忙中閑あり~校長室より
4/8 新学期開始! & いつの間にか無くなったもの(4)
今日は1学期の始業式でした。いよいよ新しい年度が本格的に始まります。
本校では明日が入学式ですが、桜の花もこの数日の寒さのおかげでだいぶ葉っぱも出てきたものの、まだ持ちこたえています。
今日の始業式では、「新聞やテレビのニュースを見よう」という話をしました。
最近、新聞やテレビを「オールドメディア」と呼んで、時代遅れな不要な物のように言う論調があります。しかし、これら「オールドメディア」にとって代わるとされるソーシャルネットワークサービス(Xやインスタグラムなど)やネット動画などの新しいメディアの情報の信頼性は低下する一方です。その信頼性の低さが、制作者のうっかりミスや取材力の低さのためならまだ許せます。しかし、現在では発信源が特定されにくいことや、公正さを審査する仕組みが未整備なことを悪用して、故意に虚偽の情報を流す人や団体が増えています。「オールドメディア」では、同じ事件の見方や扱いが会社によって差があることはあっても、芯となる事実そのものには大きな嘘はないと思います。ネットに流布する虚偽や風評に騙されないためには、「オールドメディア」からの情報もしっかりつかんでいく必要があります。
春休みで1週休ませていただいた読書案内の「こんなものを読んできた」第13回を配信しました。今回は春らしい作品ということで北村薫「街の灯」を紹介しました。こんなものを読んできた13(街の灯)Web.pdf
今回「街の灯」を紹介したついでに、北村薫の作品で今まで読んでいなかった「円紫さんと私」シリーズを読み始めました。
今から30年ちょっと前の作品ですが、インターネットも携帯電話もなかった時代の生活は落ち着いていてよかったなと思います。映画を見に行くときはネットではなく情報誌(「ぴあ」とか「シティロード」とか)で上映予定を調べ、スマホで気軽に連絡を取り合うこともできないので、待ち合わせの約束などはしっかりと守らなくてはなりませんでした。そのせいか人と人の間の信頼感が今よりもずっとあった気がします。
またこの作品の主人公の「私」は埼玉(杉戸の辺りっぽい)から都内の大学に通う女子学生です。特に裕福な家の子でもなさそうですが、彼女や友人たちは奨学金の返済やアルバイトに追われることもなく、のんびりとした学生生活を送っていて貧しさの影がありません。世の中全体に今よりもゆとりがあり優しい感じです。
こういった優しさや豊かさも、いつの間にか無くなってしまったものの一つだと思います。
4/1 新年度御挨拶
新年度になりました。今年度もよろしくお願いします。
今日は昨日の続きのはずなのですが、新たに異動してきた方を迎えるとどこかちょっと雰囲気が違います。
さて、先週は温かい日が多かったためが、桜が一気に咲きました(今日は寒いですが…)。昨日ちょっと都内に行ってきましたが、虎ノ門の文部科学省の近くの桜は、もう一部葉っぱが出始めていました。
昔、平安時代に在原業平という人が「世の中に絶えて桜のなかりせば、春の心はのどけからまし(桜の花がなければ春はもっとのんびりできるのに)」と歌を詠みましたが、たしかにこの週末に花見ができるか、また9日の入学式まで桜が持つか、気が気ではありません。
3/31 年度末ご挨拶 & 久しぶりのプチ史跡巡り2
今日で令和6年度が終わり、明日から令和7年度が始まります。
年度末に付き物なのが人事異動です。昨日、新聞で埼玉県の教員人事異動が発表されていました。本校でも他の職場に異動する人が荷物の整理をしていたり、そのほかの人も職員室の模様替えの準備をしていたり、あわただしさの中に寂しさが混じった年度末独特の雰囲気が漂っています。
