忙中閑あり~校長室より
12/13 寝ながら考えたこと
本日2本目の更新です。実は私、修学旅行から帰った後、風邪を引き、今週の初めは寝込んでいました。寝ているとやることもないので、いろいろと不要不急なことを考えてしまいますが、その時、考えていたのが修学旅行で見てきた大阪城は、「一体どうやって作ったのだろうか?」ということです。
「どうやって」と言っても大型の機械などない時代ですから、人が手で持つ道具で作ったに決まっています(私はピラミッドは宇宙人や魔法使いが作った的な考え方はしませんので)が、どれくらいの人数でどのくらいの期間かければ、あんな広大で堅固な城を作れたのか? ということです。
大阪城は南北の差し渡しがそれぞれ約1Kmで、外周だけでなく堀が二重・三重になっているため、石垣や塀の延長は10km前後はあると思います。石垣も雑然と石を積み上げたものではなく、ぴったりと石を切り合わせた精緻な作りです。石を積む作業そのものは農民や足軽などを動員するとしても、監督・指導には熟練の石工が何百人も必要でしょう。石垣の中に立つ建築物も巨大な木材を使った重厚なもので、大変高度な技術の産物です。素人をかき集めてどうにかできるようなものではありません。何百人、何千人という腕のいいとび職や大工さん、左官屋さんなどが必要でしょう。
ネットで調べたらゼネコン大手の大林組が現代技術で大阪城を作ったらどうなるのか試算した結果というのがありました(https://www.obayashi.co,jp/kikan_obayashi/upload/image/016_IDEA.pdf))。それによると、石垣等の土木工事に工期32か月、天守閣や櫓などの建築工事に工期69か月、単純に工期を合計すると101か月(約8年半)。かかる人工(人数×日数)は木造で復元した場合は約88万(これは建築工事分だけ?)となっています。
現在の大阪城は、豊臣秀吉が作った大阪城が大阪夏の陣・冬の陣で完全に破壊された後、徳川幕府が一から作り直したものです。この時かかった工期は1620年から1629年にかけての約9年から10年であることがわかっています。現代技術を使った試算と1年くらいしか違わないのですから、これはすごいことです。動員された労働者については、ちょっと調べられませんでしたが、整地や石垣積みなど土木工事をすべて人力でやるのであれば、建築部分と合わせて200万とか300万とかのスケールで人工が必要でしょう。「人工」は人数×日数なので、同時に働いている人数はもっと少ないはず(一人の人が何日も働くので)ですが、それでも同時に何千人も働いていたと思います。
そしてこのように技術者・労働者を動員すれば、建築資材、衣食住の提供も膨大で現代で言うところの物流管理も重要になってきます。ソロバンと帳面だけでこれらをどうやって成し遂げたのか、考えるだけで気が遠くなりそうです。
しかし、このことについて私が考えた一つの可能性は、現代の我々は、便利な機械や技術に頼って、自分たちの能力に勝手に限界を設けてしまっているのかも知れない、ということです。本来の人間の能力は我々が思うよりずっと高く、ピラミッドもストーンヘンジもモアイ像も、我々が忘れてしまった知恵やコツがあれば、案外、簡単に作れてしまうのかもしれません。
(追記) 上の大林組による試算のレポートは、専門的な工法や詳しい見積もりも載っていてとても面白いです。大林組は大阪城の復元天守閣を施工した会社なのですね。復元天守閣はコンクリート造りのビルなのですが、昭和の初めに建てられ、もはやそれ自体が歴史的な価値をもつので、国の登録文化財になっています。復元とは言え細かいところまで作りこまれたきれいなお城だと思います。
12/13 異文化体験授業に参加しました。
韓国語の授業の一環として、異文化体験を実施したことについては、すでに広報部の方で掲載済みですが、(韓国語Ⅰ・体験授業!!)昨日、Ⅱ部とⅢ部で行われた体験授業(のⅡ部の方)に私も飛び入り参加しました。(写真。別に顔を隠す必要もないんですが…)
