校長室ブログ

忙中閑あり~校長室より

5/21 「こんなものを読んできた(17)」 & 都市伝説を追う

 今日はいい天気でしたが、ここのところ雨が多いですね。アジサイも咲き始めましたし、もう梅雨に入ってしまうのでしょうか? 近年は気候が変動しているようで、昔からの季節感がどんどん通用しなくなっています。

 本校では中間考査も終わり、今日はスポーツテストでした。走ったりボールを投げたり、記録の差はもちろんありますが、だらだらやっている人がいないのはとても素晴らしいことだと思いました。

 

 さて、お題のひとつ目です。

 中間考査も終わったので、「こんなものを読んできた」の配信を再開しました。今回紹介するのは、数年前に埼玉のご当地マンガ「埼玉の女子高生ってどう思いますか」で話題となった渡邉ポポの新作「ポンコツ魔王の田舎暮らし」です。

こんなものを読んできた17(ポンコツ魔王の田舎暮らし)Web.pdf 

 私がここで何か言うより、実際に作品を読んでもらうのがよいのですが、渡邉ポポさんの漫画には、人の弱さや困った性質も否定せずに受け入れていくやさしさが底流していて、私は好きですね。

 お題ふたつ目です。

 先日の夕方、給食を食べているとき「給食費を払っているのに『いただきます』を言う必要はない、という保護者の意見で、『いただきます』を廃止した学校があるそうだ」という話題が出ました。

 「本当かな」と思ったので、ネットで調べてみたら、私と同じような時期に同じような疑問を持った方がいたようで、この問題を詳しく調べたブログがありました。

 電脳藻屑 さんの「電脳塵芥 四方山雑記」というブログの2025年5月9日付けの「学校給食時の「いただきます」が廃止されたという都市伝説に関する検証」という記事です。(直リンクは貼っていませんが、検索すればすぐ見つかると思います。)。非常に深く正確に調べているので、私が今さら付け加えるようなことはありません。これを直接読んでいただければよいのですが、私の理解したところの要点をザックリまとめると、

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①「いただきます廃止の学校がある」という話は、都市伝説である。

 この話は1990年代から、数年おきに新聞・雑誌やインターネットで話題になっている。しかし、どれも出所をたどると「~と聞いた」、「~という学校があるそうだ」と伝聞の形になってしまう。この話の火元の一つは、永六輔(とても人気のあった放送作家・タレント)氏の1990年代のラジオ番組や講演、著書と思われるが、それを見ても、「いつ、どこで、そのようなことがあった」が示されているものはない。

②1990年代から、今日までの間に話の中身が変形してきている。

 この話の原型は、1990年代ころ、北陸地方で「いただきますと一緒に行っている合掌の動作は、仏教的で公教育の政教分離原則に反するのではないか」という保護者からの批判があり、これにこたえて「合掌の号令」をやめた、という話と思われる。これは当時の新聞や教育関係の書籍にも取材したうえで書かれた記事があり、根拠のある話である。

 その話が様々な人の口や筆を経るうちに、「合掌の号令」の廃止が「いただきます」の廃止にすり替わり、さらに2000年前後からは、廃止の理由が「給食費を払っているのに」に置き換えられたバージョンが広がりだした。

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ということになると思います。

 私的には②の「合掌は政教分離に反する」という批判は厳格すぎる気もしますが、様々な宗教の原理主義的な宗派からすれば「合掌は仏教の礼拝形式だから従えない」という主張はあっても不思議ではありません。その権利は尊重されるべきだと思います。

  それが20世紀末ごろ、学校と保護者の間のトラブルが社会問題化するようになってきたのに合わせて、全国的に通用する話題で、しかも当時の世相からあっても不思議ではない「給食費」の問題に置き換わったようです。 そして様々な人が出所を確認しないままに、この話を自分の講演や著作等に引用し続けた結果、すっかり「そういうことがあった」という伝説が定着してしまったようです。

 これは、私の想像ですが、もしかするとネットなどでこの話を読み、まねをして学校に「いただきます」を言うのはおかしい、と実際に言ってみる人もいるかもしれません。そうすると伝説によって事実が作られてしまう可能性もあるわけです。

 だれも責任を取らない形で、いい加減な話が流通するネット社会の情報の典型例を見たような気がします。

 

5/8 これを便利とよぶのか? &「こんなものを読んできた」16

 春の連休が終わってしまいました。今年は前半と後半がはっきり分かれた形だったので、あまり連休感がなかったかもしれません。

 

 連休の間にすっかり陽気は初夏のようになりました。校庭の端の方に生えているクローバーの群落が甘い香りを漂よわせ、ハチやチョウが蜜を求めて集まってきています。

 さて、「こんなものを読んできた」第16回は、最近の1か月をかけて読み進めてきた北村薫「円紫さんと私」シリーズです。こんなものを読んできた16(円紫さん)Web.pdf

 このブログでも何回か触れましたが、この作品は1980年代末~90年代前半くらいの作品(最新刊の「太宰治の辞書」はのぞく)です。読むと、この20~30年の間に見られなくなったものや変わってしまったことに気づかさせられることが多くて楽しいのですが、生徒の皆さんのような若い人にはあまり受けない作品かもしれません。

 この20~30年の間に変わってしまったといえば、「電話」の使い方、使われ方です。

 この何年かで、私は休み明けに「電話をかけたのに連絡が付きませんでした」と怒られることが多くなりました。「おかしいな。ずっと自宅にいたから電話をとりそこなったことはないはずだが?」と思って確認すると、たいていの場合、スマートフォンの着信履歴にだけ不在着信が残されていて、自宅の固定電話にはかかってきた跡がありません。

 こういうときには、私と相手の方の電話に対する感覚が違うのだなと思います。

 相手の方は、スマートフォンは常に肌身離さず持ち歩いて、LINEでも音声通話でもすぐにレスポンスするべきだ、と思っているのでしょう。 私の感覚では、スマートフォンは外出時などに連絡をとる道具だと思っているので、自宅では充電器につないで、ほったらかしにしています。

 私としては、非常連絡先として自宅の固定電話の番号を届け出ているのだから、まず自宅番号にかけて不在だったり外出中だったりしたときに、次の策としてスマートフォンにかけるのが筋ではないか? と思うのですが…。最近は自宅番号が書いてあってもそこにかけることは考えもしない人が増えたようです。

 「時代がそうなのだから、合わせなさいよ」と言われそうですが、私はこの点に関しては断固として合わせる気がありません。スマートフォンでいつでも連絡が取れるというのは便利なようですが、「いつ連絡が入るかわからないから手放せない」というのでは、スマートフォンの奴隷です。これを便利と呼ぶのでしょうか?