私は来年度も引き続き本校でお世話になります。一年間ありがとうございました。また来年度もよろしくお願いいたします。
読書案内「こんなものを読んできた」は、春休みにつき今週はお休みさせていただきます。
さて、少し前になりますが3月22日(土)、人に誘われて都内を歩いてきました。その日は日差しが強く半そでのTシャツで歩いている人もいるほどの陽気でした。池袋の西口に集合し軽く食事と泡のでる飲み物を楽しんだ後、出発しました。
西口のすぐ近くにも、池袋の地名の由来を書いた碑がありました。
昔、池袋の周辺に水が湧き出す池があり、そこから雑司ヶ谷の方へ弦巻川がという川が流れ出ていたので、池袋という地名になったという由来が書いてあります。しかし池袋西口は線路にそって南側の方へ行くと階段で降りていくようなすごい坂道があり、周辺に比べて明らかに土地が高いので、池があったのはこの辺ではないでしょう。
と思って家に帰った後で調べてみたら、地名研究家の谷川彰英先生が「元々の池袋は、本池袋3丁目の池袋氷川神社の辺りだったのでは」と書いているWEB記事を見つけました。前にも書きましたが氷川神社といったら水神ですので、その辺りが水の湧き出る盆地だったのでしょう。何かの機会にぜひ行ってみたいと思います。
ちなみに谷川彰英先生は私の大学時代の先生です。現在は難病にかかっているとのことですが、それを押して執筆をつづけていらっしゃいます。今また先生に御教示いただくとは何かの縁を感じます。ありがたいことです。
さて、そこからずっと歩いて、有名な人のお墓があるので有名な雑司ヶ谷の墓地に行きました。都内で有名な人のお墓と言ったら谷中とか青山にもありますが、谷中が大名家や旧華族などの大きなお墓が目立つのに対し、雑司ヶ谷の方はこじんまりとして中産階級のお墓といった感じです。
ここの最大の目玉は、夏目漱石のお墓でしょう。
夏目漱石の書斎の椅子の形を模したという、両側にひじ掛けのようなものがついた大きなお墓です。明治の文豪の名に恥じない、といえばそうなのでしょう。しかし、私の中では夏目漱石というのは、もうちょっとライトなイメージなのですが。
たとえば代表作の一つ「三四郎」のあらすじを私流にまとめてみましょう。
大学に合格して東京へ向かう途中の主人公の少年が、列車の遅延で出会ったばかりの年上の女性と同じ部屋に泊まることになり、誘惑されてドキドキ…。大学では何の役に立つかわからない実験ばかりしている変人の先輩、先輩のかわいい妹、チャラい同級生、先輩の知り合いでツンデレで思わせぶりな美女などに囲まれ、主人公はツンデレ美女に振り回わされた挙句に失恋…。
という感じで、もうほとんどラノベ(ライトノベル)です。
夏目漱石が現代日本の小説の文体を確立した偉大な作家であったのは間違いありませんし、私も漱石の作品は全部とは言いませんが、かなり読んでいます。ですが、私は夏目漱石本人は「不朽の名を残す大作家になろう」などとは考えていなかったのではないか? と思います。
夏目漱石の作品を読むと、様々に試行錯誤しながら小説を書いていたことがわかり、その苦労がしのばれます。しかし、前半と後半で文体が全く変わっているなど粗削りで未完成な感じなものが多く、現代だったら出版社の編集者に滅茶苦茶に直されてしまいそうです。作品のテーマも当時の流行や風俗を取り入れていて、夏目漱石は、読者を楽しませる面白い作品、売れる作品を書くことを第一にしていたと思います。
今、もし天国の漱石先生の声が聞けたとしたら、「あれ、まだ俺の作品なんか読んでくれているの!?」と言うのではないでしょうか?