李氏朝鮮時代の王様の装束(袞龍袍)で、昔、うちの家族がよく見ていた韓国ドラマ「チャングム」や「イ・サン」でおなじみの格好です。すっかり「私のことは大王様と呼んでね」という気分でしたが、この衣装のベルトが古代日本のものにそっくりであることに感慨深いものを感じました。
下の写真は千葉県松戸市の小野遺跡から出土したもので、帯は腐食してなくなっていますが、金具と装飾板は残っています。バックルの形式は違いますが、上の衣裳のものとよく似ていることがわかると思います。(写真は「文化遺産オンライン」のページから借りました。著作権的に問題がある場合はご連絡下さい。)
なぜ、このような類似があるのかというと、これらはいずれも中国に源流があるからです。
中国で三国~南北朝の数百年にわたる戦乱が終わり、強大な隋・唐帝国が成立したころ、周辺に当たる朝鮮や日本でも国家形成が進みました。これら周辺国では中国と交流し文化や制度を取り入れましたが、服装の制度についても、各民族の独自性を盛り込みながらも基本的には、中国風のものを整えました。上の写真のベルトはまさにその時代のものです。
中国とは海を隔てつかず離れずの交流をしていた日本では、その後、中国文化の影響を受けながらも自分流にアレンジして日本文化を形成し、服装もどんどん変化して和服が作られていきました。しかし、それでも貴族の正装の束帯には、石帯を締める形が残っています。
一方、朝鮮半島は中国と地理的に近かったので、各時代により強く中国の影響を受けました。上の李氏朝鮮王国時代の王様の服装(袞龍袍)も、中国の明の時代の服制に準じたものです。
このような違いはありますが、日本も韓国も東アジア文化圏の一員です。親子兄弟でも時にケンカをすることがあるので、いつでも仲良く、とはいかないかもしれませんが、近隣の諸国とは基本的に良好な関係を保っていけるといいなと思います。
12/7 さすがに疲れました…修学旅行最終日
帰宅してすぐにブログ更新をする元気がなかったので、翌日になりましたが、修学旅行の記事を一応最後まで。
最終日の12月6日は、大阪市内班別見学です。
宅配してもらう荷物をトラックに積んだら出発です。
生徒の皆さんが出発したら先生方は大阪市内に分散して巡回です。私は大阪城公園の方に行きました。途中何組かの翔陽生に出会いましたが、あまり大勢ではありませんでした。道頓堀とか心斎橋の方に行った人が多いのかもしれません。
ここからはちょっと史跡巡りになります。大阪城には昔も来たことがあるのですが、今回改めて見て、その大きさと堅牢さにびっくりします。今残っている大阪城は豊臣秀吉が作ったものではなく、豊臣氏を滅ぼした後に徳川幕府が立て直したものですが、戦国時代を通じて発達した築城技術の頂点を感じます。巨大な石材を精密に組み合わせた石垣も見事ですし、石垣の裏側の兵隊を伏せさせておくための階段を見ても、城が軍事施設なのだということがよくわかります。
それを見て考えたのが、15代将軍徳川慶喜公のことです。慶喜公は鳥羽伏見の戦いで幕府軍が薩長軍に破れた後、大阪城を放棄して江戸に引き上げました。このことについて大阪城で戦えば勝てたのではないか、と慶喜公の弱腰を批判する人がいます。しかし私は慶喜公のその後の身の処し方などから考えて、慶喜公はこの堅固な大阪城で戦って戦争が長期化することを避けたのではないかと思います。
当時の薩摩や長州の後ろにはイギリスがくっ付いて武器や技術の支援をしていましたし、幕府にはフランスが接近して援助を申し出ていました。慶喜はイギリスやフランスの支援を受けて内戦をやった挙句、これらの国の植民地になってしまう危険を考えたのでしょう。臆病の批判を受けることを承知で日本のために決断した立派なリーダーだったと思います。
場内にある豊臣秀吉を祭る豊国神社にやってきました。巨大な銅像は秀吉だそうですが、私的にはちょっとマッチョすぎる気がします。
私のイメージだと秀吉は、武芸よりは頭脳で勝負する感じの細身で小柄な感じなのですが。
織田信長から「サル」の愛称で呼ばれた秀吉にちなんでか、境内に猿回しの芸人さんが来ていました。おサルさんが妙に哲学的な雰囲気を漂わせています。
集合場所の新大阪駅にみんな帰ってきました。「お疲れさまでした。」
東京駅に着いたところで解散です。週末はゆっくり休んで、また月曜日に会いましょう。