 また、以前にも書きましたが、最近はLINEなどでいつでも連絡が取れるせいか、若い人たちの間では待ち合わせの場所や時間を決めてそれを守る、という習慣がなくなったようです。

 上田秋成の「雨月物語」には、赤穴宗右衛門という人が殿様に監禁され親友の丈部左門との再会の約束に間に合わなくなったので、切腹して死霊となって会いに行ったという話があります。(ちょっとBLの雰囲気もある話です。そういうのが好きな人は是非、読んでみてください。)

 約束に遅れそうになるたびに腹を切っていたら命がいくつあっても足りませんが、今は、簡単に約束して簡単にキャンセルするのが当たり前になり、約束の重さが軽くなった気がします。

4/28 前回「本を読んで気になったこと」の補足

 いよいよ春の連休に入りました。私は特に予定はありませんが、気が向いたら埼玉県内の行ってみたい神社や史跡をいくつか回るかもしれません。

 さて、前回、北村薫の「秋の花」を読んでいて、「小説の時代(1980年代末)と近年の間で台風の強さが強まったりしているのだろうか?」というのが気になったという話を書きました。

 そこで前回は台風の上陸時の平均気圧を求め、2010年代と1980年代の強さ(気圧の低さ)の平均の差を検定してみました。すると1980年代と2010年代の間の平均の差は、「有意とは言えない」という結果が出ました。しかし、前回掲載したグラフでは凸凹はあるものの、直感的にはなんとなく右肩下がりで台風は近年になるほど強くなっているような気がします。そこでもうちょっと手間をかけて統計分析をしてみました。

 統計分析ソフトには、関西学院大学の清水裕士教授がフリーで提供してくださっているHADを使いました。

 さて、今回はJCDPの台風データに入っている1877~2019のすべてのデータを使いました。「近年になるほど台風は強くなっている」というのを仮説、目的変数を上陸時の気圧「(hPa)」、説明変数を「年」として、単回帰分析を行います。散布図や回帰直線も表示するように指示をして、ポチっとすると、

【回帰係数】

【予測曲線】

こんな感じです。といわれても何のことやらわからないと思いますので、ざっと説明します。

 上の表で「切片」の係数「1087.623」、「年」の係数「-0.057」となっていますが、これは、ある年の台風の上陸気圧の平均値が、以下の式で予測されるという意味です。

 予測平均気圧=1087.623-0.057×年+誤差

そして、年の係数「-0.057」について、「p値」は「0.001=0.1%」で、これはこの係数が間違いである可能性は0.1%という意味です。したがって、この式はかなり信頼できるものといえます。

 下のグラフがこのデータを使い、年を横軸、気圧を縦軸にとった散布図です。

 点の分布にはかなりばらつきがありますが、なんとなく点の密度の高い黒っぽい部分が緩やかに右下がりになっているような感じです。また点の集まりが作る形も底の部分はなんとなく右下がりで、その年一番、二番の強い台風の強さが、少しづつ強くなっているイメージがあります。そして分布の真ん中を串刺しにするように青い回帰直線(上の式で表される直線で、このデータの変化の傾向を表している)が通っています。

 こちらの分析からは「近年になるほど台風は強くなっている」という仮説は正しい(間違っている可能性は極めて低い)、といえます。

 前回の分析とは結果が矛盾するようですが、これは見方というか視点の違いです。前回は1980年代と2010年代の二つの平均を比べると「平均の差があるとは言えない」という事でしたが、今回はより大きく1870年代からの150年間を見通すとどうか、という視点で見ています。そうするとやはり、だんだん台風は強くなってきている、という直感が裏付けられました。

 何年か前に西内啓さんの「統計は最強の学問である」という本が話題になったことがありますが、統計を使うと様々なことを分析できます。最近は高校の数学でも以前より統計に関する部分が増えましたが、学校での教え方は「各種統計数値の算出法を教えて、計算させる」という事になりがちです。しかし、統計について本当に勉強すべきは、「統計によってどんなことを調べられるのか」とか「統計的に有意」とはどういうことか、という本質だと思います。

 この辺をみんなが常識として持つようになれば、数年前のコロナ騒動は起きなかったかもと思います。しかし、どんなにきちんと統計的に証拠を示したとしても、世の中には自分に不都合なことは「そんなのただの計算だろ。屁理屈を言うな」といって拒否する人が多い(特に偉い人に)ので、同じことだったかもしれませんが。

 

 

4/25 本を読んでいて気になったこと & 「こんなものを読んできた」15

 「こんなものを読んできた」の15回目はトム・マグナブ「速い男に賭けろ」です。最近はみんなが内向きになって海外の音楽や映画、小説はどれも人気がないようです。しかし、私は独りよがりにちまちま自分のことにだけ関心を向けている日本の小説(最近の恋愛小説や青春小説にもこの特徴は顕著です)はあまり好きではありません。壮大なホラ話のような海外の作品の方が好きなのですが…。こんなものを読んできた15(速い男に賭けろ)web.pdf

 さて、本日のお題「本を読んで気になったこと」ですが、ここのところ読み進めている北村薫「円紫さんと私」シリーズについてです。「またかい」と思われるかもしれませんが、1980~90年代にかけての古き良き日本が活写されていて、「そうそう、そうだったよね」という発見があって楽しいので…。

 そのシリーズ第3作「秋の花」の中に、主人公の姉が台風が来ているのに頑張って会社に出勤する場面がありました。それが可能だったのは、昔はJRでも私鉄でも鉄道が台風くらいで運休することはあまりなかったからです。今日の鉄道は実際に台風が来る前から計画運休が発表されて、すぐに運休になってしまいますが…。

 これはなぜなのか。

 私が推測するに人員削減や人手不足でどこの鉄道会社も保線要員が足りないのかもしれません。あるいは事故や突然の運休などの際、鉄道会社に寄せられるクレームが昔より圧倒的に強くなっているので、人々のために交通手段を確保することよりもトラブルを避けることを優先して運休にしているのかもしれません。

 またもしかすると、本当に温暖化などの影響で台風の風雨が1980年代より強くなっているから、安全のために運休となっているのかもしれません。

 上記のうち台風について、自分流に考えてみました。下のグラフが、1880年代から2010年代に日本に上陸した台風の上陸時の気圧を10年単位で平均したものです。元データはJCDP(Japan-Asia Climate Data Program)のWebサイトからいただきました。

 気圧が低いほど台風が強いことになるので、上のグラフで見る限り、だんだんと台風は強くなっているような印象です。特に1980年代から2000年代以降では、急激に強くなっているような感じがします。

 しかしそれが本当にそうなのかを確かめるためには、統計検定をしなくてはなりません。2010年代の台風の気圧の平均値と過去の10年ごとの平均値の間に有意(意味のある)な差があるか、はフリーの統計ソフトgretlを使って検定を行いました。

 

 そうしてみると一般的な5%水準で、2010年代との間に有意な差があるとみなされるのは、1880年代から1900年代、1920年代だけです。この結果からすると、2010年代は19世紀~20世紀初頭よりは台風が強まっているとは言えても、1980年代との差は誤差のうちかもしれないということです。簡単にきれいな結論というのは出ないものです。

 最近は「エビデンス」が大事だとよく言われますが、いろいろな議論でそれぞれの立場の人が持ち出す「エビデンス」は、よく見ると自分に都合のいいように恣意的な結果の読み方をしたものがすくなくありません。

 上の台風の例のように、自分の仮説を検証して「これは成り立たないかも」という正直者(私のこと)は少ないので注意が必要です。統計はうそをつきませんが、人はうそをつくので…。

 ここまでが文字や硬いグラフや表ばっかりだったので、おまけに今回も身近な花の写真を載せておきます。

 左上がハコネウツギ、右上はアカバナユウゲショウ、左下はたぶんハルジョオン、右下はナガミヒナゲシだそうです。花の名前はマイクロソフトのAIコ・パイロットさんに教えてもらいました。

 ハルジョオンが「たぶん」なのは、ヒメジョオンとの区別がよくわからないからです。コ・パイロットさんはヒメジョオンだというのですが、時期と葉っぱの形から、私的にはハルジョオンかな?と。むしって茎の断面を見ればわかるようですが…。

