校長室ブログ

忙中閑あり~校長室より

10/29 いつの間にかに…

 今日から本校は「翔陽祭」の準備です。10月31日(金)・11月1日(土)に文化祭、11月5日(水)に体育祭が開かれます。観覧には事前予約(締め切り済み)が必要なので、予約していない方にはもうしわけありません。

 今日は朝から、教室の飾りつけをしていたり、楽器の練習の音が聞こえてきたり、だんだんお祭りムードが高まってきました。

 それにしても「季節的に遅くない?」と思った方もいるかもしれません。しかし去年も書いたと思うのですが、他校でよくある9月初めの文化祭は早すぎます。熱中症や食中毒の恐れがあったり、まだ日が長い時期なので後夜祭も真昼間だったり、デメリットが多すぎます。翔陽祭の中夜祭は、やっているうちにとっぷりと暮れてきていい感じです。

 さて、そんな文化祭準備のかたわら、今日は学校献血もありました。私も少しは世の中の役に立とうと会場へいったのですが、なんと今回が献血50回目とのことで記念品をいただきました。

 頻繁に献血ルームに行っていた時期もあれば、2・3年も間が空いてしまった時もありますが、ちりもつもれば何とやら、いつの間にかに50回になっていました。

 振り返れば、50回すべてが400mm献血で達成までに40年くらいかかっています。70回でまた記念品や有功章がもらえるらしいのですが、献血ができるのは69歳までなので、年3回しかできない400mm献血ではとどきません。200㎜や成分献血なら回数が稼げますが、記念品目あてというのもちょっとはばかられますね。

 

10/22 これは昭和じゃない

 昨日、ネットをふらふらと見ていたら、「日刊SPA!」の「土下座しろ!水をこぼした女性店員に激怒する高齢の男性…救いの手を差し伸べてくれた“意外な人物」という記事に見過ごせない部分がありました。

 

 それは記事冒頭の「昭和の時代ならいざ知らず現在では客だからといって横暴に振る舞う行為はタブーとする風潮が浸透した。一方で、そうした世間の動きから取り残されたままの人物も、まだまだ少なくはないのが現状だ。」という一文です。これは事実誤認、というか事実と正反対のことを言っているように思います。

 何事にも100%ということはありませんが、私の知る限り昭和の時代には、店員のささいな失敗に文句を言って大声を上げるような客はほとんどいませんでした。

 昭和の老人は明治末から大正生まれで、ジェンダーフリーだのポリティカルコレクトネスだのといった考え方はしなかった(というか、そんな考え方自体がまだない)ので、男性客が女性の店員に「おねえちゃん」や「おばさん」呼ばわりをするくらいのことはありました。しかしその反面、料理を運んでくれた店員さんにはちゃんと「ありがとう」と言う人が多かったように思います。店員と客という以上に、人と人としての礼儀がわきまえられていた時代です。

 自分たちはお金を払った客なのだからサービスされて当然、といった態度、「客だからといって横暴に振る舞う行為」は、平成から令和にかけて蔓延してきたものです。居丈高な客が店員さんに怒鳴っているのは、きわめて令和的な風景といえるでしょう。

 今回取り上げた記事の筆者は、いつ頃生まれた人なのかは知りませんが、おそらく本当の昭和を知らないのでしょう。この人に限らず、最近なんでも悪いことを「昭和」で片づけてしまおうとする紋切型な言説がよく見られますが、私は人間や社会の相対的な能力は昭和の方が上だったと考えています。

 つい先日も大手飲料会社の流通システムがクラッキングを受けて製品の供給ができなくなってしまいました。取引量や製品数は現代の方が多いのかもしれませんが、昭和の時代にはどの企業も紙の伝票と電話とファクス、電卓くらいの装備で流通管理をしていたはずです。今の人間にはその能力も覚悟もないようです。

 はるかに便利になったはずの現代の方が商品のサプライチェーンが脆弱になり、また交通機関などもすぐ止まってしまうのはおかしな話です。

 

 

 

10/21 こんなことを考えた &こんなものを読んできた31

 以前、悪夢ばかり見るという話を書きましたが、寝つきも悪く、私は全体的に睡眠の質が低い人のようです。寝られないときには、仕事のことなど考えているとますます寝られないので、なるべく仕事と関係のない取り留めのないことを考えるようにしています。

