校長室ブログ

忙中閑あり~校長室より

5/8 これを便利とよぶのか? &「こんなものを読んできた」16

 春の連休が終わってしまいました。今年は前半と後半がはっきり分かれた形だったので、あまり連休感がなかったかもしれません。

 

 連休の間にすっかり陽気は初夏のようになりました。校庭の端の方に生えているクローバーの群落が甘い香りを漂よわせ、ハチやチョウが蜜を求めて集まってきています。

 さて、「こんなものを読んできた」第16回は、最近の1か月をかけて読み進めてきた北村薫「円紫さんと私」シリーズです。こんなものを読んできた16(円紫さん)Web.pdf

 このブログでも何回か触れましたが、この作品は1980年代末~90年代前半くらいの作品(最新刊の「太宰治の辞書」はのぞく)です。読むと、この20~30年の間に見られなくなったものや変わってしまったことに気づかさせられることが多くて楽しいのですが、生徒の皆さんのような若い人にはあまり受けない作品かもしれません。

 この20~30年の間に変わってしまったといえば、「電話」の使い方、使われ方です。

 この何年かで、私は休み明けに「電話をかけたのに連絡が付きませんでした」と怒られることが多くなりました。「おかしいな。ずっと自宅にいたから電話をとりそこなったことはないはずだが?」と思って確認すると、たいていの場合、スマートフォンの着信履歴にだけ不在着信が残されていて、自宅の固定電話にはかかってきた跡がありません。

 こういうときには、私と相手の方の電話に対する感覚が違うのだなと思います。

 相手の方は、スマートフォンは常に肌身離さず持ち歩いて、LINEでも音声通話でもすぐにレスポンスするべきだ、と思っているのでしょう。 私の感覚では、スマートフォンは外出時などに連絡をとる道具だと思っているので、自宅では充電器につないで、ほったらかしにしています。

 私としては、非常連絡先として自宅の固定電話の番号を届け出ているのだから、まず自宅番号にかけて不在だったり外出中だったりしたときに、次の策としてスマートフォンにかけるのが筋ではないか? と思うのですが…。最近は自宅番号が書いてあってもそこにかけることは考えもしない人が増えたようです。

 「時代がそうなのだから、合わせなさいよ」と言われそうですが、私はこの点に関しては断固として合わせる気がありません。スマートフォンでいつでも連絡が取れるというのは便利なようですが、「いつ連絡が入るかわからないから手放せない」というのでは、スマートフォンの奴隷です。これを便利と呼ぶのでしょうか?

 また、以前にも書きましたが、最近はLINEなどでいつでも連絡が取れるせいか、若い人たちの間では待ち合わせの場所や時間を決めてそれを守る、という習慣がなくなったようです。

 上田秋成の「雨月物語」には、赤穴宗右衛門という人が殿様に監禁され親友の丈部左門との再会の約束に間に合わなくなったので、切腹して死霊となって会いに行ったという話があります。(ちょっとBLの雰囲気もある話です。そういうのが好きな人は是非、読んでみてください。)

 約束に遅れそうになるたびに腹を切っていたら命がいくつあっても足りませんが、今は、簡単に約束して簡単にキャンセルするのが当たり前になり、約束の重さが軽くなった気がします。

4/28 前回「本を読んで気になったこと」の補足

 いよいよ春の連休に入りました。私は特に予定はありませんが、気が向いたら埼玉県内の行ってみたい神社や史跡をいくつか回るかもしれません。

 さて、前回、北村薫の「秋の花」を読んでいて、「小説の時代(1980年代末)と近年の間で台風の強さが強まったりしているのだろうか?」というのが気になったという話を書きました。

 そこで前回は台風の上陸時の平均気圧を求め、2010年代と1980年代の強さ(気圧の低さ)の平均の差を検定してみました。すると1980年代と2010年代の間の平均の差は、「有意とは言えない」という結果が出ました。しかし、前回掲載したグラフでは凸凹はあるものの、直感的にはなんとなく右肩下がりで台風は近年になるほど強くなっているような気がします。そこでもうちょっと手間をかけて統計分析をしてみました。