 ナガミヒナゲシは、私が子供のころは見なかった花ですが、30年くらい前から国道17号や産業道路(県道35号)沿いに北上して来て、今ではそこらじゅうで見るようになりました。花がとてもきれいなのですが、有毒で生態系にも影響を及ぼす外来側物だそうなので、見かけたら駆除した方が良いようです。

 

 

 

4/21 花の季節

 先週末あたりから、急に暑くなりました。3月終わりころには、冬のような寒いが続いていた気がしますが、1か月で一気に冬から夏へ早変わりです。

 さて、桜が終わったかと思ったら、急に他の花が咲きだしました。1年で最も花のきれいな季節かもしれません。下はこの数日で身近に見かけた花の写真です。

 一番上はアメリカハナミズキです。この写真は上尾運動公園周辺で撮ったものですが、戸田のボートコース沿いにもハナミズキの木が植えられていて、5月のレガッタシーズンにはとてもきれいです。

 中左はドウダンです。ドウダンを漢字で書くと「満天星」となります。白いはながたくさん咲いているところを夜空いっぱいの星にたとえたのでしょうか。また小さいながらも甘い蜜をもつ花なので、子供のころはこの花をつんで蜜を吸って遊びました。(花の蜜には有毒なものもあるそうです。良い子はうかつに蜜を吸わないようにしてください。)

 中右はモッコウバラです。モッコウバラはバラ科ですが、モッコウというキク科の植物もあるので、ややこしいですね。モッコウといえば、織田信長の家紋が木瓜(モッコウ)ですが、これはモッコウバラの方をモチーフにしているようです。

 下左は、サツキだと思います(いや、ツツジかも)。私はサツキとツツジの違いがよく分かりません。ネットで調べると花の時期や葉っぱの形などいろいろ書いてあるのですが、読めば読むほどわからなくなります…。また、上の写真のドウダンもドウダンツツジといってツツジの仲間だそうです。現代なら遺伝子解析とかで近縁関係を調べられると思うのですが、これだけ形が異なる花を目で見た形態分析だけで同じ仲間に分類できたのはなぜなのか不思議です。

 下右は、ハナニラです。他の植物の陰になるようなところに咲いていますが、涼しげな青紫色がきれいです。ちなみに、このハナニラと食用にする花ニラは別の種類で、こちらのハナニラを食べると中毒するようなので気を付けてください。

 こういった花の名前や虫の名前などは昔は図書館へ行って図鑑と首っ引きでないと調べられませんでしたが、今はマイクロソフトのコパイロットやグーグルのジェミニ等のAI(人工知能)のサービスを使えば一発です。この1、2年でAIもすごく精度が上がり、普及してきました。先日もコパイロットに「遠足で動物園に行った作文、書いたのは小学3年生男子で、爬虫類が好き、仲の良い友達はヒロシ君、800字以内」と条件を設定して作文を書かせたら、ほんの10秒くらいでちゃんと小学生っぽい作文を返してきました。

 これだけ便利なものを使うな、というのは無理なので、教育の在り方、特に宿題の出し方などは変わらずを得ないでしょう。

 

 

4/17 無題

 今回はどうにもタイトルをつけにくく「無題」としました。(いつも無題のようなものですが…。)

 さて読者案内「こんなものを読んできた」第14回は、今日の夕方配信予定ですが、こちらで先行公開してしまいます。今回紹介したのは、いまさらですが今年で10周年を迎えた「鬼滅の刃」です。この夏にアニメ完結編が公開されますが、それで終わっていくのか、それとも名作定番マンガとして定着するのかは、何とも言い難いところです。

 こんなものを読んできた(14)鬼滅の刃Web.pdf

 ちょっと前(4/8)に書いたと思いますが、最近、北村薫の「円紫さんと私」シリーズを読んでいます。埼玉(杉戸の辺り?)から都内の私立大学文学部に通う女子大学生の「私」が、大学の先輩である落語家の春桜亭円紫とともに日常生活の中で起きる様々な不可解な事件に取り組むというミステリー小説です。

 北村薫は専業作家になる前は、埼玉県立高校の国語の先生だった人です。そのためか作品に出てくる高校や高校生活は埼玉県立高校を彷彿とさせます。「円紫さんと私」シリーズでも、主人公の「私」は同じ市内の男子高とペアになった女子高の出身です。男子高の方は駅前なのに、女子高の方は駅から遠いことに不満を持っているなど、あの男子高とあの女子高であることが、まるわかりです。 

 シリーズ第3巻「秋の花」の最初の方で、「私」が友人に女子高時代の思い出を語る場面があります。いまから30~40年くらい前(今でもあまり変わっていなさそう)の女子高の雰囲気が、生き生きと語られています。私も若いころ、とある女子高で教員をしていましたが、「秋の花」の「私」は、当時の私のクラスにもいそうな、何とも女子高の卒業生っぽい人物です。そのあたり北村薫の観察力・描写力はすごいと思います。

 現在、埼玉県の県立男子高・女子高については、共学化の議論が起きています。その是非については県民の皆さんが決めることですから、私がとやかく言うことではありません。しかし、この北村薫の「秋の花」でも語られているように、女子高や男子高には独特の文化があり、そこならではの人材を輩出してきたのは、事実だと思います。

 

 

 上の写真は、今回借りた「秋の花」の後ろについている図書カードホルダーです。今は学校図書館でも図書カードなどはなく、貸し出しはコンピューターで管理していますが、返却期限だけはこのように日付印で押しています。

 一番下の「25.5.14」は、今回の私の返却期限です。その上が、前の貸し出しですが「13.9.3」となっています。これを見て「へぇー、12年も借りる人がいなかったんだ」と思った方がいるかも知れませんが、そうではありません。上の「13」は、「2013(平成25)年」の下2けたではなく「平成13(2001)年」の13です。

 この図書カードホルダーの下をよく見ると「戸田高等学校」と書いてありますので、この本が購入されたのは戸田翔陽高校に変わった平成17年(2005)4月より前です。さらに奥付をみると、この本は1999年の第10刷ですから、2001(平成13)年あたりの購入と見るのが妥当です。つまり、今回の貸し出しは実に24年ぶり、ということになります。

 借り手が少なかったせいか、全然汚れていませんし、表紙の高野文子さんのイラストもすっと肩の力が抜けたようなタッチがとてもしゃれた感じで古さを感じさせません。こんないい本が、24年も借りられることがなかったのは、実にもったいない話です。

 本の内容を見ると、日本経済が絶好調だった80年代~90年代に書かれた小説らしく、主人公の「私」が頻繁に演劇や落語などを見に行ったり、街の描写にも豊かさが感じられ、社会の雰囲気自体が今よりゆとりのある感じです。主人公の「私」は作品の中では19~20歳くらいの女性ですが、実在の人物だとしたら、私より少し若いくらいですから、今50代後半くらいでしょう。その間に日本の社会はずいぶんとショボくなりました。

 

4/15 新緑がきれいです

 今年度に入ってから、この戸田翔陽高校Webページの更新頻度が高くなっています。先生方がどんどん更新してくれるので、この校長ブログもちょっとさぼっているとあっという間に「新着情報」から脱落してしまいます。

 さて、昨日は「対面式」でした。1年次生と先輩たちが顔を合わせ挨拶をする行事なのですが、両方ともちょっと声が小さくおずおずとした感じなのが、ほほえましい感じでした。

 