3/24 修了式・いつの間にか無くなったもの(3)
今日は修了式でした。生徒のみなさんは明日から春休みです。修了式では史記の「桃李言わざれども、下自ずから蹊をなす」という言葉を例にとって話をしました。この言葉は「人格の優れた人の下に、特に言いふらさなくてもは徳を慕って人が集まってくる」ことのたとえですが、今回は「成蹊」の部分から、「人々が少しづつ踏み固めればいつの間にか森の中に道ができるように、毎日少しずつ積み重ねれば、大きな成果を達成できる」という話をしました。
あと読書案内「こんなものを読んできた」の12回目を配信しました。
さて、いつの間にか無くなったものの第3回目です。まずは下の写真をご覧ください。
ちょっと見ずらいかもしれませんが、石碑にみずらを結った古代風の男性の像が線刻されています。これは何かというと聖徳太子の像碑です。これは私の地元、上尾駅前の氷川鍬神社の境内にあるものですが、古くから日本では、聖徳太子そのものを信仰の対象とする「太子信仰」が盛んでした。この神社だけでなくあちこちの寺社の境内に同じような太子像や碑が残っています。
これほど日本人の崇敬を集めてきた聖徳太子ですが、最近の歴史教科書では聖徳太子という名前は登場しません。出てくる場合も「厩戸皇子(聖徳太子)」のような扱いです。
これはなぜかというと、最近、聖徳太子の事績とされることに疑いを持ったり、あるいは存在そのものまで疑うような流行があるからです。これらの説を唱える人には、理由として「聖徳太子の実在を示す同時代の史料がない」と言っている人が多いようです。しかし「同時代史料がない」ということを実在を疑う理由とするなら、現代に伝わる日本最古の歴史書・文献は8世紀初頭に編纂された「古事記」や「日本書紀」ですから、8世紀より前の人物や事件はすべて同時代の史料がなく疑わしいことになります。聖徳太子だけを捏造された架空の人物とする理由にはなりません。
確かに聖徳太子に関わる様々な伝承には、神聖化や粉飾がみられます。みんながわいわいしゃべっているのを聞き分けたという有名な逸話もそうですし、「厩戸」という名前の由来の、母親が馬小屋で産気づいて生まれたという逸話もキリスト教(当時中国に来ていたネストリウス派)の影響があるという説があるくらいです。とはいえ、聖徳太子の没後、早い段階から神格化や太子信仰の芽生えがあったことなどから、偉大な人物としての太子の記憶が当時の人々の中にあったことは確かでしょう。
歴史のイメージというのは確かに改編されることはあります。たとえば坂本龍馬などは興味深い人物ではありますが、冷静に考えれば、幕末の混乱でひと旗上げようとする政治ブローカー、イギリスとつながって武器を売りまくろうとした武器商人だったと思います。ところが司馬遼太郎の「竜馬がゆく」のおかげで明治維新を作り出した英雄のように信じられるようになりました。しかしそれにしても、龍馬の人脈の広さや、さまざまな事件に顔をだす抜群の行動力という芯となる事実があってこその英雄化です。
ですから、聖徳太子についても「十七条憲法」「冠位十二階」などが、全て太子の功績によるものではないとしても、天皇家と蘇我氏の間の難しい関係をうまく保ちながら、政治運営した偉大な皇族政治家であったことは疑いがないのではないかと思います。
根拠のあやふやな批判を真に受けて、長く親しまれた「聖徳太子」の名前が教科書から消されているのは、どうも理解できません。とある教科書会社は「厩戸皇子(聖徳太子)」と表記する理由を、聖徳太子は後世につけられた呼称で、当時はそう呼ばれていなかったから、のように言っていますが、これはものすごくおかしな議論です。後世につけられた呼称というのなら、中国の皇帝で「煬帝」、「玄宗」とかいうのも、日本の天皇で「応神天皇」というのもみんな死後に贈られた名(諡号)です。これらを使わずに楊広とか李隆基とかホムタワケとか言い出したら、大混乱が生じ、歴史嫌いの生徒がどっと増えてしまいそうです。
中途半端な屁理屈を真に受けて、長年親しまれた「聖徳太子」の呼び方を消し去ろうとするのは無理のある話です。
3/17 「梅に鶯?」& 読書案内(11)
昔から春は三寒四温と言いますが、3月に入ってから気温が乱高下しています。みなさんお元気でしょうか。
さて、ここのところ良い匂いを楽しませてくれた梅の花もだいぶ散ってしまいました。梅と言えば鶯(うぐいす)、と言いたいところですが、私は梅の花にウグイスが来ているのを見たことがありません。
