忙中閑あり~校長室より
6/29 AIにムッとした話
このところほとんどお日様の姿を見ない日が続いていますが、お元気ですか。学校の方は今週から期末考査に入ります。試験前なのでこの前やっと再開した「こんなものを読んできた」もまたしばらく休みです。
さて、前回、前々回の台風の記事で、「AIとムッと来るやり取りがあった」と書きましたが、それがどのようなものだったか、という話です。
①台風の上陸日時について分析するため、去年も利用したJCDPの台風データを使おうと思ったのですが、このデータは2019年までです。2020年以降を追加しようと思い、とあるAIに2020年以降に日本に上陸した台風の一覧を作成を頼みました。そうしたら一覧表を作ってくれたので、とりあえずチャットを閉じました。
②その後、データをまとめようとしたところ、なぜか先ほど入手したデータ一覧の2025年の3つの台風の上陸日の日付が「XX」となっていることに気が付きました。
③そこで再度AIとのチャットを開き、再度、2020年以降に日本に上陸した台風の一覧を求めました。今度も一覧を作ってくれましたが、なぜか2024年までしかデータが入ってていません。
④そのため「2025年のデータはどうなっているのか?」と聞いたのですが、そうしたら「2025年はまだシーズン途中なのでデータがない」と答えてきました。
⑤驚いて「今年は2026年だよ。気は確かですか?」と聞き返したところ、こんどは「気は確かだよ。ああ、今は2026年と言う想定なんだね」という感じの返事を返してきました。
⑥私が「いや想定ではなくて本当に2026年なのだ」と言っても、AIは、「今は2025年である。そのため2026年という未来から2025年という過去を振り返る設定で答えを求められても、答えはない」という主張を繰り返します。
⑦そこで私は前回のチャット(上の①)で作ってもらったデータを示して、「前回はこういうデータをもらった。このデータの「XX」になっているところを知りたいのだ」と、ピンポイントでリクエストしました。
⑧ところが、AIは「このデータは何らかの目的で作られた架空のものだ。」と言い返してきました。さらにこのデータの日時の部分が「XX」となっていることこそ、架空である証拠だ、と主張してきました。
⑨このままでは話がすすまないので、私は自分で気象庁のWebサイトを調べて、「2025年には間違いなく3つの台風が上陸した。その上陸日を知りたい」と質問しました。
⑩ところがAIはこれでも認めずに「架空データ説」を繰り返し、その根拠として「気象庁発表の公式データに2025年のデータはない」と断言してきました。
⑪そこで、私はさっき自分でデータを調べた(上記⑨)気象庁のページのURLを張り付けて「ここで調べたらちゃんとのっていた」と反論しました。
⑫そうしたところ、AIは一転して「あなたのデータが正しい。自分のデータが間違っていた。」と誤りを認めました。しかし、次はなぜ自分の間違ってしまったか(間違って当然だったか)の言い訳をはじめました。しかも偉そうに「なぜ、あなたが正しいか説明するね」的な口調で!!
これだけ盛大に間違っておきながら「ごめんなさい」の一言もありませんでした。しかも上の⑧~⑩あたりのやり取りの際には、何となくAIの回答に「やれやれ物分かりが悪い人だけど、これも仕事だから丁寧に説明してあげなくては」、「噛んで含めるようにやさしく説明してあげます」的な偉そうな雰囲気が漂っている気さえします。これにはなかなかムッと来ました。
最近、これからは人間が知識を蓄えなくてもAIが何でも教えてくれるから、AIを使う方法さえ知っていればよい、ということをいう人が沢山います。
しかし、AIは時々、上のような大間違いをします。しかもそれを指摘してもなかなか間違いを認めません。このブログでは去年も蛾の種の同定をめぐるAIとのやり取りを紹介しました(2025/6/26「AIの反抗?①」、2025/6/27「AIの反抗?②」)が、AIの往生際の悪さは相当なものです。
私のような執念深い人なら、AIに間違いを認めさせるまで論争しますが、そんなにしつこくない人なら、途中で折れてAIの言い分を聞いてしまうかもしれません。 AIの言っていることが正しいかどうかを判断するために、人間には論理性と正しい基礎知識がこれまで以上に必要です。