 統計分析ソフトには、関西学院大学の清水裕士教授がフリーで提供してくださっているHADを使いました。

 さて、今回はJCDPの台風データに入っている1877~2019のすべてのデータを使いました。「近年になるほど台風は強くなっている」というのを仮説、目的変数を上陸時の気圧「(hPa)」、説明変数を「年」として、単回帰分析を行います。散布図や回帰直線も表示するように指示をして、ポチっとすると、

【回帰係数】

【予測曲線】

こんな感じです。といわれても何のことやらわからないと思いますので、ざっと説明します。

 上の表で「切片」の係数「1087.623」、「年」の係数「-0.057」となっていますが、これは、ある年の台風の上陸気圧の平均値が、以下の式で予測されるという意味です。

 予測平均気圧=1087.623-0.057×年+誤差

そして、年の係数「-0.057」について、「p値」は「0.001=0.1%」で、これはこの係数が間違いである可能性は0.1%という意味です。したがって、この式はかなり信頼できるものといえます。

 下のグラフがこのデータを使い、年を横軸、気圧を縦軸にとった散布図です。

 点の分布にはかなりばらつきがありますが、なんとなく点の密度の高い黒っぽい部分が緩やかに右下がりになっているような感じです。また点の集まりが作る形も底の部分はなんとなく右下がりで、その年一番、二番の強い台風の強さが、少しづつ強くなっているイメージがあります。そして分布の真ん中を串刺しにするように青い回帰直線(上の式で表される直線で、このデータの変化の傾向を表している)が通っています。

 こちらの分析からは「近年になるほど台風は強くなっている」という仮説は正しい(間違っている可能性は極めて低い)、といえます。

 前回の分析とは結果が矛盾するようですが、これは見方というか視点の違いです。前回は1980年代と2010年代の二つの平均を比べると「平均の差があるとは言えない」という事でしたが、今回はより大きく1870年代からの150年間を見通すとどうか、という視点で見ています。そうするとやはり、だんだん台風は強くなってきている、という直感が裏付けられました。

 何年か前に西内啓さんの「統計は最強の学問である」という本が話題になったことがありますが、統計を使うと様々なことを分析できます。最近は高校の数学でも以前より統計に関する部分が増えましたが、学校での教え方は「各種統計数値の算出法を教えて、計算させる」という事になりがちです。しかし、統計について本当に勉強すべきは、「統計によってどんなことを調べられるのか」とか「統計的に有意」とはどういうことか、という本質だと思います。

 この辺をみんなが常識として持つようになれば、数年前のコロナ騒動は起きなかったかもと思います。しかし、どんなにきちんと統計的に証拠を示したとしても、世の中には自分に不都合なことは「そんなのただの計算だろ。屁理屈を言うな」といって拒否する人が多い(特に偉い人に)ので、同じことだったかもしれませんが。

 

 

4/25 本を読んでいて気になったこと & 「こんなものを読んできた」15

 「こんなものを読んできた」の15回目はトム・マグナブ「速い男に賭けろ」です。最近はみんなが内向きになって海外の音楽や映画、小説はどれも人気がないようです。しかし、私は独りよがりにちまちま自分のことにだけ関心を向けている日本の小説(最近の恋愛小説や青春小説にもこの特徴は顕著です)はあまり好きではありません。壮大なホラ話のような海外の作品の方が好きなのですが…。こんなものを読んできた15(速い男に賭けろ)web.pdf

 さて、本日のお題「本を読んで気になったこと」ですが、ここのところ読み進めている北村薫「円紫さんと私」シリーズについてです。「またかい」と思われるかもしれませんが、1980~90年代にかけての古き良き日本が活写されていて、「そうそう、そうだったよね」という発見があって楽しいので…。

 そのシリーズ第3作「秋の花」の中に、主人公の姉が台風が来ているのに頑張って会社に出勤する場面がありました。それが可能だったのは、昔はJRでも私鉄でも鉄道が台風くらいで運休することはあまりなかったからです。今日の鉄道は実際に台風が来る前から計画運休が発表されて、すぐに運休になってしまいますが…。

