亀島橋の下を流れる亀島川は日本橋川と隅田川をつなぐ川で、江戸時代にはこのすぐそばに幕府の御船手奉行所があったそうです。今はほとんどが埋め立てられたり、暗渠になったりしていますが、昭和30年代までの江戸~東京はこんな感じの水路がたくさんある水の都だったそうです。ちょっとその時代がしのばれるような光景です。
6/14 プチ史跡2(6)羽生市探訪(続)
めっきり暑くなってきました。
私の通勤経路に広い庭のあるお宅があるのですが、つい数日前にはクチナシがきれいに咲いていたのに、急に気温が上がったせいか、今朝はもうすっかり萎れていました。また暑い夏が来るのかと思うと、今からちょっとうんざりです。
さて、先月末に羽生に行った時の写真で、まだ紹介しきれていなかったものがあるので一気に紹介します。
毘沙門塚古墳の前にある郵便ポストです。骨董品ではなく現役バリバリです。最近の四角いポストと違って、実用品にも美しさを求める意識が感じられていいですね。この型の鋳鉄製ポストはだんだん数が少なくなってきましたが、きちんとペンキを塗って錆を防いでいれば1,000年くらい大丈夫な耐久性はあると思います。末永く頑張ってほしいと思います。
上のポストの道を挟んだ反対側にある句碑です。表面には芭蕉の「春もややけしきととのふ月と梅」の句が、裏面には、明治30年3月に「樨香菴起生」という人がまとめ役の地元の結社がこれを建てたことが刻んであります。
現代では日本の文化は極端な東京一極集中になっていますが、江戸時代や明治・大正時代には地方の町や村にも文学や俳句などの愛好家の集まりがたくさんありました。芭蕉や小林一茶などがよく旅をしたのも、単に旅行好きとか取材のためとかではなく、地方を回って指導をして謝礼をもらう営業活動でした。
「文学」、「羽生」とくれば、田山花袋の名作「田舎教師」ですが、それを見ても、明治時代の羽生、熊谷、行田などには、いつかは東京に出て文名を上げてやろうという夢を持った青年たちがいて、なかなか文化活動が盛んであったことがわかります。
この碑の場所は今は線路近くのほったらかしの空き地、といった感じですが、行田から来た街道が羽生の町に入る所なので、昔はかなり人通りの多い目立つ場所だったと思います。「春もやや~」は芭蕉の句の中でも人気があったようで、この句の碑は全国各地に立っています。
この句の裏側に、もう一つ石碑が立っていますが、私的にはこの碑がとても気になります。碑の表面に4、5行ほど文字が刻んであります。右側2行は割と文字が残っているのですが、これが微妙に判読できません。真ん中の行はなんとなく「餞田嘉平次(?)」と人名が刻んであるような気がします。左側はすっかり文字が薄れているますが、何か「羽生~」のような気もします。こういう読めそうで読めない石碑を見るとフラストレーションがたまります。
最後の写真はさらにその数日前に、誠和福祉高校へ行った時のもので、同校の敷地の真ん中を流れる「会の川」です。この川は羽生と加須の市境になっていて北側が羽生市、南側が加須市です。今はちょっとした用水路くらいにしか見えない会の川ですが、江戸時代の利根川改修以前は利根川の本流の一つでした。市境はその名残をとどめているわけです。
両岸に桜が植えてあるので、春にはものすごくきれいです。校内にこんな桜の名所があるとは、実に素晴らしい学校(本校とは生徒の通学区域がかぶらなそうなので、手放しでほめてしまいます)です。戸田翔陽高校には桜の木が少ないので実にうらやましい限りです。
6/6 「かけはしのカフェに行きました」他
前回は学校外の話題でした。続きはそのうちに書きますが、今日は学校内の話題にします。
とはいえ、ちょっとだけ前回の補足です。前回、前の学校ブログで与野周辺にたくさんある塚のことを書いたと書きましたが、それをまとめてみました。「与野塚めぐりまとめ.pdf」興味のある方は読んでみてください。
それでは、今回の本編です。
小話(1)かけはしのカフェに行きました。
今日は同じ敷地内にある戸田かけはし高等特別支援学校の「Cafe 虹のかけはし」の「翔陽デー」に御招待いただきました。戸田かけはしでは、生徒の自立する力を育てる様々な実習を行っていますが、このカフェもその一環です。戸田かけはしの生徒の皆さんが、飲み物や手作りのケーキやパンをサービスしてくれます。
私は写真のラテアートとココアマーブルとチョコレートのパウンドケーキ2種類を買いました。ラテアートは戸田かけはしの校章ですね。ケーキは自宅に持って帰ってゆっくりいただきます。
今月は7日(金)と28日(金)(いずれも10:10~11:50、ラストオーダー11:40)に開くそうですので、ぜひ皆さんもご来店ください。