 今、中庭のドウダンの若葉がとてもきれいです。先週までは茶色っぽかったのに今週に入ってから急にさわやかな緑色になりました。このドウダンの植え込みですが、「TODASHOYO」の文字の形に刈り込まれています。

 これは本校が開設されたころの業務主事さんに樹木の刈り込みが得意な方がいて、「ちょっとやってみました」という感じで始めたものが、代々引き継がれてきたものです。あの頃は、校長先生をはじめとして教職員みんなに「新しい学校を作るぞ!」という活気がみなぎっている感じでした。

 本校は昨年度20周年を迎え、この春から21年目に入りましたが、開校のころの清新な気持ちを忘れることなく、様々な教育課題に果敢に取り組む学校でありたいと思います。

4/9 入学式でした。

 今日は入学式でした。

 本校の校歌の「さわやかな日差しに映える 優しい緑に」という出だしがぴったりと当てはまるような好天に恵まれ、233名の新入生が入学しました。

 

 式の最中の写真はありません。私自身が式典に参加しているので…。

 式辞では中国の古典「礼記」の「修身斉家治国平天下」という言葉を引いて、一人一人のよりよく生きようとする努力が、やがては世界平和にまでつながる。本校からその第一歩を踏み出してほしい、という話をしました。

R7入学式式次.pdf

 この言葉の出だし「修身」は第二次世界大戦前の日本の学校教育の中で道徳科目の名称として使われたため、一部にこの言葉にアレルギーを持つ人もいるようです。しかし、「修身=軍国主義=ダメ」という紋切り型の思考停止をやめて、虚心坦懐にこの言葉を読んでみれば、かなり個人主義的な言葉であることがわかります。

 私のイメージなのですが、古代の中国の人々は日本人よりずっと合理的で個人主義的だった気がします。中国思想の太い柱の「儒教」にしても、悪政により天意(人心)を失えば革命が起きて政権交代するという考え方ですし、「三国志演義」などでも、中国の英雄・豪傑たちは、自分の野心や利益に従ってわりと簡単に所属陣営を変えています。「自分の能力を評価して生かしてくれる職場に転職」という感じでしょうか。だからこそダメな主君に仕えて裏切らない諸葛孔明の忠義が光るわけですが…。

4/8 新学期開始! & いつの間にか無くなったもの(4)

  今日は1学期の始業式でした。いよいよ新しい年度が本格的に始まります。

 本校では明日が入学式ですが、桜の花もこの数日の寒さのおかげでだいぶ葉っぱも出てきたものの、まだ持ちこたえています。

 

 今日の始業式では、「新聞やテレビのニュースを見よう」という話をしました。

 最近、新聞やテレビを「オールドメディア」と呼んで、時代遅れな不要な物のように言う論調があります。しかし、これら「オールドメディア」にとって代わるとされるソーシャルネットワークサービス(Xやインスタグラムなど)やネット動画などの新しいメディアの情報の信頼性は低下する一方です。その信頼性の低さが、制作者のうっかりミスや取材力の低さのためならまだ許せます。しかし、現在では発信源が特定されにくいことや、公正さを審査する仕組みが未整備なことを悪用して、故意に虚偽の情報を流す人や団体が増えています。「オールドメディア」では、同じ事件の見方や扱いが会社によって差があることはあっても、芯となる事実そのものには大きな嘘はないと思います。ネットに流布する虚偽や風評に騙されないためには、「オールドメディア」からの情報もしっかりつかんでいく必要があります。

 春休みで1週休ませていただいた読書案内の「こんなものを読んできた」第13回を配信しました。今回は春らしい作品ということで北村薫「街の灯」を紹介しました。こんなものを読んできた13(街の灯)Web.pdf

 今回「街の灯」を紹介したついでに、北村薫の作品で今まで読んでいなかった「円紫さんと私」シリーズを読み始めました。

 今から30年ちょっと前の作品ですが、インターネットも携帯電話もなかった時代の生活は落ち着いていてよかったなと思います。映画を見に行くときはネットではなく情報誌(「ぴあ」とか「シティロード」とか)で上映予定を調べ、スマホで気軽に連絡を取り合うこともできないので、待ち合わせの約束などはしっかりと守らなくてはなりませんでした。そのせいか人と人の間の信頼感が今よりもずっとあった気がします。

 またこの作品の主人公の「私」は埼玉(杉戸の辺りっぽい)から都内の大学に通う女子学生です。特に裕福な家の子でもなさそうですが、彼女や友人たちは奨学金の返済やアルバイトに追われることもなく、のんびりとした学生生活を送っていて貧しさの影がありません。世の中全体に今よりもゆとりがあり優しい感じです。

 こういった優しさや豊かさも、いつの間にか無くなってしまったものの一つだと思います。

 

 

 

4/1 新年度御挨拶

 新年度になりました。今年度もよろしくお願いします。

 今日は昨日の続きのはずなのですが、新たに異動してきた方を迎えるとどこかちょっと雰囲気が違います。

 

 さて、先週は温かい日が多かったためが、桜が一気に咲きました(今日は寒いですが…)。昨日ちょっと都内に行ってきましたが、虎ノ門の文部科学省の近くの桜は、もう一部葉っぱが出始めていました。

 昔、平安時代に在原業平という人が「世の中に絶えて桜のなかりせば、春の心はのどけからまし(桜の花がなければ春はもっとのんびりできるのに)」と歌を詠みましたが、たしかにこの週末に花見ができるか、また9日の入学式まで桜が持つか、気が気ではありません。

3/31 年度末ご挨拶 & 久しぶりのプチ史跡巡り2

 今日で令和6年度が終わり、明日から令和7年度が始まります。

 年度末に付き物なのが人事異動です。昨日、新聞で埼玉県の教員人事異動が発表されていました。本校でも他の職場に異動する人が荷物の整理をしていたり、そのほかの人も職員室の模様替えの準備をしていたり、あわただしさの中に寂しさが混じった年度末独特の雰囲気が漂っています。

 私は来年度も引き続き本校でお世話になります。一年間ありがとうございました。また来年度もよろしくお願いいたします。

 読書案内「こんなものを読んできた」は、春休みにつき今週はお休みさせていただきます。

 さて、少し前になりますが3月22日(土)、人に誘われて都内を歩いてきました。その日は日差しが強く半そでのTシャツで歩いている人もいるほどの陽気でした。池袋の西口に集合し軽く食事と泡のでる飲み物を楽しんだ後、出発しました。

 西口のすぐ近くにも、池袋の地名の由来を書いた碑がありました。

 

 昔、池袋の周辺に水が湧き出す池があり、そこから雑司ヶ谷の方へ弦巻川がという川が流れ出ていたので、池袋という地名になったという由来が書いてあります。しかし池袋西口は線路にそって南側の方へ行くと階段で降りていくようなすごい坂道があり、周辺に比べて明らかに土地が高いので、池があったのはこの辺ではないでしょう。

 と思って家に帰った後で調べてみたら、地名研究家の谷川彰英先生が「元々の池袋は、本池袋3丁目の池袋氷川神社の辺りだったのでは」と書いているWEB記事を見つけました。前にも書きましたが氷川神社といったら水神ですので、その辺りが水の湧き出る盆地だったのでしょう。何かの機会にぜひ行ってみたいと思います。

 ちなみに谷川彰英先生は私の大学時代の先生です。現在は難病にかかっているとのことですが、それを押して執筆をつづけていらっしゃいます。今また先生に御教示いただくとは何かの縁を感じます。ありがたいことです。