 これはなぜなのか。

 私が推測するに人員削減や人手不足でどこの鉄道会社も保線要員が足りないのかもしれません。あるいは事故や突然の運休などの際、鉄道会社に寄せられるクレームが昔より圧倒的に強くなっているので、人々のために交通手段を確保することよりもトラブルを避けることを優先して運休にしているのかもしれません。

 またもしかすると、本当に温暖化などの影響で台風の風雨が1980年代より強くなっているから、安全のために運休となっているのかもしれません。

 上記のうち台風について、自分流に考えてみました。下のグラフが、1880年代から2010年代に日本に上陸した台風の上陸時の気圧を10年単位で平均したものです。元データはJCDP(Japan-Asia Climate Data Program)のWebサイトからいただきました。

 気圧が低いほど台風が強いことになるので、上のグラフで見る限り、だんだんと台風は強くなっているような印象です。特に1980年代から2000年代以降では、急激に強くなっているような感じがします。

 しかしそれが本当にそうなのかを確かめるためには、統計検定をしなくてはなりません。2010年代の台風の気圧の平均値と過去の10年ごとの平均値の間に有意(意味のある)な差があるか、はフリーの統計ソフトgretlを使って検定を行いました。

 

 そうしてみると一般的な5%水準で、2010年代との間に有意な差があるとみなされるのは、1880年代から1900年代、1920年代だけです。この結果からすると、2010年代は19世紀~20世紀初頭よりは台風が強まっているとは言えても、1980年代との差は誤差のうちかもしれないということです。簡単にきれいな結論というのは出ないものです。

 最近は「エビデンス」が大事だとよく言われますが、いろいろな議論でそれぞれの立場の人が持ち出す「エビデンス」は、よく見ると自分に都合のいいように恣意的な結果の読み方をしたものがすくなくありません。

 上の台風の例のように、自分の仮説を検証して「これは成り立たないかも」という正直者(私のこと)は少ないので注意が必要です。統計はうそをつきませんが、人はうそをつくので…。

 ここまでが文字や硬いグラフや表ばっかりだったので、おまけに今回も身近な花の写真を載せておきます。

 左上がハコネウツギ、右上はアカバナユウゲショウ、左下はたぶんハルジョオン、右下はナガミヒナゲシだそうです。花の名前はマイクロソフトのAIコ・パイロットさんに教えてもらいました。

 ハルジョオンが「たぶん」なのは、ヒメジョオンとの区別がよくわからないからです。コ・パイロットさんはヒメジョオンだというのですが、時期と葉っぱの形から、私的にはハルジョオンかな?と。むしって茎の断面を見ればわかるようですが…。

 ナガミヒナゲシは、私が子供のころは見なかった花ですが、30年くらい前から国道17号や産業道路(県道35号)沿いに北上して来て、今ではそこらじゅうで見るようになりました。花がとてもきれいなのですが、有毒で生態系にも影響を及ぼす外来側物だそうなので、見かけたら駆除した方が良いようです。

 

 

 

4/21 花の季節

 先週末あたりから、急に暑くなりました。3月終わりころには、冬のような寒いが続いていた気がしますが、1か月で一気に冬から夏へ早変わりです。

 さて、桜が終わったかと思ったら、急に他の花が咲きだしました。1年で最も花のきれいな季節かもしれません。下はこの数日で身近に見かけた花の写真です。

 一番上はアメリカハナミズキです。この写真は上尾運動公園周辺で撮ったものですが、戸田のボートコース沿いにもハナミズキの木が植えられていて、5月のレガッタシーズンにはとてもきれいです。

 中左はドウダンです。ドウダンを漢字で書くと「満天星」となります。白いはながたくさん咲いているところを夜空いっぱいの星にたとえたのでしょうか。また小さいながらも甘い蜜をもつ花なので、子供のころはこの花をつんで蜜を吸って遊びました。(花の蜜には有毒なものもあるそうです。良い子はうかつに蜜を吸わないようにしてください。)