 で、最近考えていたのが「言語の起源」みたいなことです。

 世界にはたくさんの言語があります。インド・ヨーロッパ語族(英語やドイツ語、フランス語など)のように系統が辿れるものもありますが、系統のよくわからない言語(日本語もその一つ)もあります。しかし、全ての言語に共通の論理的枠組みがあり、相互に翻訳可能であることから、全ての言語の元となった始原の言語があったのではないかと考えてしまう人も多いでしょう。

 13世紀のシチリア王にして神聖ローマ皇帝のフリードリヒ2世もこのことを疑問に思い、「生まれたばかりの赤ん坊を閉じ込め既存の言語では一切話しかけないようにしたら、この始原の言語を話すのではないか。」という実験をしたと言われています。現代だったら到底許されない非人道的な実験ですが、「最初の近代人」といわれたフリードリヒ2世らしい合理的な手法ではあります。また20世紀にはチョムスキーという人が言語の共通の性質を研究し、生成文法や普遍文法という考え方を唱えました。

 さて、前置きというには長くなってしまいましたが、最近、私が寝ながら考えたのは「音義説」のようなことです。「音義説」とは「あ」とか「い」という音そのものに原始的な意味があり、それらが組み合わさって今の言葉が出来上がっているという説で、江戸時代に日本の国学者の間で流行しました。(国学者たちも中国語やオランダ語など他の言語は知っていましたが、彼らにとっては日本語こそが始原の言語だったのでしょう)。で、この音義説みたいなもので、私が考えたのは擬音語や擬態語などの問題です。

 擬音語については耳で聞こえた音を写したものなので、似ているのは当たり前です、ものが叩かれた音を日本語では「バン」、英語では「BANG」と表現するようなものです。しかし擬態語についてはどうでしょう。物が不愉快なほど強く光を放ったり反射したりしているとき、日本語で「ギラギラ」、英語で「glitter(グリッター)」と言います。また光の細かい点滅を日本語で「チカチカ」、英語で「twinkle(ティンクル)」といいます。光を放つ物体から「ギラギラ」とか「チカチカ」という音が出ているわけではなく抽象的なイメージの問題なのに、妙に似ていると思いませんか。もちろん明治時代に海外の文化や言語が流入した際に、英語の擬態語の影響を受けた可能性はあります。しかし、食べ物の味が良いことを日本語で「うまい」、英語で「yummy(ヤミー)と言ったりするのも妙に似ています。この辺りを考えると、昔の「音義説」的なものがあるのかも、という気がしてきます。

 ちなみに昔、私の実家で飼っていた猫は、普段、安物の乾いたキャットフードしか食べさせてもらえないので、たまにおいしい猫缶を上げると「うみゃ、うみゃ、うみゃ」と言いながら食べていました。ひょっとして言語の起源は人類共通どころではないのかもしれませんね。

 さて「こんなものを読んできた」31回は、超軽量級のラノベ「全力回避フラグちゃん」を紹介します。いかにもネットやユーチューブの普及した現代らしい作品です。こんなものを読んできた_31(全力回避フラグちゃん)web.pdf

 

 

10/15 プチ史跡巡り2 & こんなものを読んできた30

 先週、「令和7年度全国単位制高等学校長等連絡研究協議会第35回兵庫大会」(長い!)という会議のため、兵庫県西宮市に行ってきました。 単位制で進学実績を伸ばしている伊丹北高校や、アルバイトを実務代替として義務づけている私立の綾羽高校などの取り組みが聞けて、大いに勉強になりました。来年は埼玉大会ですから、皆さんよろしくお願いします。

 さて上述の通り西宮に行ってきたのですが、この辺りはラノベ、アニメの「涼宮ハルヒ」シリーズの舞台です。今回は業務出張だったので、アニメ聖地巡りみたいなことはできませんでしたが、阪神電車「香櫨園駅」を下りたところの夙川(しゅくがわ)公園(作品中に出てきた公園は、もっと上流の阪急の夙川駅に近い方のようですが…)などに、作品の雰囲気を感じさせるものがありました。