 さて、そこからずっと歩いて、有名な人のお墓があるので有名な雑司ヶ谷の墓地に行きました。都内で有名な人のお墓と言ったら谷中とか青山にもありますが、谷中が大名家や旧華族などの大きなお墓が目立つのに対し、雑司ヶ谷の方はこじんまりとして中産階級のお墓といった感じです。

 ここの最大の目玉は、夏目漱石のお墓でしょう。

 

 夏目漱石の書斎の椅子の形を模したという、両側にひじ掛けのようなものがついた大きなお墓です。明治の文豪の名に恥じない、といえばそうなのでしょう。しかし、私の中では夏目漱石というのは、もうちょっとライトなイメージなのですが。

 たとえば代表作の一つ「三四郎」のあらすじを私流にまとめてみましょう。

 大学に合格して東京へ向かう途中の主人公の少年が、列車の遅延で出会ったばかりの年上の女性と同じ部屋に泊まることになり、誘惑されてドキドキ…。大学では何の役に立つかわからない実験ばかりしている変人の先輩、先輩のかわいい妹、チャラい同級生、先輩の知り合いでツンデレで思わせぶりな美女などに囲まれ、主人公はツンデレ美女に振り回わされた挙句に失恋…。

 という感じで、もうほとんどラノベ(ライトノベル)です。

 夏目漱石が現代日本の小説の文体を確立した偉大な作家であったのは間違いありませんし、私も漱石の作品は全部とは言いませんが、かなり読んでいます。ですが、私は夏目漱石本人は「不朽の名を残す大作家になろう」などとは考えていなかったのではないか? と思います。

 夏目漱石の作品を読むと、様々に試行錯誤しながら小説を書いていたことがわかり、その苦労がしのばれます。しかし、前半と後半で文体が全く変わっているなど粗削りで未完成な感じなものが多く、現代だったら出版社の編集者に滅茶苦茶に直されてしまいそうです。作品のテーマも当時の流行や風俗を取り入れていて、夏目漱石は、読者を楽しませる面白い作品、売れる作品を書くことを第一にしていたと思います。

 今、もし天国の漱石先生の声が聞けたとしたら、「あれ、まだ俺の作品なんか読んでくれているの!?」と言うのではないでしょうか?

 

 

3/24 修了式・いつの間にか無くなったもの(3)

 今日は修了式でした。生徒のみなさんは明日から春休みです。修了式では史記の「桃李言わざれども、下自ずから蹊をなす」という言葉を例にとって話をしました。この言葉は「人格の優れた人の下に、特に言いふらさなくてもは徳を慕って人が集まってくる」ことのたとえですが、今回は「成蹊」の部分から、「人々が少しづつ踏み固めればいつの間にか森の中に道ができるように、毎日少しずつ積み重ねれば、大きな成果を達成できる」という話をしました。

 あと読書案内「こんなものを読んできた」の12回目を配信しました。

こんなものを読んできた12(反逆者の月)Web.pdf

 さて、いつの間にか無くなったものの第3回目です。まずは下の写真をご覧ください。

 ちょっと見ずらいかもしれませんが、石碑にみずらを結った古代風の男性の像が線刻されています。これは何かというと聖徳太子の像碑です。これは私の地元、上尾駅前の氷川鍬神社の境内にあるものですが、古くから日本では、聖徳太子そのものを信仰の対象とする「太子信仰」が盛んでした。この神社だけでなくあちこちの寺社の境内に同じような太子像や碑が残っています。

 これほど日本人の崇敬を集めてきた聖徳太子ですが、最近の歴史教科書では聖徳太子という名前は登場しません。出てくる場合も「厩戸皇子(聖徳太子)」のような扱いです。

 これはなぜかというと、最近、聖徳太子の事績とされることに疑いを持ったり、あるいは存在そのものまで疑うような流行があるからです。これらの説を唱える人には、理由として「聖徳太子の実在を示す同時代の史料がない」と言っている人が多いようです。しかし「同時代史料がない」ということを実在を疑う理由とするなら、現代に伝わる日本最古の歴史書・文献は8世紀初頭に編纂された「古事記」や「日本書紀」ですから、8世紀より前の人物や事件はすべて同時代の史料がなく疑わしいことになります。聖徳太子だけを捏造された架空の人物とする理由にはなりません。

 確かに聖徳太子に関わる様々な伝承には、神聖化や粉飾がみられます。みんながわいわいしゃべっているのを聞き分けたという有名な逸話もそうですし、「厩戸」という名前の由来の、母親が馬小屋で産気づいて生まれたという逸話もキリスト教(当時中国に来ていたネストリウス派)の影響があるという説があるくらいです。とはいえ、聖徳太子の没後、早い段階から神格化や太子信仰の芽生えがあったことなどから、偉大な人物としての太子の記憶が当時の人々の中にあったことは確かでしょう。

 歴史のイメージというのは確かに改編されることはあります。たとえば坂本龍馬などは興味深い人物ではありますが、冷静に考えれば、幕末の混乱でひと旗上げようとする政治ブローカー、イギリスとつながって武器を売りまくろうとした武器商人だったと思います。ところが司馬遼太郎の「竜馬がゆく」のおかげで明治維新を作り出した英雄のように信じられるようになりました。しかしそれにしても、龍馬の人脈の広さや、さまざまな事件に顔をだす抜群の行動力という芯となる事実があってこその英雄化です。

 ですから、聖徳太子についても「十七条憲法」「冠位十二階」などが、全て太子の功績によるものではないとしても、天皇家と蘇我氏の間の難しい関係をうまく保ちながら、政治運営した偉大な皇族政治家であったことは疑いがないのではないかと思います。

 根拠のあやふやな批判を真に受けて、長く親しまれた「聖徳太子」の名前が教科書から消されているのは、どうも理解できません。とある教科書会社は「厩戸皇子(聖徳太子)」と表記する理由を、聖徳太子は後世につけられた呼称で、当時はそう呼ばれていなかったから、のように言っていますが、これはものすごくおかしな議論です。後世につけられた呼称というのなら、中国の皇帝で「煬帝」、「玄宗」とかいうのも、日本の天皇で「応神天皇」というのもみんな死後に贈られた名(諡号)です。これらを使わずに楊広とか李隆基とかホムタワケとか言い出したら、大混乱が生じ、歴史嫌いの生徒がどっと増えてしまいそうです。

 中途半端な屁理屈を真に受けて、長年親しまれた「聖徳太子」の呼び方を消し去ろうとするのは無理のある話です。

 

 

 

 

3/17 「梅に鶯?」& 読書案内(11)

 昔から春は三寒四温と言いますが、3月に入ってから気温が乱高下しています。みなさんお元気でしょうか。

 

 さて、ここのところ良い匂いを楽しませてくれた梅の花もだいぶ散ってしまいました。梅と言えば鶯(うぐいす)、と言いたいところですが、私は梅の花にウグイスが来ているのを見たことがありません。

 上の写真を見ると梅の木にかわいい小鳥がやって来て花やつぼみをついばんでいます。体色はきれいな黄緑で、これぞウグイス色といった感じですが、この鳥はウグイスではなくメジロです。(名前の通り目の周りが白いのが目印です。)本物のウグイスも体色は黄緑色ですが、もう少しグレーがかった渋い色です。それに何よりウグイスはあまり人家の近くには寄ってこない感じです。私の家の近所でも時々、春から初夏にかけて「ケキョ、ケキョ、ホーホケキョ」と鳴いている声は聞こえますが、姿を見たことはほとんどありません。