 中右はモッコウバラです。モッコウバラはバラ科ですが、モッコウというキク科の植物もあるので、ややこしいですね。モッコウといえば、織田信長の家紋が木瓜(モッコウ)ですが、これはモッコウバラの方をモチーフにしているようです。

 下左は、サツキだと思います(いや、ツツジかも)。私はサツキとツツジの違いがよく分かりません。ネットで調べると花の時期や葉っぱの形などいろいろ書いてあるのですが、読めば読むほどわからなくなります…。また、上の写真のドウダンもドウダンツツジといってツツジの仲間だそうです。現代なら遺伝子解析とかで近縁関係を調べられると思うのですが、これだけ形が異なる花を目で見た形態分析だけで同じ仲間に分類できたのはなぜなのか不思議です。

 下右は、ハナニラです。他の植物の陰になるようなところに咲いていますが、涼しげな青紫色がきれいです。ちなみに、このハナニラと食用にする花ニラは別の種類で、こちらのハナニラを食べると中毒するようなので気を付けてください。

 こういった花の名前や虫の名前などは昔は図書館へ行って図鑑と首っ引きでないと調べられませんでしたが、今はマイクロソフトのコパイロットやグーグルのジェミニ等のAI(人工知能)のサービスを使えば一発です。この1、2年でAIもすごく精度が上がり、普及してきました。先日もコパイロットに「遠足で動物園に行った作文、書いたのは小学3年生男子で、爬虫類が好き、仲の良い友達はヒロシ君、800字以内」と条件を設定して作文を書かせたら、ほんの10秒くらいでちゃんと小学生っぽい作文を返してきました。

 これだけ便利なものを使うな、というのは無理なので、教育の在り方、特に宿題の出し方などは変わらずを得ないでしょう。

 

 

4/17 無題

 今回はどうにもタイトルをつけにくく「無題」としました。(いつも無題のようなものですが…。)

 さて読者案内「こんなものを読んできた」第14回は、今日の夕方配信予定ですが、こちらで先行公開してしまいます。今回紹介したのは、いまさらですが今年で10周年を迎えた「鬼滅の刃」です。この夏にアニメ完結編が公開されますが、それで終わっていくのか、それとも名作定番マンガとして定着するのかは、何とも言い難いところです。

 こんなものを読んできた(14)鬼滅の刃Web.pdf

 ちょっと前(4/8)に書いたと思いますが、最近、北村薫の「円紫さんと私」シリーズを読んでいます。埼玉(杉戸の辺り?)から都内の私立大学文学部に通う女子大学生の「私」が、大学の先輩である落語家の春桜亭円紫とともに日常生活の中で起きる様々な不可解な事件に取り組むというミステリー小説です。

 北村薫は専業作家になる前は、埼玉県立高校の国語の先生だった人です。そのためか作品に出てくる高校や高校生活は埼玉県立高校を彷彿とさせます。「円紫さんと私」シリーズでも、主人公の「私」は同じ市内の男子高とペアになった女子高の出身です。男子高の方は駅前なのに、女子高の方は駅から遠いことに不満を持っているなど、あの男子高とあの女子高であることが、まるわかりです。 

 シリーズ第3巻「秋の花」の最初の方で、「私」が友人に女子高時代の思い出を語る場面があります。いまから30~40年くらい前(今でもあまり変わっていなさそう)の女子高の雰囲気が、生き生きと語られています。私も若いころ、とある女子高で教員をしていましたが、「秋の花」の「私」は、当時の私のクラスにもいそうな、何とも女子高の卒業生っぽい人物です。そのあたり北村薫の観察力・描写力はすごいと思います。

 現在、埼玉県の県立男子高・女子高については、共学化の議論が起きています。その是非については県民の皆さんが決めることですから、私がとやかく言うことではありません。しかし、この北村薫の「秋の花」でも語られているように、女子高や男子高には独特の文化があり、そこならではの人材を輩出してきたのは、事実だと思います。