上の写真を見ると梅の木にかわいい小鳥がやって来て花やつぼみをついばんでいます。体色はきれいな黄緑で、これぞウグイス色といった感じですが、この鳥はウグイスではなくメジロです。(名前の通り目の周りが白いのが目印です。)本物のウグイスも体色は黄緑色ですが、もう少しグレーがかった渋い色です。それに何よりウグイスはあまり人家の近くには寄ってこない感じです。私の家の近所でも時々、春から初夏にかけて「ケキョ、ケキョ、ホーホケキョ」と鳴いている声は聞こえますが、姿を見たことはほとんどありません。
というわけで花札などにも描かれた「梅に鶯」の図柄は、メジロとウグイスを間違えたものだと思います。またそんなわけで我々が「ウグイス色」といって思いうかべる色も実はメジロの体色に近い色だったりします。
ちなみにメジロは、一本の枝にたくさんの個体が止まって押し合いへし合いする「メジロ押し」という行動をとることがあるそうです。きっとかわいいに違いないと思います。見てみたいですね。
それから、読書案内「こんなものを読んできた」の11回目を配信しました。ミリタリーSFの傑作ジョン・スコルジーの「老人と宇宙」シリーズを紹介しています。こんなものを読んできた11(老人と宇宙)WEB.pdf
3/13 昨日は卒業式でした。
昨日は卒業式でした。1日遅れで何を書いてるんだ、という感じですが、昨日は卒業式が終わったら結構精神的に疲れていたので、なんとなく今日になってしまいました。
私も何年か校長をやっているので、卒業式は慣れているつもりでしたが、戸田翔陽高校の卒業式はかなり他とは違う癖があり、緊張しました。そのせいか、昨日の明け方には、卒業式が終わってほっとした夢を見て目が覚め、「あれっ、卒業式は…まだ終わってないよね。今日だよね」ということがありました。
さて卒業式ですが、式辞では「大人になったら『夢』という言葉をむやみに使うべきではない。いよいよ大人になるみんなは夢を目標に変えて、実現のための計画や手段を考えよう」という話をしました。
卒業生への餞としては、ちょっと辛口のような気もしますが、私は「夢」という言葉が世の中で使われるときは、その甘い響きで何かをごまかしているのではないか、と思ってしまい、「夢」という言葉が濫用されているのは好きではありません。
たとえば、世界には昔から「自分たちの国には、誰にでも大金持ちになれる夢がある」ということを売り物にしている国があります。たしかにその国にはチャンスを生かして大富豪に成りあがった人たちもいます。しかし、みんながそんなチャンスをつかめるわけはなく、その国はものすごい格差社会でもあります。外国のことなので、よそ者の私にはよくわかりませんが、「夢」という言葉で格差への不満が塗りつぶされているのではないかという気がします。
そんな大げさな話でなくても、「夢」ばかり語って、現実的な努力がおろそかにされるのはよくないことだと思います。本校を巣立つ皆さんには、大きな目標をもって、それを現実に変えられる人になってもらいたいと思います。
3/7 いつの間にか無くなったもの(2)
来週の卒業式に向けて式辞を考えていたのですが、行き詰ったのでブログの方で気分転換を図ります。また、来週初めに生徒向けに配信する予定の読書案内ですが、来週頭にはブログで書くことがあまりなさそうなので、今回は先行公開してしまいます。 こんなものを読んできた10HP(銀河英雄伝説).pdf
さて、今週は寒さの戻りがあり、今朝も日差しは強いのに風はコートの中にまでしみこむような冷たさがありました。特に月曜、火曜に2日続きで降った雪には驚かされました。
「いつの間にか無くなったもの(2)」は合格発表の貼り出しです。
県公立高校の入学者選抜の合格発表も終わり、ほっと一息ですが、今年度から県立高校の合格発表は完全にWeb化されました。発表用サイトにログインして合否を確認する仕組みなので、IDとパスワードを知っている人しか結果を見ることができません。合否結果を他人には知られないで済む今年度からの方式は、個人情報保護という点では、改善・進歩と言えます。しかし、結果はネットでみて、合格した人だけが書類を取りに来るという方式は、なんとなく物寂しく、季節感がないように感じました。昨年度までも選抜結果はWeb上に掲載していましたが、学校の掲示板への貼り出しも並行して行っていたので、受験生は学校の掲示で確かに自分の番号があるのを確認して、保護者や友人と喜びあうという風景があったのですが…。