 というわけで花札などにも描かれた「梅に鶯」の図柄は、メジロとウグイスを間違えたものだと思います。またそんなわけで我々が「ウグイス色」といって思いうかべる色も実はメジロの体色に近い色だったりします。

 ちなみにメジロは、一本の枝にたくさんの個体が止まって押し合いへし合いする「メジロ押し」という行動をとることがあるそうです。きっとかわいいに違いないと思います。見てみたいですね。

 それから、読書案内「こんなものを読んできた」の11回目を配信しました。ミリタリーSFの傑作ジョン・スコルジーの「老人と宇宙」シリーズを紹介しています。こんなものを読んできた11(老人と宇宙)WEB.pdf

 

 

 

 

3/13 昨日は卒業式でした。

 昨日は卒業式でした。1日遅れで何を書いてるんだ、という感じですが、昨日は卒業式が終わったら結構精神的に疲れていたので、なんとなく今日になってしまいました。

 私も何年か校長をやっているので、卒業式は慣れているつもりでしたが、戸田翔陽高校の卒業式はかなり他とは違う癖があり、緊張しました。そのせいか、昨日の明け方には、卒業式が終わってほっとした夢を見て目が覚め、「あれっ、卒業式は…まだ終わってないよね。今日だよね」ということがありました。

 さて卒業式ですが、式辞では「大人になったら『夢』という言葉をむやみに使うべきではない。いよいよ大人になるみんなは夢を目標に変えて、実現のための計画や手段を考えよう」という話をしました。

 R6卒業式式辞.pdf

 卒業生への餞としては、ちょっと辛口のような気もしますが、私は「夢」という言葉が世の中で使われるときは、その甘い響きで何かをごまかしているのではないか、と思ってしまい、「夢」という言葉が濫用されているのは好きではありません。

 たとえば、世界には昔から「自分たちの国には、誰にでも大金持ちになれる夢がある」ということを売り物にしている国があります。たしかにその国にはチャンスを生かして大富豪に成りあがった人たちもいます。しかし、みんながそんなチャンスをつかめるわけはなく、その国はものすごい格差社会でもあります。外国のことなので、よそ者の私にはよくわかりませんが、「夢」という言葉で格差への不満が塗りつぶされているのではないかという気がします。

 そんな大げさな話でなくても、「夢」ばかり語って、現実的な努力がおろそかにされるのはよくないことだと思います。本校を巣立つ皆さんには、大きな目標をもって、それを現実に変えられる人になってもらいたいと思います。

 

 

3/7  いつの間にか無くなったもの(2)

 来週の卒業式に向けて式辞を考えていたのですが、行き詰ったのでブログの方で気分転換を図ります。また、来週初めに生徒向けに配信する予定の読書案内ですが、来週頭にはブログで書くことがあまりなさそうなので、今回は先行公開してしまいます。 こんなものを読んできた10HP(銀河英雄伝説).pdf

 さて、今週は寒さの戻りがあり、今朝も日差しは強いのに風はコートの中にまでしみこむような冷たさがありました。特に月曜、火曜に2日続きで降った雪には驚かされました。

 

 「いつの間にか無くなったもの(2)」は合格発表の貼り出しです。

 県公立高校の入学者選抜の合格発表も終わり、ほっと一息ですが、今年度から県立高校の合格発表は完全にWeb化されました。発表用サイトにログインして合否を確認する仕組みなので、IDとパスワードを知っている人しか結果を見ることができません。合否結果を他人には知られないで済む今年度からの方式は、個人情報保護という点では、改善・進歩と言えます。しかし、結果はネットでみて、合格した人だけが書類を取りに来るという方式は、なんとなく物寂しく、季節感がないように感じました。昨年度までも選抜結果はWeb上に掲載していましたが、学校の掲示板への貼り出しも並行して行っていたので、受験生は学校の掲示で確かに自分の番号があるのを確認して、保護者や友人と喜びあうという風景があったのですが…。

 インターネットが普及する以前は、合格発表は学校の大きな掲示板に張り出す以外の方法はありませんでした。私が教員になったころ、私が勤務していた学校では、合格発表の日に運動部が新入部員勧誘もかねて、合格した受験生を胴上げするサービスをしていました。いわゆる伝統校と呼ばれる学校では、割とよくある風景だったと思います。しかし、この風景を見せられる不合格の生徒がかわいそうだという声が出て、「やめさせよう」ということになりました。決まったことなので、私も部員に話をして胴上げをやめさせましたが、何かすっきりしませんでした。

 また、これは最近、ネットのニュースで見た話です。とあるユーチューバーが、妹が指定校推薦で大学に受かってのんびりしてていいな、というような動画をアップしたところ、「一般受験のために頑張っている人の気持ちを考えろ」という批判が殺到し、動画の削除と謝罪をしたとのことでした。ユーチューバーはみんなに動画を見てもらわなければならないので、反感を買わないよう削除・謝罪をしたのだと思いますが、私にはそこまで責められる理由がわかりませんでした。

 胴上げの件でも動画の件でも、もし合格した人が不合格になった人やまだ受験が終わっていない人を見下したり、馬鹿にしたりしたのであれば許せないことだと思いますが、そうではありません。この人たちに合格を喜んだり、人から祝福されたり、あるいは合格後にのんびりしたりする権利はないのでしょうか。

 不合格になった人や、これから受験に挑まなければならない人にとっては、合格した人のことは、うらやましかったり妬ましかったりするかもしれません。それもやむをえない心理だと思いますが、これを前面に押し出して、合格した人に自粛を要求するのが、当然の権利だとは思えません。(ネットで騒いでいたのは、ただ炎上させたいだけの第三者だったのではないか、と思いますが。)

 合格した人は喜びながらも勝ち誇ることをせず、不合格になった人やまだ合格していない人を思いやり、不合格になった人やまだ合格していない人は、内心はうらやましさや辛さを感じるかもしれませんが、合格した人に「おめでとう」というのが、人としての建前です。以前にもこのブログで書きましたが、人には建前のために無理や「やせ我慢」をすることが必要なのではないでしょうか。こういった経験をすることで、人の人としての力は磨かれていくと思うのですが、最近は、世の中に妙な忖度や配慮がはびこって、その機会が減っている気がします。

 

 

 

 

 

3/3 ひなあられ & 白鳥伝説

 早いものでもう3月、ひな祭りです。

 私事ですが、私は昔から雛あられが好きです。大粒のものではなくて、米粒を膨らまして様々な色をつけた昔ながらのものが…。

 さて、生徒向けの読書案内「こんなものを読んできた」の第9回を配信しました。今回、紹介したのは谷川健一「白鳥伝説」です。大学の歴史学専攻の学生(それもかなりまじめな人)でもないと歯が立たないような本で、高校生には難しすぎるかもしれません。はっきり言って私も十分に読みこなしたとは言えません。でも背伸びをして、わからないなりに読んでみるのもいいことだと思います。

こんなものを読んできた9HP(白鳥伝説).pdf

 詳しくは実際に本を読んでいただきたいのですが、この本は日本の建国や成り立ちに関する学説を示した本です。以前2月12日付けのこのブログで「神武東征」には、該当するような歴史的事実があったのではないか? と書きましたが、この本もそういった立場に立っています。