 

 

 上の写真は、今回借りた「秋の花」の後ろについている図書カードホルダーです。今は学校図書館でも図書カードなどはなく、貸し出しはコンピューターで管理していますが、返却期限だけはこのように日付印で押しています。

 一番下の「25.5.14」は、今回の私の返却期限です。その上が、前の貸し出しですが「13.9.3」となっています。これを見て「へぇー、12年も借りる人がいなかったんだ」と思った方がいるかも知れませんが、そうではありません。上の「13」は、「2013(平成25)年」の下2けたではなく「平成13(2001)年」の13です。

 この図書カードホルダーの下をよく見ると「戸田高等学校」と書いてありますので、この本が購入されたのは戸田翔陽高校に変わった平成17年(2005)4月より前です。さらに奥付をみると、この本は1999年の第10刷ですから、2001(平成13)年あたりの購入と見るのが妥当です。つまり、今回の貸し出しは実に24年ぶり、ということになります。

 借り手が少なかったせいか、全然汚れていませんし、表紙の高野文子さんのイラストもすっと肩の力が抜けたようなタッチがとてもしゃれた感じで古さを感じさせません。こんないい本が、24年も借りられることがなかったのは、実にもったいない話です。

 本の内容を見ると、日本経済が絶好調だった80年代~90年代に書かれた小説らしく、主人公の「私」が頻繁に演劇や落語などを見に行ったり、街の描写にも豊かさが感じられ、社会の雰囲気自体が今よりゆとりのある感じです。主人公の「私」は作品の中では19~20歳くらいの女性ですが、実在の人物だとしたら、私より少し若いくらいですから、今50代後半くらいでしょう。その間に日本の社会はずいぶんとショボくなりました。

 

4/15 新緑がきれいです

 今年度に入ってから、この戸田翔陽高校Webページの更新頻度が高くなっています。先生方がどんどん更新してくれるので、この校長ブログもちょっとさぼっているとあっという間に「新着情報」から脱落してしまいます。

 さて、昨日は「対面式」でした。1年次生と先輩たちが顔を合わせ挨拶をする行事なのですが、両方ともちょっと声が小さくおずおずとした感じなのが、ほほえましい感じでした。

 

 今、中庭のドウダンの若葉がとてもきれいです。先週までは茶色っぽかったのに今週に入ってから急にさわやかな緑色になりました。このドウダンの植え込みですが、「TODASHOYO」の文字の形に刈り込まれています。

 これは本校が開設されたころの業務主事さんに樹木の刈り込みが得意な方がいて、「ちょっとやってみました」という感じで始めたものが、代々引き継がれてきたものです。あの頃は、校長先生をはじめとして教職員みんなに「新しい学校を作るぞ!」という活気がみなぎっている感じでした。

 本校は昨年度20周年を迎え、この春から21年目に入りましたが、開校のころの清新な気持ちを忘れることなく、様々な教育課題に果敢に取り組む学校でありたいと思います。

4/9 入学式でした。

 今日は入学式でした。

 本校の校歌の「さわやかな日差しに映える 優しい緑に」という出だしがぴったりと当てはまるような好天に恵まれ、233名の新入生が入学しました。

 

 式の最中の写真はありません。私自身が式典に参加しているので…。

 式辞では中国の古典「礼記」の「修身斉家治国平天下」という言葉を引いて、一人一人のよりよく生きようとする努力が、やがては世界平和にまでつながる。本校からその第一歩を踏み出してほしい、という話をしました。

R7入学式式次.pdf

 この言葉の出だし「修身」は第二次世界大戦前の日本の学校教育の中で道徳科目の名称として使われたため、一部にこの言葉にアレルギーを持つ人もいるようです。しかし、「修身=軍国主義=ダメ」という紋切り型の思考停止をやめて、虚心坦懐にこの言葉を読んでみれば、かなり個人主義的な言葉であることがわかります。