私は前から主張していますが、初等・中等教育の段階、若くて記憶力のいい時代にどれだけしっかりとした知識を詰め込めるかが大切です。知識・教養軽視の人がよく言う「地頭」とやらは、知識を蓄えた後に発揮すればいいですし、同じ「地頭」なら考える材料となる知識が豊富な方が有利に決まっています。今後もというか、今後こそ一人一人の頭の中に正しい知識を蓄積する教育が大切です。
6/26 「台風は早くなったか?」(続)
台風の影響か今日もどんより湿っぽいですね。今回の台風は、学校が休みの土日の内に去ってしまいそうで、何よりです。
さて、前回、「台風の来る時期は早くなったと言えるだろうか?」と言うことについて、私なりの見解を述べました。しかし家に帰ってからつらつらと考えたところ、「上陸日の平均日で見た結果では、納得しない人もいるかも」と思い当たりました。
なぜなら、15歳と65歳の平均年齢は40歳、39歳と41歳の平均年齢も40歳です。「平均なんてインチキだろ」と言い出す人がいるかもしれません。データを見るときは平均だけでなくデータのバラツキ(分散)も見なくてはならないというのは基本です。
前回の回帰分析や多重比較にも分散の要素はちゃんと入っているのですが、よりわかりやすくするために、台風の「もっとも早い上陸日」とか、「台風シーズンの長さ」を使った分析もしてみました。「シーズンの長さ」を問題にするのは、台風が来る時期が早くなる方だけでなく遅くなる方にも伸びているかもしれないからです。
これを次のような方法で調べてみました。使っているのは今回もHADです。
① 1877年から2025年までのデータを3年や5年など一定の期間で区切り、その間の台風の一番早い上陸日、一番遅い上陸日、その差(台風シーズンの長さ)を求める。
※ここで3年とか5年の期間とするのは、台風が全く来ない年とか、1個しか上陸しない年もあるからです。
② ①で求めた日にちについて、回帰分析を行い、「台風の来る時期が早くなっていないか」や「台風シーズンが長くなっていないか」を検証する。
結論として「台風が早く来るようになったとは言えない」という前回の結果は、今回も変わりませんでした。また、台風シーズンも長くなったとは言えませんでした。
検証は、3年区切り、5年区切り、15年区切りで行い、いずれも同じような感じでしたが、以下に5年区切りの結果を上げておきます。
【台風の来る時期が早くなっていないか 5年区切り】
上のグラフで見ると、各年の最初の台風の上陸の平均はおおよそ、4月1日から数えて80~90日目(7月末~8月初め)くらいです。しかし、年によるバラツキが大きいことが分かります。次にこれが「早くなってきているか」という点です。回帰直線(青い直線)はわずかに右下がりで係数は-0.137(毎年3時間くらい早くなる)となっていますが、p値は0.785です。この係数はほとんど信頼に値しないので、「早くなっているとは言えない」ことが分かります。
【台風シーズンが長くなっていないか 5年区切り】
上のグラフで見ると、台風のやってくる季節の長さの平均は110~120日くらいです。しかし、こちらも年によるバラツキが大きいことが分かります。次にこれが「長くなってきているか」という点です。長くなっているのであれば、回帰直線(青い直線)は右上がりになるはずですが、係数は-0.104と逆にわずかに右下がりになっています。p値も0.853とほとんど信頼に値せず、「台風シーズンが長くなっているとは言えない」ということになります。
6/24 「台風は早くなったか?」
今度の週末にもまた台風が来るようです。しかも二つも。土・日のうちに通過してくれればよいのですが、平日に来て臨時休校になったりすると、生徒の皆さんも学校としてもいろいろ大変です。
さて、昔は台風のことを「野分」と言ったりしました。枕草子に「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ(台風の次の日は、しみじみと趣深い)」とか書いてあったり(*)、源氏物語にも「野分」という帖(章)がありますが、「野分」とは野原の草を吹き倒す強い風のことで、秋のものとされています。
台風=秋という認識だったわけです。それが今年は前回の5号と合わせて、6月に3つもやって来ます。そうなると世の中には、「こんなに台風が早く来るのは気候がおかしい。温暖化だ!大変だ!!(二酸化炭素狩りをしなくては…)」という話が出てくるわけですが、今回は少し落ち着いて「それは本当か?」ということを考えてみたいと思います。