12/5 修学旅行も山場です。
修学旅行の二日目は、いよいよ今回の山場、USJ(ユニバーサルスタジオジャパン)です。
下を歩く人の頭上をかすめるようにジェットコースターが疾走し、ゲスト(来場者)の歓声(悲鳴)が響き渡るところなど、東京の方の有名なランドとは、また異なった趣きを感じます。
平日なのにとても賑やかで、まるでお祭りのようです。
私なんかはもともと人混みが苦手なので、賑やかさと楽しさのエネルギーに当てられてへとへとになってしまいましたが、生徒のみんなは満足してもらえたでしょうか。
(おまけ)ゲストの食事やおやつのおこぼれをもらえるせいでしょうか、USJのすずめはフクフクに太っていてとてもかわいいです。
12/4 修学旅行1日目
今日は修学旅行の1日目でした。旅行の様子は公式インスタグラムの方にもどんどんアップしていますし、年次の方でもWEBページにあげると思います。そちらもぜひ見ていただきたいのですが、それはそれとして、こちらにも私視点で掲載します。
新幹線のぞみで出発です。集合時間が早かったのに、ほぼ定刻通りに行動できました。いいスタートになりました。
Ⅰ部帯のクラスは時間調整をかねてポートタワーで記念撮影をしました。低い塔ですが赤い支柱が青空に映えて美しいですね。この形は鼓をイメージしたものだそうです。
次に「人と防災未来センター」へ行きました。時間が押して駆け足になってしまいましたが、災害への備えを考えさせられる施設で、生徒からは「もっとじっくり見たかった。」などの声が聞かれました。
午後の後半は市内自由見学です。私はまず豚まんの元祖と言われる老舗「老祥記」の豚饅頭を食べに中華街へ。
小振りな豚まんですが、濃厚な味で美味です。お値段も5個600円と観光地らしからぬリーズナブルなものでますます良いですね。
その後は北野の異人館の方へ、
煉瓦塀の続く趣きのある路地があったり、
洋館の玄関の屋根に置物のような猫がいたり、ぶらぶらしながら、有名な風見鶏の家(トーマス邸)まで行きました。
宿に帰って夕食です。バイキング形式でしたが、量も味も前任校で行った某有名ホテルよりずっと上で生徒の皆さんも満足できたのではないでしょうか。
大きなケガや病気もなく1日目は終了です。
12/3 明日から修学旅行 & コラッツ予想
明日から2年次生は修学旅行で阪神方面へ行きます。私も「団長」ということで、一緒に行きますので、旅行中の様子もできたらこのブログで報告したいと思います。いつもと違う場所でいつもと違うものを食べたり、経験したりできるのが旅行の魅力ですから、二年次生の皆さんは大いに楽しんできてほしいと思います。
さて、本日の2題目です。明日から旅行に行くぞ、という以外に今日はあまりネタがないので、前回のモンティ・ホール問題につづいて、もう一つ数学パズル的なネタを書いてみます。
数学でまだ未解決の問題の一つに「コラッツ予想」というのがあります。
「どんな整数(任意の整数)でも、偶数の(2で割り切れる)ときは2で割る。奇数の(2で割り切れない)ときは3倍して1を足す。この計算の結果にまた同じ操作を繰り返す。何回か繰り返せば必ず1になる。」
というものです。試しにやってみると、たとえば「5」なら、5→16→8→4→2→1 と5回の計算で1になります。しかし、これが本当にすべての整数で成り立つかどうか? ということが、まだわかっていないのです。
現代にはコンピュータがあるので、10数行の簡単なプログラムで上の計算を試してみることはできます(私もやってみました。下記参照)。しかし具体的な数字でどれだけ計算しても、もしかすると例外があるかもしれません。どんな数でも例外なく1になるということを理屈で説明できないと、数学的な証明とは言えません。
なにしろ小学校で習う四則計算しか使われていない問題なので、中学校や高校で数学が得意だった人なら、「任意の整数を文字であらわして数式を書いていけば、すぐ証明できるのでは」と考えるかもしれません。ところがこれが80年以上にわたって解決していないのです。