 私のイメージなのですが、古代の中国の人々は日本人よりずっと合理的で個人主義的だった気がします。中国思想の太い柱の「儒教」にしても、悪政により天意(人心)を失えば革命が起きて政権交代するという考え方ですし、「三国志演義」などでも、中国の英雄・豪傑たちは、自分の野心や利益に従ってわりと簡単に所属陣営を変えています。「自分の能力を評価して生かしてくれる職場に転職」という感じでしょうか。だからこそダメな主君に仕えて裏切らない諸葛孔明の忠義が光るわけですが…。

4/8 新学期開始! & いつの間にか無くなったもの(4)

  今日は1学期の始業式でした。いよいよ新しい年度が本格的に始まります。

 本校では明日が入学式ですが、桜の花もこの数日の寒さのおかげでだいぶ葉っぱも出てきたものの、まだ持ちこたえています。

 

 今日の始業式では、「新聞やテレビのニュースを見よう」という話をしました。

 最近、新聞やテレビを「オールドメディア」と呼んで、時代遅れな不要な物のように言う論調があります。しかし、これら「オールドメディア」にとって代わるとされるソーシャルネットワークサービス(Xやインスタグラムなど)やネット動画などの新しいメディアの情報の信頼性は低下する一方です。その信頼性の低さが、制作者のうっかりミスや取材力の低さのためならまだ許せます。しかし、現在では発信源が特定されにくいことや、公正さを審査する仕組みが未整備なことを悪用して、故意に虚偽の情報を流す人や団体が増えています。「オールドメディア」では、同じ事件の見方や扱いが会社によって差があることはあっても、芯となる事実そのものには大きな嘘はないと思います。ネットに流布する虚偽や風評に騙されないためには、「オールドメディア」からの情報もしっかりつかんでいく必要があります。

 春休みで1週休ませていただいた読書案内の「こんなものを読んできた」第13回を配信しました。今回は春らしい作品ということで北村薫「街の灯」を紹介しました。こんなものを読んできた13(街の灯)Web.pdf

 今回「街の灯」を紹介したついでに、北村薫の作品で今まで読んでいなかった「円紫さんと私」シリーズを読み始めました。

 今から30年ちょっと前の作品ですが、インターネットも携帯電話もなかった時代の生活は落ち着いていてよかったなと思います。映画を見に行くときはネットではなく情報誌(「ぴあ」とか「シティロード」とか)で上映予定を調べ、スマホで気軽に連絡を取り合うこともできないので、待ち合わせの約束などはしっかりと守らなくてはなりませんでした。そのせいか人と人の間の信頼感が今よりもずっとあった気がします。

 またこの作品の主人公の「私」は埼玉(杉戸の辺りっぽい)から都内の大学に通う女子学生です。特に裕福な家の子でもなさそうですが、彼女や友人たちは奨学金の返済やアルバイトに追われることもなく、のんびりとした学生生活を送っていて貧しさの影がありません。世の中全体に今よりもゆとりがあり優しい感じです。

 こういった優しさや豊かさも、いつの間にか無くなってしまったものの一つだと思います。

 

 

 

4/1 新年度御挨拶

 新年度になりました。今年度もよろしくお願いします。

 今日は昨日の続きのはずなのですが、新たに異動してきた方を迎えるとどこかちょっと雰囲気が違います。

 

 さて、先週は温かい日が多かったためが、桜が一気に咲きました(今日は寒いですが…)。昨日ちょっと都内に行ってきましたが、虎ノ門の文部科学省の近くの桜は、もう一部葉っぱが出始めていました。

 昔、平安時代に在原業平という人が「世の中に絶えて桜のなかりせば、春の心はのどけからまし(桜の花がなければ春はもっとのんびりできるのに)」と歌を詠みましたが、たしかにこの週末に花見ができるか、また9日の入学式まで桜が持つか、気が気ではありません。

3/31 年度末ご挨拶 & 久しぶりのプチ史跡巡り2

 今日で令和6年度が終わり、明日から令和7年度が始まります。

 年度末に付き物なのが人事異動です。昨日、新聞で埼玉県の教員人事異動が発表されていました。本校でも他の職場に異動する人が荷物の整理をしていたり、そのほかの人も職員室の模様替えの準備をしていたり、あわただしさの中に寂しさが混じった年度末独特の雰囲気が漂っています。