去年もこのブログで、「台風はだんだん強くなっているのではないか?」という仮説について考えました。(2025年4月28日)今回もその時のデータ(JCDPのデータセット)に最近数年分のデータ(気象庁等)を追加して考えます。(この追加データを巡って、とあるAIとなかなかムッと来るやり取りがあったのですが、それはまたの機会にします。)手順は以下のような感じです。分析には、前回と同じくHAD(関西学院大学の清水裕士先生が提供している統計分析ツール)を使わせていただきます。
①1877年から昨年2025年までに日本に上陸した台風のすべてについて上陸日を調べます。
②上陸日を4月1日を起点とする数字に変換します。(4月1日は1、2日は2とします。)
③上の②の4月1日起点日数を目的変数、西暦年を説明変数として、回帰分析を行います。
で、その結果が以下です。
グラフ(散布図)を見ると、台風上陸日の平均は、4月1日から150日目前後(8月末から9月初め)です。グラフは見ての通り横長に四角っぽく広がっており、回帰直線も「やや右下がりかな?」という程度です。「年」の係数はー0.045なので、1年につき0.045日(約1時間)台風が来るのが早まっている可能性を示していますが、p値が0.232もあり、これでは「台風は年々早まっている」という仮説に十分な信頼性があるとは言えません。(仮説に信頼性があるとみなすには、一般的な社会現象などで0.05未満、厳密さを求められる医学や薬学などでは0.01未満が求められます。)
もうちょっと大きなまとまりで見たらどうだろう、というわけで、観測期間を30年区切りで6期に分け、その期ごとに比較するというのも試してみました。グループ(期)間に有意な差があれば、仮説の信頼性を主張できるというわけです。
その結果が上のグラフです。これはちょっといい感じに見えますが、第5期(1990~2010年代)のところでデータが反発していて、きれいな右下がりではありません。また各期の平均値の差が統計的に有意といえるかどうかを多重比較してみると、以下のようになります。
一番、P値の低い1期(1870~90年代)と4期(1960~80年代)の比較でも0.1なので、こちらもあまり確かな仮説とは言えません。
個別に見ても、過去には1956年の4月25日、1910年の5月11日などのデータがあり、われわれのイメージはともかくとして、今の段階で台風が来るのが早くなったとは言えないようです。
ちょっと気になる点と言えば、第6期のデータのバラツキが大きい(グラフの分布範囲を示す縦線が長い)ことでしょうか。これは、台風が特定の期間に集中してくるのではなく、早い時期から遅い時期までばらけて来る(台風シーズンの長期化?)ということを表わしています。ただ、この第6期は、2020年からの6年分なのでデータ数が他の期よりも少ないということもあり、まだ何とも言えません(*2)。今後もっとデータが積み上がれば、はっきりするでしょう。
いずれにせよ物事はイメージだけで語らず、きちんとデータ分析をすることが大切でしょう。
(*1)清少納言は、この後の部分で庭の柵や垣根、植込が荒れていたり、木が倒れたり枝が折れているのも面白いと言ったり、普段はすっと美しい人が、風の音で寝られなくて、ぼさぼさの頭でぼうっとしているのがすごくいい、と言ったりしています。なんというか超マニアックな人ですね。
(*2)念のためデータの個数の均等化を図って、15年刻みの10期に分けなおして比較してみましたが、有意水準ギリギリの0.049と0.043という組み合わせがいくつかあるだけで、ほぼ同じような傾向でした。
6/17 閑話 & こんなものを読んできた44
昨夜の地震にはびっくりしましたね。わりと強い揺れだったこともともかく、スマホやタブレットが一斉になりだして、ちょっとパニック感がありました。いざというときに慌てない心構えを練らなくてはと思いました。
さて、梅雨のこの季節、通勤途中の野原に小さなピンク色の花が咲いています。(ピントが後ろに抜けてしまいました。(-_-;))
小さな花がらせん状に咲く、その名も「ネジバナ」というスズランの仲間です。この花については前任校のブログでちょっと書いた気がしますが、またの名を「モジズリ」や「シノブモジズリ」と言うそうです。
それで思い出すのが、高校生のころ夏休みの宿題で暗記させられた百人一首の「陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」(河原左大臣)という歌です。