インターネットが普及する以前は、合格発表は学校の大きな掲示板に張り出す以外の方法はありませんでした。私が教員になったころ、私が勤務していた学校では、合格発表の日に運動部が新入部員勧誘もかねて、合格した受験生を胴上げするサービスをしていました。いわゆる伝統校と呼ばれる学校では、割とよくある風景だったと思います。しかし、この風景を見せられる不合格の生徒がかわいそうだという声が出て、「やめさせよう」ということになりました。決まったことなので、私も部員に話をして胴上げをやめさせましたが、何かすっきりしませんでした。
また、これは最近、ネットのニュースで見た話です。とあるユーチューバーが、妹が指定校推薦で大学に受かってのんびりしてていいな、というような動画をアップしたところ、「一般受験のために頑張っている人の気持ちを考えろ」という批判が殺到し、動画の削除と謝罪をしたとのことでした。ユーチューバーはみんなに動画を見てもらわなければならないので、反感を買わないよう削除・謝罪をしたのだと思いますが、私にはそこまで責められる理由がわかりませんでした。
胴上げの件でも動画の件でも、もし合格した人が不合格になった人やまだ受験が終わっていない人を見下したり、馬鹿にしたりしたのであれば許せないことだと思いますが、そうではありません。この人たちに合格を喜んだり、人から祝福されたり、あるいは合格後にのんびりしたりする権利はないのでしょうか。
不合格になった人や、これから受験に挑まなければならない人にとっては、合格した人のことは、うらやましかったり妬ましかったりするかもしれません。それもやむをえない心理だと思いますが、これを前面に押し出して、合格した人に自粛を要求するのが、当然の権利だとは思えません。(ネットで騒いでいたのは、ただ炎上させたいだけの第三者だったのではないか、と思いますが。)
合格した人は喜びながらも勝ち誇ることをせず、不合格になった人やまだ合格していない人を思いやり、不合格になった人やまだ合格していない人は、内心はうらやましさや辛さを感じるかもしれませんが、合格した人に「おめでとう」というのが、人としての建前です。以前にもこのブログで書きましたが、人には建前のために無理や「やせ我慢」をすることが必要なのではないでしょうか。こういった経験をすることで、人の人としての力は磨かれていくと思うのですが、最近は、世の中に妙な忖度や配慮がはびこって、その機会が減っている気がします。
3/3 ひなあられ & 白鳥伝説
早いものでもう3月、ひな祭りです。
私事ですが、私は昔から雛あられが好きです。大粒のものではなくて、米粒を膨らまして様々な色をつけた昔ながらのものが…。
さて、生徒向けの読書案内「こんなものを読んできた」の第9回を配信しました。今回、紹介したのは谷川健一「白鳥伝説」です。大学の歴史学専攻の学生(それもかなりまじめな人)でもないと歯が立たないような本で、高校生には難しすぎるかもしれません。はっきり言って私も十分に読みこなしたとは言えません。でも背伸びをして、わからないなりに読んでみるのもいいことだと思います。
詳しくは実際に本を読んでいただきたいのですが、この本は日本の建国や成り立ちに関する学説を示した本です。以前2月12日付けのこのブログで「神武東征」には、該当するような歴史的事実があったのではないか? と書きましたが、この本もそういった立場に立っています。
神武東征の時、迎え撃った側は、神武と妥協して降伏したニギハヤヒノミコトと、徹底抗戦をして殺されたナガスネヒコの2つの勢力に割れました。この時、ナガスネヒコの一派が関東地方や東北地方に逃れましたが、それらが後に「エミシ」と呼ばれた人々であり、その後も長く近畿地方にできた「ヤマト」に抵抗しました。この人々の住む地域が「ヒノモト」ですが、その後次第に「ヤマト」に押され飲み込まれていきました。しかしこの「ヒノモト」の意識は、関東・東北の人々の中に長く残っていきます。それらの人々が神や神の使いとして尊崇したのが白鳥で、それにまつわる神社や伝説が今も各地に残っている、というのが、乱暴にまとめた「白鳥伝説」の要旨です。
ガチガチに硬派な歴史研究ですが、壮大なイマジネーションと本物のロマンがある本です。
さて、この白鳥伝説ですが、私たちの身近な埼玉県にも残っています。埼玉のアニメ聖地発祥の地ともいえる鷲宮神社ですが、祭神は天穂日命(アメノホヒノミコト)、武夷鳥命(タケヒナトリノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)とされています。このアマノホヒとタケヒナトリが神武東征に抵抗したナガスネヒコ勢力につながる神です。もうひと柱のオオナムチも、出雲神話の主神ですから、鷲宮神社は、国譲り~神武東征における敗者の側を祀った神社と言えます。そして鷲宮神社の「鷲」ですが、猛禽類(ワシやタカの仲間)のワシではなく、大きな鳥一般「オオトリ」と解すべきでしょう。(たとえば草加には大鷲神社(おおとりじんじゃ)という神社があります。)そしてオオトリといったら白鳥やコウノトリです。