 神武東征の時、迎え撃った側は、神武と妥協して降伏したニギハヤヒノミコトと、徹底抗戦をして殺されたナガスネヒコの2つの勢力に割れました。この時、ナガスネヒコの一派が関東地方や東北地方に逃れましたが、それらが後に「エミシ」と呼ばれた人々であり、その後も長く近畿地方にできた「ヤマト」に抵抗しました。この人々の住む地域が「ヒノモト」ですが、その後次第に「ヤマト」に押され飲み込まれていきました。しかしこの「ヒノモト」の意識は、関東・東北の人々の中に長く残っていきます。それらの人々が神や神の使いとして尊崇したのが白鳥で、それにまつわる神社や伝説が今も各地に残っている、というのが、乱暴にまとめた「白鳥伝説」の要旨です。

 ガチガチに硬派な歴史研究ですが、壮大なイマジネーションと本物のロマンがある本です。

 さて、この白鳥伝説ですが、私たちの身近な埼玉県にも残っています。埼玉のアニメ聖地発祥の地ともいえる鷲宮神社ですが、祭神は天穂日命(アメノホヒノミコト)、武夷鳥命(タケヒナトリノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)とされています。このアマノホヒとタケヒナトリが神武東征に抵抗したナガスネヒコ勢力につながる神です。もうひと柱のオオナムチも、出雲神話の主神ですから、鷲宮神社は、国譲り~神武東征における敗者の側を祀った神社と言えます。そして鷲宮神社の「鷲」ですが、猛禽類(ワシやタカの仲間)のワシではなく、大きな鳥一般「オオトリ」と解すべきでしょう。(たとえば草加には大鷲神社(おおとりじんじゃ)という神社があります。)そしてオオトリといったら白鳥やコウノトリです。

 次に鴻巣の鴻神社ですが、こちらは比較的新しい時代に、鴻宮氷川社、熊野社、雷電社を合わせてできた神社とされています。しかし地元にはコウノトリ(白い大きな鳥)が悪い蛇を退治したという伝説があり、白鳥伝説っぽい感じです。ちなみにここの境内に「なんじゃもんじゃの木」と言われる木があるのですが、先に紹介した鷲宮神社と深い関係があり、天鳥船命(アメノトリフネノミコト)を祀る神崎神社(千葉県香取郡神崎町)にも「なんじゃもんじゃの木」があります。二つの「なんじゃもんじゃの木」は木の種類が違うようですが、これは偶然なのかそれとも白鳥伝説に何らかの関係があるのか気になります。

 さらに超マイナーですが、私の育った見沼区大和田に鷲神社(わしじんじゃ)という神社というのがあります。

 

 たまに縁の下から江戸時代の古銭が見つかるというので、子供のころは縁の下に潜って古銭探しをしたりアリジゴクをとったりしていました。この神社は名前の通り、鷲宮神社から勧請された末社なのですが、同時に見沼の竜神にまつわる「見沼の笛」伝承があります。前に書いたと思いますが、見沼の竜神と言えば氷川神社です。鷲神社の摂社(境内に祀られた小さな神社)には氷川社はないようですが、氷川神社と何らかの関係がありそうです。

 先述の鴻神社は、前身の一つが氷川社で白鳥伝説とも関りがありそう、こちらの鷲神社は白鳥伝説ゆかりの神社で氷川神社と関係がありそう。もしかするといろいろ隠れたつながりがあるのかもしれません。谷川健一の精緻な研究と比べれば、ザルもいいところですが、こんな風にいろいろ想像するのが歴史の楽しみというものです。

2/25 中学生の皆さん、あと一息です。& 読書案内8回目

 いよいよ明日、県公立高校の学力検査が行われます。

 県公立高校を受験する中学生の皆さんは、最後の追い込みを頑張っているかもしれません。まあ、しかしもうここまで来たら、あとは体力勝負です。今日は、しっかりとご飯を食べてゆっくり休んで明日に備えてください。

 ここから、またちょっと炎上の危険のあることを書きます。「試験前に縁起の悪いことを読みたくない」というひとは読まないでください。

 入学者選抜を受ければ、中学生の皆さんの中には不合格になる人がいるかもしれません。しかし、私は「万が一不合格になったとしても、それくらい、全然大したことではない」と思います。行きたかった学校に入学できないのは残念ですが、一回の不合格は、皆さんの人生において大した損害ではありません。あとから頑張ればいくらでも取り返すことができる程度のものです。

 

  このように書くと今のご時世では、「不合格の人の気持ちを考えられないのか?」などと批判されそうですが、私はあえて書きます。

 教員をしていると「うちの子には絶対挫折をさせたくないんです」という保護者の方に会うことがあります。しかしこういった方は一生にわたり、お子さんを守って安全・安楽な生き方をさせられると思っているのでしょうか。それに入試などは何とかなったとしても、異性に告白したのに振られてしまう、などという挫折は防ぎようがないと思います(それも避けさせる気なんでしょうか?)。またそういったご家庭のお子さんは、そんなに保護者に干渉されて満足なのでしょうか。

 また、近年は生徒の中にも「失敗をしたくないから、チャレンジはしたくない」という人も多くなってきています。しかし、そんな生き方で楽しいのでしょうか。世の中、勝ったり負けたりするのが面白いのではないでしょうか。私自身は大学受験や入社試験などは、ドキドキ・ワクワクするギャンブルのようで好きでした。

 それに生きていけば、自分の思い通りにならないことがあったり、もっと取り返しのつかない大失敗をしてしまうこともあるかもしれません(というか、あると思います)。そうであれば、今のうちに取り返しのきく程度の軽い挫折を体験しておくのも悪いことではありません。

 もし第1志望の高校に入学できずに第2志望の高校に入ったとしても、そこで夢中になれる部活や趣味、心を許しあえる友人に出会えるかもしれません。合格と不合格、長い目で見てどちらが自分にとって良かったかは、誰にもわからないことだと思います。

 まあ、とにかく明日からの県公立高校の入学者選抜を受ける人は、合否の心配などせずに、ガツンと全力をぶつけられるよう、今日は体調を整えてください。

 あと、読書案内「こんなものを読んできた」の8回目を配信しました。今回紹介したのは、私が小学生の時に最初に買ったハヤカワSF文庫「スターウルフ」シリーズです。読んでほしい、というよりは思い出話ですね…。

 こんなものを読んできた8HP.pdf

 

2/17 いつの間にか無くなったもの

 今日は本当にとりとめのないことを書きます。

 先日、バス停でバスが来るのを待っていた時ですが、ふと「最近のバスには『ワンマン』の表示がないな」と思いました。割と最近まで、バスの前面、フロントガラスの下の方に「ワンマン」という表示があったような気がするのですが…。

 といっても若い人たちにはそもそも「ワンマン」とは何か? がわからないかもしれません。

 私が幼稚園生のころ(昭和40年代中盤)までは、車掌さんが乗っているバスが残っていました。乗車するときに乗車口で車掌さんに行き先を告げて切符を買い、降りるときは車掌さんに切符を渡す、映画「となりのトトロ」に出てくるようなバスです。それに対し新型の整理券と料金箱で料金を精算する、運転手さんしか乗っていないバスが「One Man(ワンマン)」です。

 私はギリギリ車掌さんの乗ったバスを覚えていますが、古いボンネット型(運転席の前にエンジンルームが飛び出している)から、新型の箱型(今のバスのような形)の車両に置き換わるとともに、車掌のいるバスはどんどん減っていきました。私が小学校の中学年(3年・4年)になるころには、もうワンマンが当たり前になっていたように思います。そうなってくると別に「ワンマン」という表示はいらないはずですが、かなり最近までこの表示は残っていたように思います。