意味としては、「私の心は、陸奥の信夫文字摺り(信夫郡の特産品の乱れた模様の絞り染めの布)のように乱れてしまった。他ならないあなたのために」みたいな感じです。
上のネジバナはそのねじれた様子が、絞り染めの布模様のようだということで別名「モジズリ」というようですが、とても清楚なたたずまいで、河原左大臣の歌の恋に夢中になって頭がグルグルしてしまっているような情熱的な感じとはちょっと似合わない気がするのですが…。
百人一首の他の歌はほとんど忘れてしまいましたが、いくつか覚えているのが、この歌とか「ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは」という在原業平の歌などです。こちらは「竜田川」というとても面白い落語のネタになっているので、よく覚えています。
さて、一学期も落ち着いてきたので、読書案内の「こんなものを読んできた」を再開しました。再開第1回目は、いま売れているという町田その子さんの「コンビニ兄弟」です。
6/8 自然との関わり方
1か月近く更新できないうちに、梅雨になってしまいました。今年の5月は比較的初夏らしい気持ちのいい日が多かった気がしたのに、梅雨その後はまた猛暑が来るかと思うとがっかりです。
さてこの間、出張で六本木まで行ってきました。夕方、日が落ちてくると東京タワーがきれいです。
で、それもともかく、見ていただきたいのは、六本木ヒルズから見た近くの街並みです。
都会の真ん中ですが、屋上やベランダなどちょっとした場所にも植木鉢やプランターで木が植えてあるので、以外と緑が豊かです。こういったところは日本の伝統的な良いところかなと思います。
一方、昨年からの熊の被害が止まりません。昨日あたりからは宇都宮の住宅地や繁華街にクマが出没してニュースになっています。
熊の世界に文化や伝承があるのかどうかは知りませんが、クマという種がヒトという種を恐れなくなってきているのではないか? という気がします。
ほとんどの動物はヒトを恐れ警戒すると聞いたことがあります。それはおそらく我々人類の祖先が何百万もかけて、狩猟の技術を磨き、自分たちよりも強い生き物も知恵とチームワークで倒してきたからだと思います。この何百万年もかけて、他の動物の心に叩き込んできたヒトへの恐れが揺らいでいるのかもしれません。
あとは、ヒトの活動圏が広がり過ぎて、動物たちの世界が狭くなりすぎたので、ちょっとしたことで人間側に溢れ出るようになってしまったのかもしれません。
人と自然のバランスを考え直した方がいいのかも、と言う気がしますね。
5/11 最近気になったこと(2)
連日の投稿になりますが、またネットの記事でどうしても気になったものがあるので、書かせてもらいます。
本題に入る前に、前回宝くじの買い方について書いたものの補足です。これについてはどうしても「連番が買った方が何となく得では」と思いがちです。私も長い事そう思っていました。これについて昔書いた解説がありましたので、載せておきます。宝くじ解説.pdf
さて本日の本論です。先週、私も取っている某新聞社のWebサイトに「年3万人超死亡、日本人の死因8位 新型コロナ5類から3年の現在地」という見出しの有料記事が出ました。
見出しのとおり、コロナの騒動が終わって3年たつが、コロナでは年に3万人を超える人が死んでいて、日本人の死亡原因の8位である。特に高齢者にとっては重大な脅威である。と述べ、要するにコロナの怖さを忘れるな、と警鐘を鳴らすような記事でした。
私は一読して良くない記事だと思いました。どこが良くないか論じる前に下のグラフをご覧下さい。
これは厚生労働省の令和6年「人口動態統計月報年計」からのデータです。上の新聞記事もおそらくデータの出所は同じ筈です。
記事で言う「3万人超」は数字単体でみると、すごく多く見えますが、令和6年度の死亡総数は160万5千人を超えているので、百分率なら2.2%です。第8位も嘘ではないのですが、老衰や誤嚥性肺炎よりも下位です。コロナ騒ぎ以前であれば、コロナを特に抜きだしたカウントなどしていなかったので、この分はおそらく「肺炎」などの中に溶け込んでいただろうと思います。
このグラフで見ると記事が主張するようなコロナの脅威は、(少なくとも私には)あまり感じられません…。
記事を書いた人は「それでも3万人も死んでいるんだぞ」と言うかもしれません。もちろん人は長生きする方がいいでしょうし、私も長生きしたいです。しかし、人はいつかは必ず死にます。人がコロナという病気で亡くなるのは自然死です。誤解をおぞれずに言うなら、特別なことではありません。