次に鴻巣の鴻神社ですが、こちらは比較的新しい時代に、鴻宮氷川社、熊野社、雷電社を合わせてできた神社とされています。しかし地元にはコウノトリ(白い大きな鳥)が悪い蛇を退治したという伝説があり、白鳥伝説っぽい感じです。ちなみにここの境内に「なんじゃもんじゃの木」と言われる木があるのですが、先に紹介した鷲宮神社と深い関係があり、天鳥船命(アメノトリフネノミコト)を祀る神崎神社(千葉県香取郡神崎町)にも「なんじゃもんじゃの木」があります。二つの「なんじゃもんじゃの木」は木の種類が違うようですが、これは偶然なのかそれとも白鳥伝説に何らかの関係があるのか気になります。
さらに超マイナーですが、私の育った見沼区大和田に鷲神社(わしじんじゃ)という神社というのがあります。
たまに縁の下から江戸時代の古銭が見つかるというので、子供のころは縁の下に潜って古銭探しをしたりアリジゴクをとったりしていました。この神社は名前の通り、鷲宮神社から勧請された末社なのですが、同時に見沼の竜神にまつわる「見沼の笛」伝承があります。前に書いたと思いますが、見沼の竜神と言えば氷川神社です。鷲神社の摂社(境内に祀られた小さな神社)には氷川社はないようですが、氷川神社と何らかの関係がありそうです。
先述の鴻神社は、前身の一つが氷川社で白鳥伝説とも関りがありそう、こちらの鷲神社は白鳥伝説ゆかりの神社で氷川神社と関係がありそう。もしかするといろいろ隠れたつながりがあるのかもしれません。谷川健一の精緻な研究と比べれば、ザルもいいところですが、こんな風にいろいろ想像するのが歴史の楽しみというものです。
2/25 中学生の皆さん、あと一息です。& 読書案内8回目
いよいよ明日、県公立高校の学力検査が行われます。
県公立高校を受験する中学生の皆さんは、最後の追い込みを頑張っているかもしれません。まあ、しかしもうここまで来たら、あとは体力勝負です。今日は、しっかりとご飯を食べてゆっくり休んで明日に備えてください。
ここから、またちょっと炎上の危険のあることを書きます。「試験前に縁起の悪いことを読みたくない」というひとは読まないでください。
入学者選抜を受ければ、中学生の皆さんの中には不合格になる人がいるかもしれません。しかし、私は「万が一不合格になったとしても、それくらい、全然大したことではない」と思います。行きたかった学校に入学できないのは残念ですが、一回の不合格は、皆さんの人生において大した損害ではありません。あとから頑張ればいくらでも取り返すことができる程度のものです。
このように書くと今のご時世では、「不合格の人の気持ちを考えられないのか?」などと批判されそうですが、私はあえて書きます。
教員をしていると「うちの子には絶対挫折をさせたくないんです」という保護者の方に会うことがあります。しかしこういった方は一生にわたり、お子さんを守って安全・安楽な生き方をさせられると思っているのでしょうか。それに入試などは何とかなったとしても、異性に告白したのに振られてしまう、などという挫折は防ぎようがないと思います(それも避けさせる気なんでしょうか?)。またそういったご家庭のお子さんは、そんなに保護者に干渉されて満足なのでしょうか。
また、近年は生徒の中にも「失敗をしたくないから、チャレンジはしたくない」という人も多くなってきています。しかし、そんな生き方で楽しいのでしょうか。世の中、勝ったり負けたりするのが面白いのではないでしょうか。私自身は大学受験や入社試験などは、ドキドキ・ワクワクするギャンブルのようで好きでした。
それに生きていけば、自分の思い通りにならないことがあったり、もっと取り返しのつかない大失敗をしてしまうこともあるかもしれません(というか、あると思います)。そうであれば、今のうちに取り返しのきく程度の軽い挫折を体験しておくのも悪いことではありません。
もし第1志望の高校に入学できずに第2志望の高校に入ったとしても、そこで夢中になれる部活や趣味、心を許しあえる友人に出会えるかもしれません。合格と不合格、長い目で見てどちらが自分にとって良かったかは、誰にもわからないことだと思います。
まあ、とにかく明日からの県公立高校の入学者選抜を受ける人は、合否の心配などせずに、ガツンと全力をぶつけられるよう、今日は体調を整えてください。