 これらのことを考えるにつけ、私は昔の人の方が今の私たちより優れていたのではないか? と思います。バスに関しても、昔は2人乗務で運転手と車掌の二人に給料を払ってもバス会社の経営が成り立っていたわけです。またバスの路線網も今よりずっと細かく隅々まで走っていました。ところが、ワンマン化により人件費の大幅な節約ができたはずなのに、現在では赤字等を理由にバス路線はずいぶん減っています。自家用車の普及などによる乗客減なども大きいのでしょうが、それだけではないのではないかという気がします。

 そんな感じで、いつの間にか無くなったものを考えていたら、「無人踏切」という言葉も死語だよね、と思いつきました。これもなぜ、「無人踏切」というのか、というと昔は「有人踏切」があったからです。踏切のところに保安員(踏切番)の詰め所があり、人が操作して遮断機を上げ下げするものです。もっともこれは大きな踏切だけで、小さな踏み切りは、遮断機も信号・警報機もなくてレールの間にわたり板が敷いてあるだけでした。

 そんなに高給ではなかっただろうと思いますが、昔は踏切番という職業があり、その分雇用が確保されていたわけです。今でいうワークシェアリングというやつでしょう。それでも世の中は回っていましたし、また遮断機のない踏切が多くても、踏切を渡るときには左右を確認するという常識は、子供が一人で歩けるようになると同時に叩き込まれたので、あまり事故は起きませんでした。注意力や危険回避力といった点でも昔の人の方が優れていたように思います。 

 もう一つなくなったのものといえば、電話のダイヤルです。

 

 ダイヤルとは、日時計の文字盤(サン・ダイヤル)のように、電話機の番号を打ち込む操作部が放射状になっていることからついた名前です。昔の電話はダイヤルの番号が書いてある穴に指を突っ込んで、かぎづめの位置まで回転させて離すと、ダイヤルがばねの力で元の位置に戻り、その時にリレースイッチを番号の回数だけ開閉させることで信号を電話交換機に送っていました。10桁の電話番号を送るのに、30秒以上はかかっていたと思います。

 今やダイヤルはすっかり見なくなり、若い人は操作法もわからないでしょうが、いまだに電話をかけることを「ダイヤルする」と言ったり、コンピュータやスマホの電話回線に接続するためのアプリを「ダイヤラー」と言ったりするところに名残がみられます。

 ダイヤルは今となっては信じられないほどかったるい装置でしたが、その一方でこの時代には、自宅、職場、親戚、仲の良い友人の家、行きつけの店など、よく使う電話番号の10件や20件は、覚えているのが当たり前でした。それに対し、現在はみんなスマホのメモリーに頼ってしまうので、下手をすると自分の家の電話番号も忘れてしまいます。これなども人間の能力の低下と言えるのではないでしょうか。

 世の中が便利になったように見えて、その分人間の基本的な力が低下したのでは、これは進歩と言えるのかな? と思います。

 

2/12 もったいないお祭り

 一昨日(10日)の夕方、私用で東京・虎ノ門の金毘羅宮の前を歩いていると、境内の神楽殿で月次祭の神楽を奉納していました。

 

 せっかくなので私もロウソクを献納して参拝してきましたが、こんな立派な衣裳をつけて神楽を舞っているのに見ている人が数人しかいませんでした。

 前任校のブログで紹介しましたが、虎ノ門の金毘羅宮は樹木が生い茂る境内にいきなり高層オフィスビルが建っていて、社務所はビルの1階、この神楽殿は地下駐車場の入り口の上に立っているという過去と現代が交差する面白い神社です。官庁・オフィス街のど真ん中なので、近所に住んでいる一般住民の氏子さんはあまりいないのかもしれませんが、せっかくの神楽を見る人が少ないのは、とてももったいない話です。

 さて、昨日は「建国記念の日」でした。一歩間違えると炎上必須の超危険な話題であることは承知していますが、ちょっとだけ書きます(以下は埼玉県教育委員会や戸田翔陽高校の意見ではありません。)

 現在2月11日が「建国記念の日」となっているのは、初代の神武天皇が即位した日付を、日本書紀では「辛酉年 春正月庚辰朔」としており、これを計算すると、紀元前660年の2月11日となるからです。この記述については「辛酉の年には王朝交代(革命)が起きる」とする中国の讖緯説の影響を受けているというのがもっぱらですが、今回話題としたいのは、建国に先立って神武天皇が九州の日向から畿内の大和へ攻め上ったとされる「神武東征」についてです。

 私も地歴科の教員の端くれですが、私個人としては、この「東征」は何らかの歴史的事実の反映ではないかと考えています。

 理由はいくつかありますが、第1に東征のルートや行動が合理的で現実味が感じられることです。神武天皇の一行(軍)は、九州の日向(宮崎・鹿児島)を出た後、豊の宇佐(大分)、筑紫の岡(北九州)、安芸(広島)、吉備(岡山)などに立ち寄り、場合によっては何年も滞在してから畿内にやってきます。これらはいずれも古代に有力な勢力があったところで、それらを一つずつ攻略したり味方に引き入れながら、進むのは理にかなっています。また、畿内に着いてからも、最初は大阪湾に上陸しようとしてニギハヤヒ、ナガスネヒコら大和の現地勢力によって撃退されてしまい、紀州の熊野から吉野地方へと迂回して背後から大和を攻めます。この正面攻撃失敗~迂回作戦へ切り替えという軍事行動もリアルで、この話を全くの空想とするのはむつかしいと思うのです。

 第2の理由としては、昔の人にこの話を創作すべき理由などなかったのでは、ということです。もし古事記や日本書紀が大和王権の正当性をアピールしたいのであれば、何も天皇家が九州から攻め上って大和を征服した話など書かずに、天皇家は最初から大和にある天の香具山あたりに降臨したような話にしておいた方が簡単です。それがそうなっていないということは、古事記や日本書紀が書かれた時代には、一般の人たちにも「神武東征」の記憶が残っていて、それを覆い隠すのが無理だったからではないでしょうか。

 第二次世界大戦のあと、戦前の皇国史観への反省から古事記や日本書紀の神話が徹底的に否定されていた時代がありました。私は、古事記や日本書紀に書いてあること(特に神代の部分)が、すべて歴史的事実とするのは困難ですが、そこにある程度の歴史的事実が反映しているものと見て研究すべきだろうと思います。

 

 

2/10 春の気配 & 読書案内配信しました。

 先週、ふと気がついたら校長室前の植栽の紅梅がきれいに咲いていました。

 

 この紅梅は、現在本校で行っている道路拡幅工事に伴い、最近植えられたものなので、どこかもっと暖かい地域で育てられていたものかもしれませんが、春の兆しを感じます。

 さて、生徒向け読書案内の第7回を配信しました。ほぼ週刊ペースですが、生徒に勧めたい本にそんなに代わりはないので、前任校の時の案内の書き直しも結構あり、完全新作はいまのところ半分くらいです。

 今回紹介したのはトレヴェニアンの「シブミ」です。日本文化をこよなく愛し、日本精神の真髄を追求するドイツ系ロシア人の殺し屋ニコライ・ヘルが主人公で、その行き過ぎ気味の日本愛から日本ではイロモノ扱いされていた作品ですが、現在のいろいろな面で地に落ちた日本の状況から見ると、高潔なニコライ・ヘルの精神を逆輸入したい気がします。よかったらみなさんも読んでみてください。こんなものを読んできた7HP.pdf