それよりは、上のグラフには載っていませんが、「日本には自殺者が毎年2万人前後いる」という方が問題です。自殺は病気とは違い、不自然で悲惨な死に方です。こちらこそ社会問題として取り組むべきでしょう。
要するに上の記事は、自分の書きたい方向性に合わないデータには触れずに、都合のいいところだけつまみ食いしています。こういったやり方で人々の恐怖や不安をあおるような記事はやめてほしいものです。
最近、クルーズ船の中でハンタウィルスに感染する人が出た、というニュースがありました。マスコミなどが二匹目のドジョウを狙って、またコロナの時のような大騒ぎに仕立て上げてしまわないが心配です。
5/8 最近気になったこと(加筆5/9)
連休前にネットで読んだ記事がどうにも気になったので、少しだけ書きます。
その記事の内容をざっくりまとめると、
ネット配信者のひげおやじ氏が宝くじをバラで買うのを見たひろゆき氏が、バラで買うのは損だという旨の発言をした。さらに、ひげおやじ氏が、自分は連番6バラ4の割合で買う、といったところ、その買い方では、連番10割にしたら当たっていた3000円を失う、と指摘した。今、これがネットで波紋を広げている。
というものです。
私は日頃、ひろゆき氏の個々の意見には賛成できないこともあります(賛成できることもあります)が、他の人が触れない物事の本質にズバッと切り込む得難い論客だと思っています。ただ、今回の件では、ひろゆき氏が上の報道通りの発言を本当にしたとすれば(ネットでよくある切り抜きとかでなければ)、そこには何点か誤りがあります。
まず前半部分です。宝くじ1枚ごとの期待値は、連番でもバラでも同じです。買い方で変わることはありません(10枚買っても100枚買っても同じ)。しかし連番で買えば、もし1等が出たときに前後賞も取れる可能性が高いので、大きな金額を当てる夢があります。その意味では、ひろゆき氏の連番で買うほうがいいという主張も心情的にはわかります。その一方で世の中には、バラで買って1枚ずつ「当たっているかも」と確かめるのが好きだ、という人もいるでしょう。要するに気分や楽しみ方の問題で、連番とバラどちらが得とは言えません。
後半部分です。宝くじはバラで買っても番号最後の一桁は0~9までが1枚ずつ入るようになっています。だから10枚買えば最後の一桁で決まる末等は必ずあたります。したがって、ひげおやじ氏の買い方でも損はしません。
さてしかし、今回紹介したネット記事で私が一番あきれたのは、ひろゆき氏やひげおやじ氏の発言より、この件についてコメントした「芸能ジャーナリスト」の発言です。
それは、「確率論で言えば、ひろゆき氏の指摘は正しいです。連番で買えば一定額が戻る可能性は高く、理屈としては“損をしにくい買い方”です。…」というものです。
上で説明した通り、連番で買ってもバラで買っても、宝くじの期待値は同じです。「損をしにくい」買い方などありません。「確率論」とか「理屈としては」とか言っていますが、この「芸能ジャーナリスト」の発言には「確率論」も「理屈」も全くありません。
ひろゆき氏とひげおやじ氏の発言は、個人の意見・感想なので、別にきっちり正確である必要はないと思います。またそれを報じることもいいでしょう。しかしこの「芸能ジャーナリスト」のコメントは明らかに間違っています。
記事の全体構造をよく見れば、筆者はこの問題について答えを示していません。しかし、「芸能ジャーナリスト」のコメントがこの問題へのジャッジのような印象を受ける形になっています。これでは「連番のほうがバラより損をしない」という間違った考えを世の中に広げかねません。
こういう記事を書くのであれば、ひろゆき氏の主張を「ひろゆき氏がこう言いました」と報じるだけにしておくか、記者の責任として何が正しいのか検証して結果を示すかのどちらかです。中途半端な形で不確実な情報を世間に流すのは、無責任だと思います。
何にせよ、宝くじの1等や前後賞が当たる確率は、道を歩いていて隕石に当たる確率と同じくらい低いという話を聞いたことがあります(検証したことはないですが多分本当でしょう)。「絶対当ててやる」と熱くなって全財産を突っ込むような真似はしない方がいいでしょう。
5/7 もう初夏ですね。
またまた間隔があいてしまいましたのでちょっとだけ。
更新を怠っている間に季節はすっかり初夏になりました。