あと、読書案内「こんなものを読んできた」の8回目を配信しました。今回紹介したのは、私が小学生の時に最初に買ったハヤカワSF文庫「スターウルフ」シリーズです。読んでほしい、というよりは思い出話ですね…。
2/17 いつの間にか無くなったもの
今日は本当にとりとめのないことを書きます。
先日、バス停でバスが来るのを待っていた時ですが、ふと「最近のバスには『ワンマン』の表示がないな」と思いました。割と最近まで、バスの前面、フロントガラスの下の方に「ワンマン」という表示があったような気がするのですが…。
といっても若い人たちにはそもそも「ワンマン」とは何か? がわからないかもしれません。
私が幼稚園生のころ(昭和40年代中盤)までは、車掌さんが乗っているバスが残っていました。乗車するときに乗車口で車掌さんに行き先を告げて切符を買い、降りるときは車掌さんに切符を渡す、映画「となりのトトロ」に出てくるようなバスです。それに対し新型の整理券と料金箱で料金を精算する、運転手さんしか乗っていないバスが「One Man(ワンマン)」です。
私はギリギリ車掌さんの乗ったバスを覚えていますが、古いボンネット型(運転席の前にエンジンルームが飛び出している)から、新型の箱型(今のバスのような形)の車両に置き換わるとともに、車掌のいるバスはどんどん減っていきました。私が小学校の中学年(3年・4年)になるころには、もうワンマンが当たり前になっていたように思います。そうなってくると別に「ワンマン」という表示はいらないはずですが、かなり最近までこの表示は残っていたように思います。
これらのことを考えるにつけ、私は昔の人の方が今の私たちより優れていたのではないか? と思います。バスに関しても、昔は2人乗務で運転手と車掌の二人に給料を払ってもバス会社の経営が成り立っていたわけです。またバスの路線網も今よりずっと細かく隅々まで走っていました。ところが、ワンマン化により人件費の大幅な節約ができたはずなのに、現在では赤字等を理由にバス路線はずいぶん減っています。自家用車の普及などによる乗客減なども大きいのでしょうが、それだけではないのではないかという気がします。
そんな感じで、いつの間にか無くなったものを考えていたら、「無人踏切」という言葉も死語だよね、と思いつきました。これもなぜ、「無人踏切」というのか、というと昔は「有人踏切」があったからです。踏切のところに保安員(踏切番)の詰め所があり、人が操作して遮断機を上げ下げするものです。もっともこれは大きな踏切だけで、小さな踏み切りは、遮断機も信号・警報機もなくてレールの間にわたり板が敷いてあるだけでした。
そんなに高給ではなかっただろうと思いますが、昔は踏切番という職業があり、その分雇用が確保されていたわけです。今でいうワークシェアリングというやつでしょう。それでも世の中は回っていましたし、また遮断機のない踏切が多くても、踏切を渡るときには左右を確認するという常識は、子供が一人で歩けるようになると同時に叩き込まれたので、あまり事故は起きませんでした。注意力や危険回避力といった点でも昔の人の方が優れていたように思います。
もう一つなくなったのものといえば、電話のダイヤルです。
ダイヤルとは、日時計の文字盤(サン・ダイヤル)のように、電話機の番号を打ち込む操作部が放射状になっていることからついた名前です。昔の電話はダイヤルの番号が書いてある穴に指を突っ込んで、かぎづめの位置まで回転させて離すと、ダイヤルがばねの力で元の位置に戻り、その時にリレースイッチを番号の回数だけ開閉させることで信号を電話交換機に送っていました。10桁の電話番号を送るのに、30秒以上はかかっていたと思います。
今やダイヤルはすっかり見なくなり、若い人は操作法もわからないでしょうが、いまだに電話をかけることを「ダイヤルする」と言ったり、コンピュータやスマホの電話回線に接続するためのアプリを「ダイヤラー」と言ったりするところに名残がみられます。
ダイヤルは今となっては信じられないほどかったるい装置でしたが、その一方でこの時代には、自宅、職場、親戚、仲の良い友人の家、行きつけの店など、よく使う電話番号の10件や20件は、覚えているのが当たり前でした。それに対し、現在はみんなスマホのメモリーに頼ってしまうので、下手をすると自分の家の電話番号も忘れてしまいます。これなども人間の能力の低下と言えるのではないでしょうか。
世の中が便利になったように見えて、その分人間の基本的な力が低下したのでは、これは進歩と言えるのかな? と思います。