ところで皆さんは「インクルーシブ」という言葉をご存じでしょうか。日本は「障害者権利条約」という条約を批准しています。その条約では教育は原則インクルーシブで行うべきとなっています。インクルーシブ教育とは様々な障害のある子供を排除せず、全ての子供を一緒に教育するということです。とはいえ設備や人員、児童生徒の安全の問題などがあり、この理想を一気に達成するのがむつかしいのも事実です。
戸田翔陽高校と戸田かけはし高等特別支援学校は同じ敷地を共有する兄弟校です。本日、カフェに招待していただいたように、今後も職員・生徒の交流を増やし、一緒にできる教育活動も増やしていき、インクルーシブの理想に近づいていけたらいいな、と思います。
小話(2)不思議な木の枝
戸田翔陽高校の東側外周に沿った防球フェンスの一角に、下の写真のような木(枯れ木)の枝があります。
この枝ですが、防球フェンスの金網をきれいに突き抜けるように生えています。今は根っこの方が伐採されているので、まるで宙に浮いたように見えます。フェンス内側に残っている切り株などから推測すると、元々は赤線で示したような感じに生えていたのだと思いますが、道路側に伸びてフェンスの外側に突き出た枝が太く成長するにつれ、枝の内部にフェンスの金網を取り込んでしまったようです。
本校のフェンス沿いにはこれと同じようにフェンスに張り付いたようになっている木の枝の跡が何か所かあります。年月をかけて少しづつ成長し、フェンスを完全に取り込んでしまった植物の生命力に驚かされます。私たちも小さな努力をこつこつ積み重ねれば、すごい技術や能力を身につけられるかもしれません。頑張らなければ! と思います。
6/3 プチ史跡2(5)古墳のある街(羽生)
先週は出張の関係で1週間のうちに2回も羽生市を訪問しました。出張の行き帰りに大急ぎでいくつかの史跡を見てきましたので、その成果を発表します。
まず羽生駅におりますと駅で出迎えてくれるのが、ご当地キャラクターのいがまんちゃん(右)とむじなもん(左)です。いがまんちゃんの元になったのは、饅頭の上にお赤飯が乗っている「いが饅頭」です。何とも言えない不思議なお菓子ですが、私は結構好きですね。
今回の出張の目的地、羽生市民プラザは東口ですが、あえて西口に降り、東亜酒造さんの工場の前を北へ進みます。行田へつながる古い街道に突き当たったところの小高い墳丘の上に保呂羽神社があります。地図では「神社」となっていますが、祀られているのは「蔵王権現」なので神仏習合の山岳信仰の祠です。鳥居などもありません。境内の看板には鎌倉時代の武将和田義盛と絡めた由来が書いてありましたが、名称といい祭神といいこの祠は秋田県の山岳信仰の霊場「保呂羽(ほろわ)山」と関係のあるものでしょう。岩手県内や三陸地方には保呂羽神社が点在し、信仰を集めているようですが、なぜ遠く離れたここ羽生に保呂羽神社があるのかはちょっと謎です。
そこからいかにも昔の街道という感じの道を東に歩き、秩父鉄道の踏切(写真)と東武鉄道の踏切を渡ると、こんもりとした森のある一角が見えてきます。
このこんもりとした森は、それ自体が墳丘長が60m以上もある前方後円墳「毘沙門山古墳」という史跡です。この古墳の前方部の上に地元の様々な神社を合祀した社があり、後円部のふもとに毘沙門堂があり、さらに境内には稲荷社や馬頭観音の石塔などが散在し、さながら「宗教センター」の様相を呈しています。
古墳の上に神社やお堂が立っているのは、結構よく見られる形で、この近所では羽生市立村君小学校の隣にある永明寺古墳 (墳丘上に薬師堂が立っている)などが有名です。このように古墳の上に神社等が建てられるのは、古墳が何かしらの宗教的畏敬を払うべきものとして地元の人々に扱われてきたためだと思います。ここの毘沙門山古墳の上の社は、明治時代に地元のいくつかの社を合祀して建てられたものということなので、比較的新しいものですが、下の毘沙門堂は建長8(1256)年に北条時頼により創建されたという長い歴史をもつものです。毘沙門堂が創建されたころは、後ろの古墳ももっとはっきり形が残っていたでしょうから、その麓にお堂を建てるということには意図的なものがあったはずです。
毘沙門堂の隣に立っている大きな石碑は、お堂の創建と同じ建長8年に建てられた板石塔婆です。この巨大な石は古墳の石室の天井板を転用したものではないか? と言われています。きれいな緑色の石(緑泥片岩)で明らかに特別な用途のために遠くから運ばれてきたものでしょう。ちなみに板石塔婆としては日本最大とのことです。
さて、この毘沙門山が古墳なので、さっき見てきた保呂羽神社の墳丘も古墳かな、と思ったら、やはりここも5世紀から6世紀ころに作られた円墳ないしはホタテ貝式古墳だそうです(羽生市のWebページによる)。私の前任地の与野高校にも学校周辺にこれと同じような墳丘の上に神社というパターンのものが密集しています。前任校のブログでこれは古墳群ではないか? と書いたのですが、羽生の例を見てますますそんな気がしてきました。
ほかにも見どころがたくさんあった羽生ですが、長くなってきたので続きはまた今度にします。