「涼宮ハルヒ」ももう20年も前の作品ですから、それにまつわるアニメ聖地も、もはや史跡といって過言ではないかもしれません。今回は会場がJR「さくら夙川」、阪急「夙川」の近辺だったので、作品中でハルヒが文化祭の映画撮影のためビデオカメラやエアガンを寄付させた「祝川商店街」があるか?と思ったのですが、夙川には商店街らしいものはほとんどありませんでした。「祝川商店街」は西宮の中心部をモデルにした架空の商店街のようです。

それと香櫨園駅の前で、こんな石塔を見つけました。

 上部に「三界」とあるのが読めます。これは何かというと「三界万霊塔」というもので、仏教の「三界」(欲界、色界、無色界)に存在するすべての霊を供養するという趣旨のものです。裏側も見ましたが特に年紀のようなものは見当たらなかったのでいつ頃の物かはわかりません。全国のあちこちにあるようですが、私の生活圏(埼玉県南部)ではこれまで見たことがありませんでした。地域的な分布の偏りがあるのかもしれませんね。ネットで調べようとしましたが、ブログの類や旅行・観光に関する記事は、県のネットワークでは禁止されて見えないので、よくわかりません。しかし面白いものを見ました。だから旅はいいですね。

 「こんなものを読んできた」第30回は、そんなわけで「涼宮ハルヒ」シリーズを紹介しました。20年前のまだ日本がこれほど衰退する前のゆとりのある雰囲気が伝わってくるような作品です。こんなものを読んできた30(涼宮ハルヒ)web.pdf

 

 

10/8 いよいよですね。

 学校の方は昨日から中間考査です。テスト期間中は休み時間も静かで学校中がしんとした感じです。電車の中でも高校生が英単語や古文単語の本を見ている姿もよく見かけます。みんな頑張ってください。

 さて、タイトルの「いよいよですね」って、一体何が? というとアレです。Windows10 のサポート終了です。

 最初に書いておくと、私のような木っ端者が世界のマイクロソフトに反抗しようなどどは思ってもいません。実際に私は1993年に初めて自分のPCを買ったときからずっとWindowsユーザーで、一度もリンゴのマークに走ったりしたことはありません。(ヘコヘコした小物感丸出しですね。)

 でも、ちょっとだけ「Wiondows11への乗り換えって必要なんですかぁ?」と思ってしまうわけですよ。

 先述のとおり1993年に私が始めて買ったPCはエプソンの486SXノートというやつで、CPUはIntel486SX25Mhz、RAM12MB、HDD500MBのハードウエアにOSとしてMS-DOS5.0+Windows3.1を乗せていました。(ちなみに当時はPC本体とメモリやHDDなどは別売でした。OSも購入後に自分でインストールしていました。)

 今の若い人はスペックの単位が「G(ギガ)」ではなくて「M(メガ)」であることに目を疑うかもしれませんが、これは間違いではありません。しかもこのスペックは当時としては結構ぜいたくな方でした。同僚からは「メモリ12MBも積んでどうするの」とか「HDD500MBなんて一生使いきれないじゃん」とか言われたものです。

 この初代マイPCの486SXと今このブログを書いている学校のCore i3-1315U(現代水準ではかなり低性能)では、AIのコ・パイロットさんによれば、1000倍以上の性能差があり、「まるで黒電話とスマートフォンを比べるようなもの」だそうです。(詳細は下記の通り)

 

指標 486SX Core i3-1315U
クロック  約25Mhz 最大4.5Ghz 
 コア数 6(8スレッド) 
 キャッシュ 数KB  10MB 
 PassMarkスコア 約5~10  約11,339 
 消費電力 数W  15W(TDP) 

  とはいうものの、この486SXの時代と現在で、学校でPCを使ってやっている作業は、ワープロでの文書作成、表計算やデータベースを使った会計や成績の処理などで、ほとんど変わりません。さすがに486SXで動かすWindows3.1は頻繁にフリーズしていましたし、画像の加工などさせると、1枚の写真の処理に20分くらいかかったりしていたので、もう少し機械もOSも進化させたいところですが、その数年後のMMXペンティアムで動かすWindows2000やWindows Xpで十分だった気がします。

 現在のWiindows10や11は、Xpなどに比べると起動が早くなっていますが、ハードウエアの性能が1000倍以上になっているのだから、それも当たり前の気がしますし、特にバージョンアップの必要を感じないのですが…。

 サポート終了後はセキュリティが担保されませんと言われてしまうと、学校では使い続けることができませんが、コンピュータをスタンドアローンで使っている工場や倉庫などでは、いまだにNECの98シリーズが現役のところもあると聞きます。 Wiindows10が出たときには、これが最後のOSだとか言っていた気もするのですが…。

 すみません。ただの愚痴でした。

 

9/29 こんなものを読んできた29 & どんな夢を見てますか?