 私は来年度も引き続き本校でお世話になります。一年間ありがとうございました。また来年度もよろしくお願いいたします。

 読書案内「こんなものを読んできた」は、春休みにつき今週はお休みさせていただきます。

 さて、少し前になりますが3月22日(土)、人に誘われて都内を歩いてきました。その日は日差しが強く半そでのTシャツで歩いている人もいるほどの陽気でした。池袋の西口に集合し軽く食事と泡のでる飲み物を楽しんだ後、出発しました。

 西口のすぐ近くにも、池袋の地名の由来を書いた碑がありました。

 

 昔、池袋の周辺に水が湧き出す池があり、そこから雑司ヶ谷の方へ弦巻川がという川が流れ出ていたので、池袋という地名になったという由来が書いてあります。しかし池袋西口は線路にそって南側の方へ行くと階段で降りていくようなすごい坂道があり、周辺に比べて明らかに土地が高いので、池があったのはこの辺ではないでしょう。

 と思って家に帰った後で調べてみたら、地名研究家の谷川彰英先生が「元々の池袋は、本池袋3丁目の池袋氷川神社の辺りだったのでは」と書いているWEB記事を見つけました。前にも書きましたが氷川神社といったら水神ですので、その辺りが水の湧き出る盆地だったのでしょう。何かの機会にぜひ行ってみたいと思います。

 ちなみに谷川彰英先生は私の大学時代の先生です。現在は難病にかかっているとのことですが、それを押して執筆をつづけていらっしゃいます。今また先生に御教示いただくとは何かの縁を感じます。ありがたいことです。

 さて、そこからずっと歩いて、有名な人のお墓があるので有名な雑司ヶ谷の墓地に行きました。都内で有名な人のお墓と言ったら谷中とか青山にもありますが、谷中が大名家や旧華族などの大きなお墓が目立つのに対し、雑司ヶ谷の方はこじんまりとして中産階級のお墓といった感じです。

 ここの最大の目玉は、夏目漱石のお墓でしょう。

 

 夏目漱石の書斎の椅子の形を模したという、両側にひじ掛けのようなものがついた大きなお墓です。明治の文豪の名に恥じない、といえばそうなのでしょう。しかし、私の中では夏目漱石というのは、もうちょっとライトなイメージなのですが。

 たとえば代表作の一つ「三四郎」のあらすじを私流にまとめてみましょう。

 大学に合格して東京へ向かう途中の主人公の少年が、列車の遅延で出会ったばかりの年上の女性と同じ部屋に泊まることになり、誘惑されてドキドキ…。大学では何の役に立つかわからない実験ばかりしている変人の先輩、先輩のかわいい妹、チャラい同級生、先輩の知り合いでツンデレで思わせぶりな美女などに囲まれ、主人公はツンデレ美女に振り回わされた挙句に失恋…。

 という感じで、もうほとんどラノベ(ライトノベル)です。

 夏目漱石が現代日本の小説の文体を確立した偉大な作家であったのは間違いありませんし、私も漱石の作品は全部とは言いませんが、かなり読んでいます。ですが、私は夏目漱石本人は「不朽の名を残す大作家になろう」などとは考えていなかったのではないか? と思います。

 夏目漱石の作品を読むと、様々に試行錯誤しながら小説を書いていたことがわかり、その苦労がしのばれます。しかし、前半と後半で文体が全く変わっているなど粗削りで未完成な感じなものが多く、現代だったら出版社の編集者に滅茶苦茶に直されてしまいそうです。作品のテーマも当時の流行や風俗を取り入れていて、夏目漱石は、読者を楽しませる面白い作品、売れる作品を書くことを第一にしていたと思います。

 今、もし天国の漱石先生の声が聞けたとしたら、「あれ、まだ俺の作品なんか読んでくれているの!?」と言うのではないでしょうか?