この問題には日本の企業の1億2千万円をはじめ、たくさんの懸賞金がかけられているので、もし解決できれば大金を手にすることができます。しかし、高々数億のお金よりも(お金も欲しいですが)数学の歴史上に不朽の名声を残せるという方が魅力的ですね。
(おまけ)下記はPythonで作った任意の整数についてコラッツ予想が成り立っているかを計算するプログラムです。計算したい数字を入力すると、途中経過と計算にかかったステップ数を表示します。GoogleColaboratoryなどのサービスを使えば、ブラウザー上で動かすことができますので、よかったらいろいろな数字を試してみてください。(あまり大きな数だとメモリオーバーでフリーズしてしまうかもしれませんが。)
##コラッツ予想の計算をするプログラム
n0=input("整数を入力")
n1=int(n0)
c=0
while True:
if n1%2==0:
n2=n1/2
n1=n2
c=c+1
else:
n2=n1*3+1
n1=n2
c=c+1
print(int(n1))
if n2==1:
print("回数" ,c)
break
11/27 モンティ・ホール問題(解答編)
前回の解答です。正解はマリリンの言う通り「変えた方が得」です。
こう書くと、「なんで!? 1つが外れのドアが分かっていて、残り2つのうち1つがあたりなんだから、正解の確率は50%。どっちを選んでも同じなのだから、変えても変えなくても同じはず。」と思った方も多いのでないでしょうか?
これはマリリンに反対した多くの人(数学の専門家含む)の意見と同じです。しかしこれは間違いです。それはなぜか? という説明はネット上にたくさんありますが、どれもわかりづらいですね。私の感覚では、この問題は理系的に数式を使うより、ゲームの流れに沿って物語的(文系的)に説明した方が、すっと理解できるように思います。
上のように当たりのドアがAだったとしましょう。その場合のゲームの流れは下の3パターンです。
①観客がAを選んだとします。観客が選んだドアを開けると勝ち負けがわかってゲームが終わってしまうので、モンティはAを開けることはできません。BとCのどちらかを開けることになります。この場合、観客はAのまま変えないか、モンティが開けなかった方(Bを開けたらC、Cを開けたらB)に変えるかを選べますが、変えなければ当たり、変えれば外れです。
②観客がBを選んだとします。観客が選んだドアを開けると勝ち負けがわかってゲームが終わってしまうので、モンティはBを開けることはできません。当たりのAも同じ理由で開けられないので、モンティはCを開けることになります。この場合にCは外れなので、観客はBのままで変えないか、Aに変えるかを選ぶことになりますが、変えなければ外れ。変えれば当たりです。
③観客がCを選んだとします。観客が選んだドアを開けると勝ち負けがわかってゲームが終わってしまうので、モンティはCを開けることはできません。当たりのAも同じ理由で開けられないので、モンティはBを開けることになります。この場合にBは外れなので、観客はCのままで変えないか、Aに変えるかを選ぶことになりますが、変えなければ外れ。変えれば当たりです。
このように「変えたとき」に外れるのは最初にAを選んでいたときだけです。最初にBとCを選んでいた場合には、変えれば当たるので、変えたときに当たる確率は2/3、外れる確率は1/3で、変えた方が得です。
これは正解のドアがBやCであっても、文字が入れ替わるだけで同じことです。自慢じゃありません(と言いつつ自慢です)が、私のこの説明の書き方が、一番わかりやすいんじゃないかと思います。
筋道通りに考えればすぐに理解できるのに、数学者の中にはこの結論に納得がいかず、コンピュータシミュレーションで何億回も試行して検証した人もいたそうです。人間って面白いですね。
11/25 モンティ・ホール問題
先日、「情報」の授業を見学しに行ったところ、その中で「モンティ・ホール問題」に触れていました。
この問題については、前々任校の時にブログに書いたことがありますが、もう削除されてしまっていますし、また自分でも時々おさらいしないと忘れてしまうので、備忘録のようなつもりでまた書いてみます。