 さて前回、強い調子で「どんな本を読むかは勝手だろう」という話を書きました。それは何故か?というと、今回、「こんな本を読んできた」第29回で、藤本タツキのマンガ、「チェンソーマン」を紹介する露払いの意味もあったのでした。こんなものを読んできた29(チェンソーマン)WEB.pdf

 今も昔も暴力シーンがあったり、露骨な性的な描写がある作品には、「児童生徒が読むのに適さない」と「有害」のレッテルが貼られがちです。ただ、そういった作品の中には表面的に好ましくない描写があっても、伝えたい真のテーマには見るべきものがある作品もたくさんあります。(確かに有害だな、と納得してしまう作品もありますが…。)

 藤本タツキの「チェンソーマン」も「好ましくない」マンガに分類されてしまいそうな作品ですが、私は、独特の美しさや味わいのあるいい作品だと思っています。(詳しくは上のリンクから本文を見てください。)

 この作品の特徴は、なかなか覚醒できない悪夢をみているような独特の雰囲気にある、と思いますが、ところで皆さん、日常的にどんな夢をみていますか?

 私はあまり楽しい夢を見ることがありません。ほとんどが悪夢の類です。

 教員稼業が長いせいか、舞台が学校のものが多いのですが、たとえば、授業に行こうとして職員室を出たのに教室にたどり着かない。よく知っているはずの校舎が迷宮と化して、このままでは授業に遅れてしまう…。とか、そんな感じです。最近も、生徒と一緒ににぎやかに文化祭の準備をしていた(この辺は割と楽しい)ところに、「車の移動をお願いします」と放送が入ったので、愛車を移動させようとすると、なぜが自分の車が見つからず、校内をぐるぐるさまよう…。という夢を見ました。次の朝、寝起きからひどい疲れを感じて、脈拍や睡眠状態の記録できる腕時計で見たら、睡眠中なのにものすごくストレスの高い状態になっていました。

 夏目漱石に「夢十夜」という作品があって、漱石の見た不条理で不可解な夢を描いています。漱石も精神的に不安定な人だったといいますが、私の悪夢癖も何か精神的なものなのでしょうか。

 

9/19 どんな本を読むべきか?

 今日の朝は久しぶりに半そでだとちょっと肌寒いほど涼しくてホッとしました。でもまだ暑さのぶり返しはあるようです。このブログを読んでくださっている皆様、お体ご自愛下さい。

 さて、前々回(9/8付け)のこのブログで、小学校の先生に対する批判めいた感じのことを書いたので、皆さんの中には「この人は小学校の先生が嫌いだったんじゃないか?」と思った人もいたのではないでしょうか? 実はその通りです。理由はいくつかありますが、強いて言うなら当時の先生には「のぞましい子供像」を押し付けてくる人が多かったからです(もちろん尊敬できる先生も何人かいましたが)。

 で、今回のお題につながるのですが、当時の小学校の先生には、読書の面でも「情操を豊かにする」本ばかり読ませようとする人が多かったように思います。小学生の頃の私はそれが性に合いませんでした。ついでに言うなら私の母親も「情操」とやらが好きでいい迷惑でした(親不孝な言いぐさですが、本当にそうでした)。

 たとえば当時の先生がよく勧めてきたのは、リンドグレーンの「長靴下のピッピ」とか、ウィーダの「フランダースの犬」とか、ドーデの「最後の授業」などの「良書」でした。まあ一応私も読んでみました。リンドグレーンなどには、今読めば子供の時には感じなかった何かがあるのかもしれません。しかし「フランダースの犬」のラストには、「おとなしく凍死するくらいなら、どんな生き方でも生き延びた方がいい」と感じました。「最後の授業」では「アルザス・ロレーヌがドイツ領に編入され、明日から学校でフランス語が使えなくなる」のが悲劇とされているのですが、妙に歴史マニアだった私は「ドイツ系住民もたくさんいるのだから、その人たちは喜んだんじゃないか?」とか考えてしまったわけです。で、先生にその辺の疑問をぶつけると、ひねくれた読み方をする困った児童という扱いになってしまい…。