先日、埼玉県総合スポーツセンターに行ったら、その敷地内に芍薬の花が咲いていました。
シャクヤクの花期はそんなに長くないので、まさに見ごろのいいタイミングで見ることができ、運がよかったですね。
さて、先週の5月1日は、在校生保護者対象の学校公開でした。この日、先に春休み中に生徒会のみなさんと制作していた本校のマスコット「パレットちゃん」の立体像が、お披露目されました。
微妙にゆるい感じがチャームポイントです。スリーピー(眠そう)な目は、三部制の本校で頑張っている本校の生徒の皆さんを表現し、しっぽの3の字と3色の風船は本校の三部制を表わしています。今後、いろいろなところで本校のPRに活躍してくれると思います。
4/21 久々の更新 &「プチ史跡2?」
最近、妙に忙しく随分更新間隔があいてしまいました。この間に始業式と入学式があり、令和8年度が本格的にスタートしました。
入学式では、バーナード・ショーの「人生は自分を見つけることではない。人生とは自分を創ることだ」という言葉を引いて、新入生諸君には戸田翔陽高校でしっかりと自分を創っていってほしいという話をしました。R8入学式式式次.pdf
さて「プチ史跡2?」ですが、先日、浦和の別所沼公園の一角で、何とも不思議な場所を発見しました。
手前の滑らかな枕状の石と、その奥の表面にマーク(円形の溝の中に金属のピンが三角形に埋め込まれたもの)のある四角い石、さらにその奥の三段に積まれた石塔のようなもの一対。まるで何か宗教的な祭壇のようです。
マークのついた四角い石は、何かの境界石か測量の基点のような感じです。この場所が別所沼公園の南東の角で道路と公園の境に近いことからも、何かの基準点の可能性は高いと思います。しかし手前の丸い石は何なのでしょう。特に文字や像は刻まれておらず、仏塔や庚申塔の類ではなさそうです。ですが滑らかできれいな形をしていて、どことなく厳かでありがたい感じです。
これは私の推測ですが、この丸い石(と四角い石の組み合わせ)が、どことなくありがたい感じだったので、誰かが石を積んで左右の塔を作り祭壇のような形をととのえてしまったのではないでしょうか。
各地には、巨大な岩や不思議な形の岩を御神体にしている神社がありますが、その発祥は案外、この場所のようなことだったのかもしれません。
不思議な形の石や岩があり、「なんとなく有難いかも!?」と思った誰かがお賽銭や花を供えると、それに続く人が次第に増えていき、自然に信仰の場所が出来上がり、やがて祠や玉垣が建てられて、いつの間にか神社の誕生! という流れです。
現代では土地が高価で所有権もはっきりしているので自然発生で神社ができる、という流れは難しい気がします。しかし、もしかするとこの場所にも何十年か何百年後かには、小さな神社が立っている可能性はあります。私たちは、あらたな史跡誕生の過程を見ているのかもしれません。
4/2 新年度始まる & 寝苦しい夜は(続)
昨日から新年度が始まりました。新着任者を迎え、今年度もますます元気な戸田翔陽高校でありたいと思います。
春休みも後半戦、桜がちょうど見ごろを迎えていますが、連日の雨で花見はちょっとやりにくい感じですね。
この春休み中に生徒会の皆さんと取り組んでいる本校のマスコット「パレットちゃん」の製作は快調です。近日中にお披露目できると思います。
さて、先日の続きですが、前回取り上げた問題の続きとして「元の長方形のタテ・ヨコを求めなさい。」というのを考えたらどうか、と書きました。それについて考えてみます。
元の長方形を区切った縦3列の内、一番横幅の小さい左側の列の幅をxとすると、真ん中の列は、x+2.5、右側の列はx+3と書けます。同じように横3行のうち、一番高さの小さい下の行の高さをyとすると、真ん中の行はy+1、上の列はy+3と書けます。
外周は55㎝とわかっているので、55=2(x+x+2.5+x+3)+2(y+y+1+y+3)という式ができます。
この式を整理して6=x+yとなります。要するにxとyは足して6になればいい(ただし0よりは大きい)ということなので、縦横はこの範囲内で変化し、一つの形に決まりません。
一つの形に決まらないことが分かったところでさらに問いを追加して、元の大きな長方形の面積の最大を求めよ、みたいな問題を作ることもできますね。
しかしここまでくると寝ながら暗算とはいかなくなって、起き上がって紙で計算をはじめたりするので、寝付けない時に数学パズルでも、という本来の狙いからは完全にずれてきてしまうのですが…。