この問題ですが、モンティ・ホールというのは昔、アメリカで人気があったテレビ司会者です。彼の番組に、観客が舞台に上がり、3つあるドアから高級車の入ったドアを当て、当たれば車がもらえる、というコーナーがあったそうです。
そのコーナーでは、まず観客は3つのドアから一つ選びます。
その答えを聞いた後、司会者のモンティが外れのドアを1つ開けて教えてくれます。
ここでモンティは観客に、「選んだドアを変えてもいいですよ。変えますか?」と尋ねます。
さて、ここでドアを変えたほうが得なのか、否か? というのがモンティ・ホール問題です。
1990年に、当時アメリカで天才として有名だった女性マリリン・サバントの「マリリンに聞け」という新聞コラムに、読者がこの問題について質問したところマリリンは「変えた方が得」と答えました。
それに対し、数学の専門家も含むたくさんの人たちが、「変えても変えなくても、確率は同じ、マリリンは間違っている」と反論しました。中には「やはり女性は頭が悪い」と差別的な批判をした人もいたようです。
さて、マリリンと批判した人たちのどちらが正しかったのでしょうか? 皆さんはどう考えますか? というところで次回へ続きます。暇な人は考えてみてください。
11/19 月夜・失われつつあるものなど
昨日の帰宅時に東の空を見るとちょうど月が昇ってくるところでした。とりあえずスマホのカメラで撮った写真がこれです。
月は露出オーバーで滲んでいるし、デジタルズームと増感の影響でザラザラに粒子が荒くなっていますが、たなびく雲がまるで昔の中国の屏風絵のようですし、手前の傘を持った人のシルエットもちょっと不思議な感じで、なかなか面白い写真になりました。
さて、話は全く変わりますが、先日、ちょっと用事があり久しぶりに秩父鉄道に乗りました。東行田で降りたのですが、いつの間にか無人駅になっていました。帰りに熊谷の駅で聞くと、秩父鉄道はほとんど無人駅になってしまったとのことでした。数年前にSUICAが使えるようになって、秩父鉄道も近代化したな、と思っていたのですが、それは無人化の前触れだったのですね。
それに伴いなくなりつつあるのが、硬い紙の切符(硬券)です。今あるものを売り切ったらもう新しいものは作らないようなので、記念に1枚買っておきました。私が小さい時には、切符と言ったら硬券で、窓口で「○○まで子供1枚」と言うと、駅員さんが行先、金額別に斜めに切符がさしてあるフォルダーから引き抜いて渡してくれました。なお、子供用の場合には、はっきりわかるように切符の「小」と書いてあるところの斜め線をハサミでチョキンと切ってくれました。駅にある切符フォルダーがかっこよくて好きだったのに、もうすぐ見られなくなりそうです。
なくなりつつあるといえば、日本といわず海外といわずなくなりつつあるのが「建て前」を守る精神です。なんとなく世の中では「建て前ばかり言うな」とか「本音で生きろ」のように、「建て前」というのは悪いもののように言われています。しかし、私は「建て前」を守ってこそ、人は立派に生きられるのだと思います。
たとえば、人を人種や肌の色で差別してはいけないという「建て前」や人の物を盗んではならないという「建て前」は守らなければなりません。ところが近年は、日本でも海外でもそういう建て前を踏みにじり、言いたい放題、やりたい放題、自己都合丸出しの人がまかり通る世の中になりつつあるようです。従来は洋の東西を問わず、本音(欲望や感情)をコントロールし、建て前(公益や理性)と両立できる人が立派な人として尊敬され、そうなるために人は学問や修養を積むべきだとされてきたはずです。やはり人間は、「あるがまま」「そのまま」ではだめだと思うのですが。
11/7 後夜祭(2)花火!
今年の翔陽祭は開校20周年ということで、後夜祭で花火をあげました。
予算の関係もあり、そんなにすごいものではないだろうと思っていたのですが、ところがところが予想外にすごかったです。距離が近いせいもあるのでしょうが、本校上空に大輪の花が次々と開いて、感動しました。花火屋さんはかなりサービスしてくれたのでは…。ありがとうございます。
スマホのカメラなので、今一つすごさは伝わらないかと思いますが。とりあえず写真を上げておきます。