 同じように、夏休みの宿題でよくあった「読書感想文」も先生たちの想定する「のぞましい感想」でないと評価されなかったように思います。たとえば太宰治の「走れメロス」という作品があります。一般的には「メロスとセリヌンティウスの篤い友情と信頼で、人間不信の王様も改心した」お話とされ、読書感想文にも期待されているのは、その線でしょう。

 しかし、私はこの作品には全体になんとなく皮肉っぽいトーンが流れているようで、作品そのものが太宰治の壮大な冗談ではないかと考えてしまいます。「走れメロス」については、米澤穂信の「氷菓」シリーズの中にも、主人公の折木奉太郎が、さまざまな突っ込みを入れてミステリー作品として読んでしまう、というお話がありますが、とにかくそんなに素直に読んでいい(もちろんそう読んでもいいですが)作品ではないと思います。

 話が長くなりましたが、何が言いたいのか、というと「何を読んで、どう感じるか」などは自由でいい、ということです。私も「こんなものを読んできた」でおすすめの本を紹介していますが、それは自分が読んで面白かった本を紹介しているだけで、それ読むかどうかはみなさんの勝手です。

 世の中には、明らかに科学的におかしなことが書いてあったり、極端な思想で事実を捻じ曲げたりのいわゆる「トンデモ本」があります。子供たちがこの手の本を読んで、それに染まったら大変だという考えもあるでしょうが、これらも含めて「何を正しいと思い、何を信じるか」は、多くの本を読み様々な知識を得たうえで自分で考えればいいことだと思います。

9/12 プチ史跡巡り2「飯田橋周辺」 & こんなものを読んできた28

 今日の午前中、ちょっと出張で飯田橋まで行ってきました。少し早めについたので江戸城の牛込門跡の石垣を見てきました。

 

 飯田橋駅の西口を出ると、駅前の道を挟んで両側に牛込門の跡の石垣が残っています。門そのものは明治に入って間もなく撤去されたのですが、土台の石垣は残されました。これだけ堅固なものを撤去すると工事の手間と費用も馬鹿にならないからでしょうか。

 

 また駅前には牛込門の石垣に使われていた石も野外展示されています。側面にこの門の工事を担当した蜂須賀阿波の守の名が刻印されています。東京の皇居周りにはこういった遺跡・遺構が点在していて楽しいですね。

 次は飯田橋の駅の中です。これは帰りに撮りました。

 飯田橋の駅は現在は西口側に中心が移っていて、東口から入ると電車に乗るまでに使われていないホーム東側の部分を100m以上歩くことになります。この古いホームの部分の屋根は柱が曲線でそのまま梁に変わるとても美しい構造をしています。そして、この柱の鉄骨はよく見るとレールを曲げたもののようです。

 

 柱のクローズアップです。車輪がのる上面が内側、枕木に接する下面を外側にして2本束ねて柱にしていることがわかります。

 昔はあちこちの駅でこういったレールを構造材に使ったホームの屋根がみられましたが、最近は建て替えられて少なくなってきました。飯田橋の駅のここの屋根はそれらのうちでも美しいものの一つだと思います。

 さて、もう一つのお題、「こんなものを読んできた」。今回はハインラインの「大宇宙の少年」です。私は子供のころに夢中になって読んだ記憶があるのですが、他にもこの作品を読んでSF好きになったという人がたくさんいるようです。こんなものを読んできた28(大宇宙の少年)web.pdf

 

9/8 プチ史跡巡り2 やはり遺跡でしたか!

 9月に入り、日差しはやや弱まりましたが、暑いですね。「暑さ寒さも彼岸まで」のことわざ通りになればよいのですが。

 さて、今日はちょっとだけです。

 このブログでも、たびたび「土の盛り上がりをみると古墳に見える病気」を発症している私ですが、その原点は、子供のころ住んでいた見沼区大和田にあった謎の土の山でした。

 東武野田線(最近はアーバンパークラインと言うそうですが)の大和田駅の南方数百メートル、子供のころ私がよく虫取りでうろついていた雑木林の中に、長径20m、短径15mくらい、高さ2~3mほどの土の小山がありました。

 小学館の「マンガ日本の歴史」や学研の学習百科事典を読破して、妙に歴史や考古学が好きだった私は、「これは古墳かも?」と考えました。そして、この小山の近くの農家(このお宅では金魚を養殖していたので、たまに買いに行ってました)の人に聞いてみたのですが「わからない」とのことでした。そこで小学校の先生にも聞いてみましたが、「こんなところに古墳があるわけない。」と言われました。当時の私はまだ素直で、先生は何でも知っていると思っていたので、「じゃあ、違うのかなぁ」と思ったものです。

 さて、この間、このことを思い出して、前にも利用させていただいた国土地理院の陰影図で見てみました。昔、私が不思議に思った場所には、ちゃんと小山が二つ表示されています(13の数字左上)。

 その同じ場所を、さらにさいたま市遺跡地図(この地図も便利で素晴らしいです。)で見ると、二つの山のうち、北側の方が赤くなっていて遺跡番号「12-209」となっています。

 詳細な情報を見ると、ここは「埋蔵文化財包蔵地」「塚・散布地」「中世」とのことで、古代の古墳とはされていませんが、人為的な塚として認定されています。また古代には13の数字左の黒点の交差点の少し南まで見沼の入り江が細長く入り込んでいたようです。ここの十字路の東西の道は大宮と岩槻を結ぶ古い街道で、辻には今も六地蔵が残っています。この周辺は昔は何らかの重要ポイントだったのかもしれません。

 50年以上、ずっとこの問題が頭に引っかかっていたのですが、古墳かどうかはさておき「遺跡ではないか」と思った私の直感は間違っていなかったのですね。思わず大威張りしてしまいました。

 それにしても小学校の先生は何を根拠に「古墳のはずがない」と断言したのでしょう。歴史を商売とする人の端くれになった今の私の目から見れば、大和田の周辺は低地と台地の境目で中世の城塞や館の跡なども点在し、中世の塚や古代の古墳があってもそんなにおかしくない場所なのですが…。なんか微妙に子供の夢をつぶされたような気がします。私だったら、「そうかもしれないね。調べてごらん」と言ったと思うのですが。

 上記の地図の引用については一応学術・教育目的の利用条件には合っていると考えていますが、もし不都合があればお知らせ下さい。

9/2 こんなもの読んできた27 & 初めて見ました!

 夏休明け最初の「こんなものを読んできた」は、アイザック・アジモフの「銀河帝国興亡史」です。本文中にも書きましたが、私が中・高生のころ、SFファン界隈では「銀河帝国興亡史」を読んでいないと、「もぐり」「素人」扱いされ軽蔑されたものでした。私はひねくれ者だったので「だったら俺は読まない」と決心し、50年近くこの作品に背を向けていましたが、もうそろそろ読んでもいいかと思い、今回ようやく読破しました。

 こんなものを読んできた27(銀貨帝国の興亡)web.pdf

  さて、出勤途中にこんなチョウを見ました。

 

 私がこれまで見たことのないチョウだったので、調べてみたらおそらくムラサキシジミのようです。シジミチョウの仲間は体も小さく羽根を閉じていると目立たないのですが、羽根の内側が美しい金属光沢をもっています。しかしスマホを構えて待っていても、なかなか羽根の内側を見せてくれません。そこでちょっと気の毒ですが、飛んでもらうことにしました。(下記のリンクをクリックすると動画がダウンロードできます)

 VID_20250902_064011387 - Trim.mp4

 動画は一瞬過ぎるので、ファイルからフレームを抜き出してみました。形はぶれていますが、深い青色はわかると思います。

 シジミチョウの仲間には、他にも羽根の内側が鮮やかな緑色のミドリシジミや、きれいなオレンジ色のベニシジミ、白銀色のウラギンシジミなどきれいな蝶がたくさんいます。そこら中の芝生や草むらで見かけるヤマトシジミ(1センチ5ミリくらいの白っぽいチョウ)も、よく見ると羽根の内側が金属光沢のある薄いムラサキ色でなかなかきれいです。

 今回見つけたムラサキシジミは色がきれいなだけでなく、幼虫の時にアリを引き付ける匂いを出して、アリに自分の護衛をやらせる不思議な習性をもった蝶としても有名です。日本では割と広い範囲に生息しているようですが、私は初めて見ました。こういったことがあった日には、何かいいことがありそうです。